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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

天然痘(痘そう)とは

2023-06-26
図2. 天然痘の典型的な発疹 (WHO 資料より)
図3. 種痘部位の反応(接種の跡がはっきりと付いて免疫が獲得されたことを示し、“善感”と言う)
図4. 種痘の副作用(全身性種痘疹)

(IDWR 2001年第40号掲載)

 天然痘は紀元前より、伝染力が非常に強く死に至る疫病 として人々から恐れられていた。また、治癒した場合でも顔面に醜い瘢痕が残るため、江戸時代には「美目定めの病」と言われ、忌み嫌われていたとの記録があ る。天然痘ワクチンの接種、すなわち種痘の普及によりその発生数は減少し、WHO は1980年5月天然痘の世界根絶宣言を行った。以降これまでに世界中で天然痘患者の発生はない。


 感染は飛沫感染による。およそ12 日間(7〜16 日)の潜伏期間を経て、急激に発熱する。臨床症状は以下のようなステージに分けられる。
図1. 天然痘の臨床経過
治療は対症療法が中心となる。
予防法は痘苗を接種すること、すなわち種痘であるが、天然痘が根絶された現在、種痘を行っている国はない。
 英国の開業医Edward Jenner が天然痘の予防法として種痘(vaccine)を発明したのは、1796 年のことである。英国ではその頃乳牛にときどき牛痘(cow pox)が流行し、これに感染した乳搾りの女性は天然痘に感染しないことが知られていた。そこでJenner は、乳搾りの女性から牛痘の発疹内容液を取り、8歳の少年の腕に傷を付けてこれを接種したが、その6週後に天然痘の膿を接種しても何も反応がみられなかっ たことが、重大な発見のきっかけとなった。その後、この牛痘ワクチンはヒトからヒトへと植え継がれ、種痘は広がっていった(図3)。種痘が普及した国々では次第に天然痘の発生は治まっていったが、インド亜大陸、インドネシア、ブラジル、アフリカ中南部、エチオピアなどは常在地であった。

キューバ危機【十月の悪夢・破滅の淵の13日】(1962年戦慄の記録)

2023-06-14
放送日:1999年10月30日(2回目)教育 1回目放送:1992年10月28日 総合

「じっくり見たい」

2023-06-10
facebook 朝日新聞(The Asahi Shimbun)さん曰く
カナダ首相、G7広島滞在中に原爆資料館を再訪 「じっくり見たい」 
広島で5月に開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)で、G7首脳らが19日に広島平和記念資料館(原爆資料館)をそろって訪問した後、カナダのトルドー首相が滞在中に再訪していたことがわかりました。
トルドー氏は最初の訪問後、「じっくり見たい」と要望したといいます。


松野博一官房長官は8日午前の記者会見で、5月に開かれた主要7カ国首脳会議G7サミット)で来日したカナダのトルドー首相が、広島平和記念資料館原爆資料館)をG7首脳とそろって訪問した翌々日にも再訪していたことについて、「限られた滞在時間での再訪は有意義」と評価し、政府としての謝意を示した。

 複数の政府関係者によると、5月19日にG7首脳が約40分間、岸田文雄首相の案内で資料館を訪れた後、トルドー氏は「じっくり見たい」と要望し、サミット最終日の21日午後にあらためて訪れた。

 松野氏は会見で「非公式な訪問であるため詳細は差し控える」としつつ、トルドー氏の再訪の事実関係を認めた。そのうえで「限られた滞在時間の中での再訪は、被爆の実相への理解を深めていただく観点からも有意義だったと考えている。政府としても感謝申し上げたい」と語った。(笹川翔平)

本日、広島サミットは閉幕となりますが、日本のG7議長年は続きます。

2023-05-22
facebook 首相官邸さん曰く
法の支配に基づく、自由で開かれた国際秩序を守り抜く。そして、国際的なパートナーとの関与を強化する。G7の議論を主導し、議長年の務めをしっかりと果たしていきます。

G7広島サミット招待国や国際機関のリーダーを平和記念公園にお招きしました。

2023-05-21
被爆者の方々との対話や資料館facebook 首相官邸さん曰く、訪問を通じ、被爆の実相に触れていただきました。世界の多くの人々が願っている「 #核兵器のない世界 」に向けた機運を再び盛り上げます。
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