ちょい話【親鸞編】
仰せを蒙りて【文字データ編】
誕生日のお祝いのメッセージをありがとうございました。
2021-03-11
Facebook田畑正久先生のことば
仏教に出遇い、人間として誕生した意味(物語)を受け取ることが出来るようになりました。
中国の善導大師が書かれた「観経疏(序文義)」の中にある—
既に身を受けんと欲するに、自の業識を以て内因と爲し、父母の精血を以て外縁と爲す。因縁和合するが故に此の身有り。
『私たちはこの世に生まれ出ようとする時、自分の意志で「生まれたい」と願い、父と母になる人を縁として誕生するのです。つまり、自分の意志が根っこであり両親はきっかけなのです』
誕生日のお祝いのメッセージをありがとうございました。
法蔵菩薩
2021-01-07
895
『大無量寿経』だけで法蔵菩薩を見ると
法蔵菩薩というのは文学的表現です。
神話というわけではないけれども神話的な表現になる。
昔話です。
「仏、阿難に告げたまわく、
乃往過去、久遠無量不可思議無央数劫に、錠光如来、世に興出して、
無量の衆生を教化し度脱して、
みな道を得せしめて乃し滅度を取りたまいき」と。
昔々大昔という意味です。
ただこれは如来の昔話だと。
法蔵菩薩というのは文学的表現です。
神話というわけではないけれども神話的な表現になる。
昔話です。
「仏、阿難に告げたまわく、
乃往過去、久遠無量不可思議無央数劫に、錠光如来、世に興出して、
無量の衆生を教化し度脱して、
みな道を得せしめて乃し滅度を取りたまいき」と。
昔々大昔という意味です。
ただこれは如来の昔話だと。
2021-01-04
FacebookYasuda Rizin
892
信ずるという字は
これは信用組合の信用という意味もあり、
また信仰するとか、分からないから信ずるのだとか。
信という概念は非常に広い。
ただ、宗教心という場合の信は、
宗教の本質としての信です。
その場合、その信は二種深信でしょう。
これをはずれると
これは信用組合の信用という意味もあり、
また信仰するとか、分からないから信ずるのだとか。
信という概念は非常に広い。
ただ、宗教心という場合の信は、
宗教の本質としての信です。
その場合、その信は二種深信でしょう。
これをはずれると
「習慣としての教団」はあるけれども
「宗教としての教団」はなくなるのです。
「宗教としての教団」はなくなるのです。
893
二種深信を失ったら、宗教でなくなってしまうのです。
ただ寺門の経営ということになる。
だから事業として葬式をすると。
それから安心信心といってもただ「有り難くなりたい」というだけです。
有り難くなるということは眠ることでしょう。
覚めることではない。
つまり信心が欲しいのではないのです。
覚めることではない。
つまり信心が欲しいのではないのです。
有り難いのが欲しいのです。