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兵戈無用(ひょがむよう)

「兵戈無用」(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)

A級戦犯の遺骨「太平洋に散布」

2021-06-09
A級戦犯 遺骨の行方に遺族は|TBS NEWS
米公文書を発見 時事通信社 2021/06/09 17:56

極東軍事裁判でA級戦犯とされ死刑が執行された東条英機元首相ら7人について、遺骨を太平洋に散布したと記した米軍の公文書が発見されていたことが、9日までに分かった。A級戦犯の遺骨が散布された可能性を示す記録はこれまでにも見つかっていたが、公文書で詳細が明らかになったのは初めて。 発見されたのは米軍の報告書2通で、秘密指定の解除後、米公文書館で保管されていた。日本大の高沢弘明専任講師が2018年3月、日本の戦犯に関する調査の過程で入手した。 死刑が執行された1948年12月23日付の報告書には、7人の氏名と共に、散骨を行ったことが短く記載されていた。49年1月4日付のもう1通では、執行から散骨までの経緯が時系列で説明されている。いずれも、現場の責任者だったとみられる米第8軍のルーサー・フライアーソン少佐が執筆した。 報告書によると、死刑執行の当日、少佐らは7人の遺体を巣鴨拘置所から横浜の火葬場に護送。遺骨は骨つぼに入れて第8軍の飛行場に搬送し、「連絡機」と呼ばれる航空機に積んだ。 連絡機には少佐と操縦士が乗り、「横浜の東の太平洋上空約30マイルの地点に進み、GHQ(連合国軍総司令部)の書簡に従って遺骨を広範囲に散布した」という。 高沢氏によると、GHQは死刑執行前に遺骨の散布を求める文書を出していた。報告書には、遺骨を遺族らに返還せず散布した理由は記されていなかった。 高沢氏は「これまで伝聞でしか情報がなかったことが公文書で判明した。執筆者本人のサインもあり、信ぴょう性は高い」と話している。


これまで謎とされてきたA級戦犯7人の遺骨の行方。アメリカで新たに見つかった公文書に「太平洋にまいた」と記されていたことがわかりました。73年目の新事実に遺族が語ったこととは・・・。
 「SECRET」と大きく書かれた公文書。その下には7人の日本人の名前が書かれています。タイトルは「日本の戦争犯罪者7人の死刑執行に関する事実」。これは、アメリカの国立公文書館で見つかった、A級戦犯の遺骨を巡る公文書です。
 第2次世界大戦後の極東国際軍事裁判、いわゆる「東京裁判」。平和に対する罪などで死刑判決となったのは東條英機元総理や廣田弘毅元総理ら7人のA級戦犯です。これまで、遺骨は遺族に返還されず、どのように処理されたのか、詳細は分かっていませんでした。
 今回見つかった文書には、このような記述があります。
 「遺骨は横浜の東、約30マイル(約50キロ)の太平洋上から広範囲にまいた」
 今回、この文書を発見した日本大学の高澤氏は。
 「(これまで)証言レベルで東京湾とか太平洋と理解されていたんじゃないか。文書として出てきたのは今回が初めてではないか。遺骨が後々、神聖視されないように扱われたのではないかと」(日本大学生産工学部 高澤弘明専任講師)
 「けさ、見ました。うれしいとか悲しいとか悔しいという感情は特にありません」(廣田元首相の孫 廣田弘太郎さん)
 廣田弘太郎さん(82)。死刑となった一人、廣田元総理の孫です。
 「お墓があるんですが、そこには遺髪や何かが入れてあります。実際にはもう滅失してしまって、でもそれが遺灰だと思っています」(廣田元首相の孫 廣田弘太郎さん)
 祖父の遺骨の扱いを記した文書が今回見つかったことについては・・・。
 「記録は廃棄したりしないでとってあったことはいいことだと思います。東京裁判というものについて、ああいう裁判が正しかったのかということについては、まだまだ議論すべきところが残っていると思っています」(廣田元首相の孫 廣田弘太郎さん)
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