ちょい話【親鸞編】
仰せを蒙りて【文字データ編】
「易往而無人」の人が無いということ
2020-08-14
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親鸞は、「易往而無人」の人が無いということを、真実信心の人は有り難いと言うのです。有ることが難いと。人間は易往の大道の本願の中にいるのだけれども、にもかかわらず目覚める人がないと。救いはあるけれども自覚がない。だからそれは非常に稀だと書いてある。
業について
2020-10-27
FacebookRIZIN YASUDA
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業には共業・不共業ということがありまして、境遇というものは、これは共業なんだ。水は、人間にとっては飲むものですけど、魚にとっては住処ですわね。そうすると鯛にとって住処である場合にはカレイにとっても住処なんだ。それは業が似ておるんです。カレイと鯛という海水に生きる動物という境遇というものが共通しとる。つまり共同に海を感ずる。共同の運命や。運命の共同体だ。
本当と本当が喧嘩して世の中やかましくなっとる
2020-10-11
現世利益というものがただ悪いというんじゃないのです。
2020-10-03
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つまり言ってみれば、今いろいろ出ている現世利益というものがただ悪いというんじゃないのです。それはなにか低いーー悪いというんじゃない。ほんとうの意味の宗教心を閉ざしてしまうんだ、せっかくのね。だから人間が行き詰るというのは、最高の機会なんだ。出直すためのね。それこそ一つの転機。大きな転換期なんだ。つまり王舎城の悲劇というものを個人に引き受けた。そういうような意味になる。
解脱が悪いのとちがうんだ、解脱が小さいんだ。
2020-09-22
788
そういうわけで、解脱が悪いのとちがうんだ、解脱が小さいんだ。それで解脱というとなにか逃げるという形になる。そうではなくて、解脱という意味をもっと徹底して、解脱で逃げることからも逃げなきゃいかん(笑)。それが世間に住せず涅槃に住せずという、住するところがないんだというところが、これが仏教の住するところ。逃げ出すというようなのは、解脱が小さい、低いからです。解脱といいながらその中にまだ個人性を含んでおる。