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あの人 この人

あの人

女優二人

2021-01-16
Facebook浅見俊彦さんより
【二人の女優】
十朱幸代
 1958~女優

1980震える舌/ブルーリボン賞、主演女優賞
  1985花いちもんめ/ブルーリボン賞、主演女優賞

丘みつ子
    1968東映ニューフェイス、最高点で合格した日に日活入社した現代っ子
    1980年代「日本のお母さん」


昭和の時代、この二人、良く似ていると言われていました

映画ファン 昭和32年1月号グラビア/八千草薫さん

2021-01-15
Facebook永井由紀夫さんより

江夏の21球の頃

2021-01-14
セパが拮抗した時代  FacebookChikafumi Etou より
山本浩、高橋慶、江夏、 北別府、古葉監督

スター誕生

2021-01-14
野口五郎の場合
大当たりとなりました。
Facebook香取三夫さんより
デビュー曲は不発でした。

あなたが必要なのです!

2021-01-12
© 日刊スポーツ新聞社 就任会見で原監督(左)とグータッチで記念撮影する桑田投手チーフコーチ補佐(球団提供)

この人(縁の下の力持ち的存在・・・)

1960年にソフトビニール人形のダッコちゃんが大ブーム

2021-01-20
若い女性を中心に広まり、やがて在庫切れとなる売れ行きを見せました。
Facebook山口 廣さんより

F1の☆達

2021-01-15
オーストリアGP
Facebook池田誉さんより
1986(昭和61)年シーズンのオーストラリアGPに於いて、F1史上最も有名と言われるシチュエーションの1枚

二人のレディーに傷を残したキャスティング

2021-01-13
ジュリーとオードリー
Facebook永井由紀夫さんより
二人のレディーに傷を残したキャスティング
映画「マイ・フェア・レディ」のオリジナルは、ブロードウェイのミュージカル。舞台でコックニーなまりの花売り娘を演じたのはジュリー・アンドリュース。
「マイ・フェア・レディ」はジュリー・アンドリュース主演で大ヒットし、当時としては異例の3年に渡るロングランを記録した。
そうなると当然ながら映画化の話が持ち上がる。映画化の権利を取得したのはワーナー。
当時、あらゆる人がジュリー・アンドリュースがElizaをやると思ったそうだ。  
しかし、映画化権を買ったジャック・ワーナーはそうは思わなかった。
なぜなら、ジュリー・アンドリュースはブロードウェイでは人気でも、当時まだ映画には1本も出演したことがなかったからである。
もっと有名な女優が演じるべきだと考えた。そこで選ばれたのがオードリーである。
オードリーは、このミュージカルを演じるにあたり、相当歌の練習をしたそうである。
実際いまでもオードリーが歌う映像が残っている。
踊り明かそうとか確かに厳しいかなと
ワーナーは最初から歌は吹き替えする予定だったそうだ。
全曲吹き替えると聞かされたオードリーが怒りのあまり撮影現場から去ってしまい、翌日現場に戻ってきて「プロにあるまじき行為だった」とスタッフに謝罪した
一方のジュリー・アンドリュースは、映画版ではスクリーンテストまでしたのに結局主演に選ばれず、そうとう落胆したそうだ。
ブロードウェイ版でヒギンズ教授を演じていたレックス・ハリソンも「有名じゃない」という理由で別の俳優を立てる計画だったそうだ 
白羽の矢が立ったのが、ケーリー・グラントとピーター・オトゥール。ケーリー・グラントは「自分はコックニー訛りの出生だし、そもそもレックス・ハリソンが演じるべき」と断った
ヒギンズ教授の歌は語り調子で何とかなる部分があった
オードリーはケーリー・グラントのように断らなかった。
後に、オードリーは「この役は断るべきだった。あなたがやるべきだった」とジュリー・アンドリュースに謝罪したそうだ。
ちなみに仮にオードリーが断ったとしても、ジャック・ワーナーの次善策はエリザベス・テーラーだったとのこと
メリー・ポピンズ
ジュリーはMy Fair Ladyのスクリーンテストで選ばれなかった後遺症から「私は映画に向いてない」と自虐的だった。
ジュリー・アンドリュースは「では、もしジャック・ワーナーの気が変わって私にMy Fair LadyをやらせてくれるってなったらMary Poppins役は降りて、Elizaをやるから」との条件で了承。
マイフェアレディーとメリーポピンス 
同じ年に公開された因縁の2本の映画。アカデミー賞でジュリーは主演女優賞を受賞し、オードリーはノミネートすらされなかった。
しかしそのジュリーの主演女優賞も、アカデミー会員からの同情票だったという憶測も流れた。
長らくジュリーはオスカー像を屋根裏にしまいこんでいたそうだ。
本当に不幸しか生まなかったキャスティングだった

井上準之助(明治2年3月25日(1869年5月6日) - 1932年(昭和7年)2月9日

2021-01-12
日本銀行第9、11代総裁。山本、濱口、第2次若槻内閣で大蔵大臣に就任。貴族院議員。
没年月日: 1932年2月9日(62歳没) 死没地: 日本 東京府東京市

町子さんです。

2021-01-12
サザエさんのお母さんです。
Facebook永井由紀夫さんより
町子さんは15歳から漫画家として活動し、約半世紀におよぶ漫画画業においてアシスタントをつけずに一人で描いてきた。早くに父を亡くしたことから、母は娘たちに自立した道を歩むことを望み、町子はプロとして、そして一家を支える大黒柱として漫画に向き合ってきた。『サザエさん』は新聞連載のため、一つ出来上がっても息をつく暇もなくまた翌日分の作品を一から考えなければならない。
 常に精神的に追い込まれた状況下でありながら、町子さんは2~3枚候補が上がると、姉妹にどれが良いかを選ばせ、選ばれなかったものは破いて捨ててしまっていたという。今描けるものの中でベストのものしか世に出したくないのである。決して手を抜かない姿勢
「三コマ目でもうわかっちゃって笑ったとしたら、それは失敗作なんです。」(「週刊朝日」昭和43年4月23日号)この言葉を裏付けるように『サザエさん』はしっかりと起承転結を軸に構成されている。町子さんが残した草稿には一つの作品に対し何パターンもの展開が描かれ、熟考された上で発表されたものであることを示している。
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