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【大谷派】教団の動き

真宗大谷派の動きについて

宗務総長より新年の挨拶

2022-01-01
HP真宗大谷派 東本願寺より
─年頭の挨拶─   親鸞に帰れ 宗務総長 木越 渉

新年を迎え、仏祖の御前で身を正し、新たな年を歩み始められたことと拝察します。

 

 未だ収束の見えない新型コロナウイルス感染症によって、お亡くなりになられた方々とそのご家族に、衷心よりお悔やみ申し上げます。そして、約二年に亘り医療の最前線でご尽力いただいている従事者の皆様に、心よりの敬意と感謝を申し上げます。

 

 本年は、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と宣言された、全国水平社(現 部落解放同盟)が創立されて百年の年に当たります。水平社の創立以来、宗門は多くの指摘や糾弾を受けてまいりました。

 それは、親鸞聖人を宗祖といただいている私たちにとって、「同朋」ということの内実が厳しく問われるとともに、「親鸞に帰れ」という呼びかけでもありました。親鸞聖人の教えをいただく私たちにとって、正に信心が問われてきた歴史でもあります。

 

  いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり

                       (「唯信鈔文意」『真宗聖典』五五三頁)

 

 群生である「われら」という言葉の中に、御同朋御同行としてあらゆる人々と共に生きていく道を歩むにあたっての親鸞聖人の根源的な眼(立脚地)がうかがえます。そして、「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれら」という自覚の信心は、立教開宗の大切な視座と言えます。

 それは、宗祖の晩年のお姿を描いた「安城御影(あんじょうのごえい)」からもうかがえます。生き物を狩ることを生業とし、屠沽の下類と蔑まれてきた人々と共に生きられたお姿が、装束や法具からうかがうことができます。

 このように、根源的な課題を明らかにしてくださっている宗祖の教えと姿に照らされ、共に生き合う世界(同朋社会)の実現を願い、今から六十年前に興されたのが「同朋会運動」です。

 この運動を展開していく中で、宗門が潜在的に抱える様々な差別体質が露わになりました。爾来、運動の願いを基底として、部落差別をはじめとする様々な問題を一人ひとりの信心の課題として歩んでまいりました。

 人類に捧げることを願いとする宗門にとって、差別をする人・差別をされた人が共に解放されていくことなくして、「同朋社会の顕現」に努めることを社会的使命として歩む運動の推進はあり得ません。

 

 二〇二三年にお迎えする宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要は、宗祖が出遇い歩まれた念仏の教えを私自身がいただく御仏事であります。そして、差別社会を作り出している私たちの無慚無愧なる相をあらためて確認する法要でもあることを忘れてはなりません。

 慶讃テーマ「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」という人間への問い、根源的な呼びかけに向き合い、生活をあげて共に本願念仏の正信に立ってまいりたいと願うことであります。

水平社創立100周年を迎えて― 西本願寺教団のこれまでとこれから 神戸修氏(1/2ページ)

2022-01-06
中外日報 (chugainippoh.co.jp) 2022年1月6日 09時35分

1922年3月3日、「人間を尊敬する事によって自らを解放せんとする者の集団運動」たる全国水平社が結成された。特に「決議」に掲げられた糾弾は、当時支配的だった「差別は差別される側に原因がある」という自己責任論の拒否と批判を意味し、人権侵害正当化論の定番たるこの自己責任論が現在でも格差や貧困の問題で主張される今日、その思想的意義は再評価されるべきであろう。

ちなみに、宗教的・仏教的自己責任論とでもいうべきものが「悪しき業論」である。また水平社の「同朋・同行としての御開山」という発想も重要である。曰く「念仏称名のうちに賤しいもの穢れたものと蔑まれていた沓造も非人もなんの差別もなく御同行御同朋と抱き合ってくださった」「この御開山が私共の御同行です。私共はこの御開山の御同朋です。」〈註1〉。水平社は活動の力の源泉を親鸞聖人に求めたのである〈註2〉。

一方、西本願寺教団は、水平社を「悪平等論」で批判。「悪平等」とは「御垂示」(大谷尊由〈註3〉管長事務取扱、1922年3月21日)に示され、「演達」(花田凌雲〈註4〉執行 同年同日)には、差別は波の形の違いのようなもので形の違う波は水という点では同じ、という例えの上に「貴賤上下賢愚貧富と様々に別れてあるけれど、みな因縁所生に由るので真如法性の道理より見れば平等の理は具わりている」と示されている〈註5〉。つまり水平社は、「本来の平等」を差別として批判して平等を損なう「悪平等」の間違いを犯している、という批判である〈註6〉。

この「本来の平等」「差別即平等」という発想は「本覚思想」とも呼ばれる。「本覚思想」とは「人間を含む一切合財が、本来清浄であるという証明なしの権威を前提に、ことごとく「一」なる根源的悟り(本覚)にすくい取られているという考え」であり〈註7〉、「社会的差別と自然的差異を無意識に(ときには意図的に)混同することによって、現実的社会的な差別はそのままで平等だという強弁」である〈註8〉。

また水平社の重要な思想に、「人間を尊敬する事」(以下「尊厳」)がある。差別の加害者も、差別により自己肯定するという精神的・人格的に荒廃した「尊厳の喪失」という状況にある。差別・被差別双方からの解放こそが「人類最高の完成」(「綱領」)である。これが「尊厳」の第一の意味である。

第二に、人間の「尊厳」は、現実の人間の生全体の尊厳という意味である。「現世を耐え忍び死後は浄土へ」という慰めは、人間を尊敬するようでありながら、むしろ人間を侮蔑する思想だ。そして宗教が、この「人間侮蔑の思想」に堕していることを「背後世界」「ルサンチマン」「デカダンス」「末人」などの概念装置で鋭く批判したのがニーチェであり〈註9〉、このニーチェを礼賛したのが中村甚哉〈註10〉であった(「或る人へ」、1922年)。

中村のニーチェ礼賛には、被差別者に「部落に生まれたのが因縁、悪いねん、あきらめるしかないんや」〈註11〉という諦めをもたらすような仏教への批判と、生きる力の源泉たる親鸞聖人の再生への願いが伏在していた。

西光万吉の「生の思想」もこの中村の批判と願いに重なるものである。曰く「吾々はあらゆる思想を、それが生命の思想であって死の思想でない限り、それが人間の活動力を増す限り吾々はそれを歓迎する」(「解放の原則」、1921年)。

この西光の「生の思想」と鋭く対立したのが『親鸞聖人の正しい見方』(大谷尊由著、興教書院、1922年)であった。曰く「聖人の同朋主義の価値は、之を法悦生活の上に体験せねばならない、社会改造の基調などに引き付けるには、余りに尊と過ぎる」。

これに対し西光は「業報に喘ぐ」(1922年10月・12月に『中外日報』紙上に連載)で「社会改造の基調を卑しむことは人間生活の半分を卑しむことだ」と反論した。ちなみに、当時中外日報社にあってジャーナリストの立場から水平社運動を援護したのが三浦参玄洞〈註12〉であった(詳細は『本願寺史』増補改訂版 第三巻 本願寺史料研究所、2019年)。

西本願寺教団の対応としては一如会があった。一如会では、糾弾を肯定的に評価し、差別の原因を被差別者の側ではなく加害者の側においてとらえ、加害者の「懺悔」こそが重要であると宣言した梅原真隆〈註13〉が注目される。

水平社創立100周年を迎えて― 西本願寺教団のこれまでとこれから 神戸修氏(2/2ページ)

しかしこの運動は、社会構造や教団の在り方が問われず、差別解消への有効な運動とはなりえなかった(詳細は拙論「一如会は何ゆえに挫折したか」『同和教育論究』33号、同和教育振興会、2013年)。

戦後、一如会的な融和主義的発想への批判を踏まえて起こったのが同朋運動であった。同朋運動の特徴は「差別の現実からの出発」「事件の背景の追求」「加害者の責任の明確化」「被害者の人権救済の重視」である。

1970年の「『大乗』臨時増刊号差別事件」をきっかけに同朋運動は教団全体の運動となり、さらに第24代即如門主より「部落差別は封建制身分社会より引き継がれ、市民的権利と自由を侵害する深刻な社会問題であり、その解決は国民的課題であるとともに、宗門にとって法義上、歴史上、避けて通ることのできない重要課題」とされた『「基幹運動推進 御同朋の社会をめざす法要」に際しての消息』(1997年3月20日)が発布され、「差別法名・過去帳調査」(1983年・97年)などの実績に結び付いた。

「自己責任論の克服」「人間の尊厳」という水平社の問題提起に対する現在の教団の状況では、前者に関しては「悪しき業論」へのさらなる批判と問題意識の共有、後者に関しては、『親鸞聖人の正しい見方』と「業報に喘ぐ」との対決が先取りした、真宗思想と差別、戦争責任などの問題を含めた、宗教と現実社会との関係に関するさらなる議論が重要である。同朋運動から基幹運動への流れを確認し、2012年に始まった現行の「実践運動」において「基幹運動の成果」をさらに生かすことが必要であろう。

2016年12月9日に「部落差別の解消の推進に関する法律」が成立。「部落差別が厳然として存在する」という前提から、特に近年の悪質で確信犯的な差別への対応の必要性を謳ったこの法律の制定は画期的だ。

宗門においても、この法律の精神を受けとめ差別の克服へ一層の努力を傾けることが、宗教教団としての公共性を担保し、その社会的存在意義をより確実にすることになるのである(詳細は拙論「『部落差別の解消の推進に関する法律』の意義について」『宗報』597号、2017年6月号)。

水平社の問題提起には、若い世代の応答が求められる。いつの時代でも若者は希望である。教区や組での研修はもちろん、宗門の大学教育、特に教学を学ぶ場において、こういった水平社の運動や一如会の活動、「業報に喘ぐ」と『親鸞聖人の正しい見方』との論争など、多くの学生に宗教と社会との関係や、差別事件を含んだ近現代の真宗教団史・思想史を深く学ぶ場所が提供されることも重要であろう。

〈註1〉「募財拒否の決議通告」(1922年、『水平』近代文芸資料複刻叢書第7集、世界文庫、1979年)。文中の「決議」「宣言」「綱領」「或る人に」「解放の原理」はこの叢書。
〈註2〉1872(明治5)年の歴史上初の西本願寺教団の部落差別に関する公式文書たる「乙達三七号」では、差別禁止の根拠が前年8月に出された「賤称廃止令」に求められ、差別事件の責任が事件の行為者個人に帰されている。
〈註3〉大谷尊由(1886~1939)。管長事務取扱、拓務大臣などを務めた。
〈註4〉花田凌雲(1873~1952)。執行、勧学、龍谷大学学長などを務めた。
〈註5〉「悪平等」は「単に差異を無くす事を平等と考える事」が本来の意味。
〈註6〉『教海一瀾』(670号1922年4月26日付)。
〈註7〉袴谷憲昭『批判仏教』(大蔵出版、1990年)。
〈註8〉菱木政晴『解放の宗教へ』(緑風出版、1998年)。
〈註9〉『ツァラトゥストラ』(『ニーチェ全集』9巻、吉澤傳三郎訳、理想社、1969年)、『遺稿』(同13巻)など。
〈註10〉中村甚哉(1903~45)。本願寺派僧侶。全国水平社創立大会に参加、全国水平社青年同盟中央委員などを務めた。詳細は「中村甚哉と真宗信仰」(奥本武裕『同和教育論究』35号 同和教育振興会、2014年)。
〈註11〉西岡映子「米びつの底たたいて」(1950年代後半の大阪の「住宅要求期成同盟」の闘いの回想手記)、『部落史をどう教えるか』(寺木伸明他、解放出版社、1993年)所収。
〈註12〉三浦参玄洞(1884~1945)。本願寺派僧侶。西光万吉、駒井喜作などと親交。詳細は『三浦参玄洞論説集』(浅尾篤哉編、解放出版社、2006年)及び「『三浦参玄洞論説集』刊行によせて 上・下」(藤本信隆『同和教育論究』27号・28号、2006年・08年)。
〈註13〉梅原真隆(1885~1966)。執行、一如会協議会議長、参議院議員、富山大学学長などを務め、同和教育振興会設立に大きな役割を果たした。
浄土真宗本願寺派宗会議員・同和教育振興会事業運営委員 神戸修氏
こうべ・おさむ氏=1960年、大阪府生まれ。龍谷大卒。同大大学院文学研究科博士課程(真宗学)単位取得退学。大阪芸術大付属大阪美術専門学校講師(倫理学)、同大短期大学部講師(人権学)などを歴任。堺市北区・浄土真宗本願寺派西教寺住職。現在、同和教育振興会事業運営委員や本願寺派宗会議員を務める。著書に『戦時教学と浄土真宗』『人権理解の視座』『人権侵害と戦争正当化論』『十五年戦争下の西本願寺教団』。

宗務総長に木越渉氏 行財政改革、内局案具現化に意欲 真宗大谷派

2021-10-20
記者会見で改革のキーワードを「シンプルだが効果的に」と語る木越氏
2021年10月20日 13時20分 「キーワードは『simple but effective』(シンプルだが効果的に)

真宗大谷派は14、15日の宗会臨時会で新宗務総長に石川県かほく市・光專寺住職の木越渉氏(64)を選出した。

木越氏は15日夕の記者会見で、但馬前総長の遺志を継いで内局案を実施計画に仕上げることが自身の役目と語り、改革の内容について「キーワードは『simple but effective』(シンプルだが効果的に)。シンプルでないと公平性や透明性は生まれないと思う。そういう改革をスピード感を持って目指したい」と説明した。(詳細は2021年10月20日号をご覧ください。中外日報購読申し込み

宗務総長に木越渉氏 真宗大谷派

2021-10-15
宗務総長に就任する木越渉氏
京都新聞 2021年10月15日 17:23

真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)の事務トップとなる宗務総長に15日、元参務の木越渉氏(64)が就任した。

 木越氏は大谷大院修了。自坊は石川県かほく市の光専寺。2006年から宗議会議員を務め、現在5期目。閣僚に当たる参務も2012~17年に3度務めた。

 15日に宗会が開かれ、僧侶で構成する宗議会と、門徒で組織する参議会で投票を行った。両議会で木越氏が指名され、大谷暢裕門首が認証した。宗会では9月23日に急逝した但馬弘・前宗務総長の追悼演説も行われた。

 木越氏は会見で、行財政改革など但馬前内局の方針を引き継ぐ考えを示し「みんなの声を大切に聞き、まとめ、仕事をする内局を編成したい。シンプルだけど効果的な改革を進めていきたい」と抱負を語った。

真宗大谷派真宗興法議員団 新代表に木越渉氏選出

2021-09-30
2021年9月30日 10時23分

真宗大谷派宗議会の与党会派・真宗興法議員団は29日の代表選挙で新代表に木越渉議員(64)を選出した。同議員は10月中旬招集の宗会臨時会で宗務総長に指名される見通しだ。

木越氏は議員歴5期。里雄前内局と但馬内局で計5年間参務を務め、現在は興法議員団の政策調査会会長として会派内の政策議論の取りまとめに当たっている。自坊は石川県かほく市の光專寺。

真宗大谷派って?

門首の紹介

2022-01-23
門首もんしゅは、真宗大谷派のすべての僧侶及び門徒を代表して、真宗本廟の宗祖親鸞聖人御真影のお給仕と仏祖崇敬ぶっそそうきょうの任にあたるとともに、僧侶及び門徒の首位にあって、同朋どうぼうとともに真宗の教法を聞信する地位として定められています。
現在の門首は、第26代大谷暢裕おおたにちょうゆう門首です。
第26代大谷暢裕門首
就任にあたっての挨拶

このたび、全国の門徒同朋の皆さまの信託をいただき、真宗大谷派第26代門首の座を継承させていただくことになりました。

ここに大谷暢顯前門首が24年にわたり教法聞信きょうぼうもんしん本廟護持ほんびょうごじの門首の責務を全うされ、同朋との交わりを深めてこられたことに、心からの敬意と感謝を申し上げます。

思えば10年ほど前、鍵役、開教司教のお話をいただき、2014年には門首後継者に選定いただきました。ブラジルで育ち、何も分からず不安な思いを抱えながらでありましたが、多くの方々にお支えをいただき、今日まで歩みを進めることができました。

この上は、同朋会運動どうぼうかいうんどうをとおして確かめられた「宗憲」のもと、皆さまと共に真宗の教法を聞信し、仏祖崇敬ぶっそそうきょうの任にあたり、同朋社会の実現に身命を賭してまいる覚悟であります。

願わくは、宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要きょうさんほうようを機縁として、世界中に南無阿弥陀仏のみ教えを届けるべく、力を尽くしてまいりますので、皆さま方からのご支援を、何卒よろしくお願い申し上げます。

大谷おおたに ゆう 新門しんもん(開教司教)
大谷暢顯おおたにちょうけん 前門ぜんもん(第25代門首)

【ダイジェスト版】門首継承式(2020年11月20日)

2021-04-01

真宗大谷派 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌 御正当報恩講 結願日中

2021-04-07
平成23年11月28日 真宗大谷派 真宗本廟(東本願寺)御影堂

平成23年11月28日 
宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌
御正当報恩講 結願日中(楽)[坂東曲] 
真宗大谷派 真宗本廟(東本願寺)御影堂

真宗大谷派の原点は、真宗本廟です。

2022-01-22
真宗本廟は、真宗大谷派の帰依処です。
東本願寺について
浄土真宗「真宗大谷派」の本山で「真宗本廟」といい、一般に「東本願寺」と呼ばれています。
御影堂ごえいどうには宗祖・親鸞聖人の御真影ごしんねいを、阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しています。宗祖親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって聖人の墳墓の地に御真影(お姿をそのまま写して作られた木像)を安置する廟堂びょうどうが建てられました。これが東本願寺の始まりです。
境内建物は江戸時代に4度の火災に遭い焼失しましたが、現在の建物は、全国のご門徒のご懇念こんねんにより、明治時代の再建さいこん事業によって完成したものです。2011年の宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌ごえんきの特別記念事業として大規模な修復がなされ、現在、御影堂・阿弥陀堂・御影堂門などの6棟は国の重要文化財に指定されています。
御影堂

境内のほぼ中央に建つ、宗祖親鸞聖人御真影ごしんねいを安置する真宗大谷派の崇敬の中心をなす重要な建物です。
正面76m、側面58m、高さ38mの規模をもつ世界最大級の木造建築物で、2019年に国の重要文化財に指定されています。
現在の御影堂は、蛤御門の変による焼失の後、 1895(明治28)年に再建されたもので、阿弥陀堂、御影堂門とともに2011(平成23)年の宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の特別記念事業として大規模な修復がなされました。
堂内の正面中央に親鸞聖人の御真影が安置されており、左右には歴代門首の御影や第8代蓮如上人の御影、また十字・九字名号が掛けられています。
内陣・外陣に敷かれた畳をあわせると927畳にも及びます。
阿弥陀堂

御影堂の南側に建ち、御本尊・阿弥陀如来を安置するお堂です。
御影堂と同じく1895(明治28)年に再建され、正面52m、側面47m、高さ29mの規模をもちます。
阿弥陀堂の内陣は、『仏説阿弥陀経』の世界が表現され、天井から柱にいたるまで金色で荘厳されています。また、御本尊・阿弥陀如来の左右には、法然上人をはじめとする七高僧や聖徳太子の御影像が掛けられています。
御影堂門

正面21m、側面13m、高さ27mで、木造建築の山門としては世界最大級であり、木造建築の二重門としては、日本一の高さと言われています。
重層造りで、楼上には東本願寺の正式名称である「真宗本廟」の額が掲げられ、浄土真宗の根本聖典『仏説無量寿経』が説かれた場面を表す、釈迦如来・弥勒菩薩・阿難尊者の三尊像が安置されています(通常非公開)。
阿弥陀堂門

御影堂門の南側に建つ、切妻造・唐破風付の四脚門形式の門です。
江戸時代には「唐門」と呼ばれており、明治時代の火災による焼失後、1911(明治44)年に落成されました。
鐘楼

朝のお勤めの合図や、法要などが勤まる前に撞かれる撞鐘が吊り下げられています。
現在の撞鐘は、 2010(平成22)年におよそ400年ぶりに新調されたものです。
手水屋形

手水屋形は入母屋造り、本瓦葺きであり、石の水盤が据えられ、その上に乗せられた銅製の竜の口から水が注がれています。竣工は1895(明治28)年頃と言われています。

枳殻邸です。

2021-11-28
Facebook 阪下 大介さん曰く

教団の歴史

本願寺の軌跡 -創建から東西分派、そして現代へ- 草野顕之著

2021-11-14
『中外日報』の書評

日本仏教史や真宗史の研究で知られる著者が真宗大谷派の月刊誌『同朋』の2020年7月号~21年2月号に計8回連載した「本廟創立と東本願寺の歴史-その時代と教えの伝統」と加筆分を集成した一冊で、本願寺の起源となった大谷廟堂から現在の真宗本廟(東本願寺)に至る歴史を専門的な知見や写真・図を交えて平易に叙述している。

『同朋』の連載と本書の刊行は今年が大谷廟堂の建立から750年の節目に当たることを踏まえたもので、全9章で構成。親鸞聖人の墓所である大谷廟堂が京都・吉水の北はずれに創建された経緯から覚如上人による寺院化、蓮如上人の中興、戦国期の本願寺教団の権門化、石山合戦と東西分派までを取り上げた『同朋』の連載に加え、第9章「江戸時代から近現代の真宗本廟」を書き下ろした。

近年の研究を踏まえた知見も盛り込まれている。例えば、廟堂の管理者の継職を巡って覚恵と唯善が争った唯善事件について、唯善の「野望」や「策謀」との従来の評価に対し、中世の土地寄進や返還に関する慣習から唯善の主張が「社会的には一定程度の正当性を持って受け入れられました」との側面を解説している点が興味深い。

全編80㌻余りの短めの分量で読みやすい一方、内容の密度も濃い良書だ。

定価1540円、東本願寺出版(電話075・371・9189)刊。

「石山合戦関係図」(『新修大阪市史第2巻』掲載の図を元に作成)

2021-11-13
Facebook 八軒家かいわいマガジンさん曰く
天正六年(1578)十一月六日:毛利水軍、木津沖で信長配下の九鬼嘉隆の水軍に敗れる(大阪市史編纂所)
「石山合戦関係図」(『新修大阪市史第2巻』掲載の図を元に作成)
織田信長と摂津国石山本願寺に拠る本願寺第 11世顕如との間で元亀1 (1570) 年から天正8 (80) 年までの 11年間にわたって続けられた合戦。室町時代中期以降,浄土真宗 (一向宗) 教団の伸張は著しく,一向一揆は,領主,守護大名などに対する戦いを広範囲に展開した。本願寺第 10世証如は,第8世蓮如の建立した石山道場を同宗の本寺とし,寺域を広げ,防備を固め,門前に新興商工業者を集め,やがて同寺は一大領主勢力に発展した。浅井,朝倉両氏を討って全国統一を目指す織田信長は元亀1年,本願寺打倒に立上がり,本願寺はその興廃をかけて全国門徒を対信長戦に駆りたてた。以来,天正8年3月,顕如が信長と和して本願寺を信長に渡し,同年4月,紀伊雑賀 (さいが) に退くまで合戦は続けられた。この間,信長は一向宗門徒を近江,長島,雑賀に討ち,浅井,朝倉両氏を滅ぼし,武田氏を長篠に討ち,さらに伊勢に北畠氏を滅ぼし,一方,中国征伐の軍を起すなど,本願寺を孤立させていった。石山本願寺の降伏は,信長の畿内および周辺に対する政権の確立を意味する(百科事典マイペディア「石山合戦」)。

京都世界遺産を深掘り【14.龍谷山 本願寺(西本願寺)】

2021-11-22
Facebook 佐々木信雄さん曰く
京都世界遺産を深掘り【14.龍谷山 本願寺(西本願寺)】
 通称「西本願寺」は、京都市下京区七条上ルの堀川通りに面した地にあり、浄土真宗本願寺派の本山であり、山号は龍谷山、正式名称は「龍谷山 本願寺」である。真宗大谷派の本山「東本願寺」(正式名称「真宗本廟」)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。
 弘長2(1262)年、浄土真宗開祖「親鸞」が入滅する、享年90。文永7(1272)年、親鸞の末娘 覚信尼は、親鸞の廟堂として京都東山に「大谷廟堂」を建立する。そして、元亨元(1321)年、第3世 覚如が大谷廟堂を寺格化し「本願寺」と号すると、親鸞を開祖と定め、以後「御真影」を安置している寺を「本願寺」と呼称するようになった。
 覚如は、親鸞の門弟門徒を「本願寺」のもとに統合しようと企図するが、強大な経済力・軍事力を有する延暦寺以下の既存寺院によって弾圧を受けて、低迷を余儀なくされた。また、東国などでは親鸞の門弟たちによる教団が展開され、浄土真宗は決して本願寺に一本化されたわけではなかった。
 長禄元(1457)年、第8世「蓮如」が本願寺を継承したころには、本願寺は衰亡の極みで青蓮院の一末寺としてかろうじて継承されていた。寛正6(1465)年、本願寺は延暦寺衆徒によって破却され、蓮如は京都から近江に難をさけ、そして越前(福井県)吉崎に移り布教する。
 中興の祖とされる蓮如の布教により、門徒(真宗教徒)は東国に拡がりをみせ、北陸では加賀国守護富樫氏の内紛に関わり、やがて百年にわたる「加賀国一向一揆」にまで展開する。蓮如は一揆の鎮静をはかるが収められず吉崎を退去する。明応6(1497)年、蓮如は大坂石山に「大坂御坊」(大坂本願寺)を建立し隠棲、明応8(1499)年、山科本願寺で入滅する。
 戦国の100年間に、本願寺は日本有数の大教団として、また強力な社会的勢力としての地位を得た。これは、教団の自衛としての意味もあるが、力を付けた民衆の解放運動のささえとなり、社会変革の思想的原動力ともなった。それは一方で、戦国大名など世俗権力との軋轢もまねき、その最大のものが、約10年にわたる「石山合戦」である。
 天下統一をすすめ京都に入った信長が、元亀元(1570)年、浄土真宗門徒の本拠地、大坂石山の「大坂本願寺(石山御坊)」からの退去を命じたが、石山本願寺勢力は信長に徹底抗戦する。10年にわたる交戦のあと講和が成立するが、徹底抗戦勢力が籠城したため、「大坂(石山)本願寺」には火が放たれ灰燼と化した。
 まもなく「本能寺の変」が起こり、信長が自害すると、あとを継いだ豊臣秀吉により石山本願寺跡地を含む一帯に「大坂城」が築かれた。本願寺は、秀吉の寺地寄進をうけて大坂の天満(てんま)に移るが、さらに天正19(1591)年、豊臣秀吉から京都に寺地の寄進を受け、現在地に移転した。
 「石山合戦」で和議を受け入れた第11世門跡 顕如は、徹底抗戦を唱える長男 教如との間にしこりが残り、教団の内部も穏健派と強硬派に分裂し、これが東西本願寺分立の伏線となった。顕如入滅にともない、教如が本願寺を継承するが、穏健派は三男の准如に継職させるよう秀吉に願い出て、弟の准如が第12世本願寺宗主となる。
 関ヶ原の戦い後、天下人となった家康に接近した教如は、家康から「本願寺」のすぐ東の烏丸六条の寺領を寄進され、教如はここを本拠とする。かくして本願寺教団は、「准如を12世宗主とする本願寺教団(真宗本願寺派/西本願寺)」と、「教如を12代宗主とする本願寺教団(真宗大谷派/東本願寺)とに分裂することになる。正式には、慶長8(1603)年、上野厩橋(群馬県前橋市)の妙安寺より「親鸞上人木像」を迎え、「本願寺(東本願寺)」が開かれた。
 西本願寺境内には桃山文化を代表する建造物や庭園が数多く残されており、国の史跡に指定され、ユネスコ世界文化遺産に「古都京都の文化財」として登録されているが、観光寺院ではなく信仰を旨とする寺であるため拝観料は無料で、境内および国宝の御影堂や阿弥陀堂に自由に入ることができ、国宝の唐門もすぐ横まで行ける。
 東西の本願寺は、五条通りから七条通りの京都の中心地に広大な土地を所有する。その所有地に多くの民家が建ち、借家も多く、それらの借家には高齢者夫婦などが住まっている。古くからの借家は家賃が安いので、高齢者は移転が難しく、下京区の高齢化が進んでいるという。
 この地区はJR京都駅の北面にあたり京都の玄関口であるが、商業集積は比較的遅れており、京都の商業中心地は四条河原町周辺に奪われている。これは、五条通りから京都駅前の塩小路通りに挟まれた広大な中心地域が、商業に積極的でなかった東西本願寺と旧国鉄の所有地であったためと言われている。

真宗王国「御影」が礎、 教如、北陸に大量授与!大桑斉さん(大谷大名誉教授)発表 (2020.7)

2021-04-04
 大桑さんは、宗祖の親鸞、父顕如の御影の大量発給で道場的な場を寺院として再編し、現在の真宗教団の基礎をつくったとみている。これらの成果は遺作となった著書、本願寺 教如教団形成史論(法蔵館)に発表した。
能美郡四講に授与された宗祖の親鸞(1173~1263)の御影、いずれも小松教区提供
1595年に教如から能美郡(のみのごおり)四講(しこう)に授与された父顕如(1543~1592)の御影。能美郡四講は224の村で構成する講組織で現在の真宗大谷派小松教区に当たる。
 戦国時代に天下統一を目指す織田信長に徹底抗戦し、その後、東本願寺(浄土真宗)を開いた教如(1558~1614)。
教如が歴代宗主の肖像画である御影(ごえい)を大量に全国の寺院に授与していたことが、
今年4月に82歳で亡くなった大谷大名誉教授、大桑斉さん(金沢市出身)の研究で分かった。
確認した御影は386点。授与先は「真宗王国」といわれる北陸が多かった。

分岐点について

2021-11-13
Facebook 八軒家かいわいマガジンさん曰く
天正六年(1578)十一月六日:毛利水軍、木津沖で信長配下の九鬼嘉隆の水軍に敗れる(大阪市史編纂所)
改訂【かいわいの時】
天正六年(1578)十一月六日:毛利水軍、木津沖で信長配下の九鬼嘉隆の水軍に敗れる(大阪市史編纂所)
大敗を喫した木津川口海戦から二年、信長は伊勢の九鬼嘉隆に命じて大型の軍船六艘の建造をすすめていました。この軍船には大砲三門が備えられ、火矢や弾丸をはね返す鉄板の装甲が施されていました。長さ十八間(三十二㍍)、幅六(十一㍍)の巨大船。この「鉄の船」六艘に大型軍船一艘を加えた船団で信長は再度木津川口を奪回。海上を封鎖します。これが天正六年七月。その後、荒木村重が本願寺側に寝返って信長は足元を掬われます。朝廷による斡旋もあり、信長と顕如の間で和睦の動きが出てきました。そんな状況の中、同年十一月六日、再び毛利水軍六百艘が木津川沖に出現、兵糧を本願寺に搬入しようとします。これを迎え撃ったのが前述の九鬼嘉隆率いる巨大な鉄船です。毛利軍の火矢をもろともせず、近寄せるだけ近寄せておいて大砲を放ちます。さすがの毛利水軍もこれにはたまらず敗走、信長の鉄の船の大勝利に終わります。この勝利で自信を得た信長は和睦策を撤回。以降、本願寺は海上からの輸送路を絶たれてしまうことになります(平野)。

宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃のページ

旗印です。

2021-12-01

宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要特設サイト

2021-09-26
真宗大谷派(東本願寺) (higashihonganji.or.jp)

真宗本廟お待ち受け大会・本廟創立七百五十年記念大会(2021年4月5日 10時~)

2021-04-05
記念法話 池田勇諦氏(真宗大谷派僧侶・同朋大学名誉教授)  講題「慶喜奉讃に起つ」
池田勇諦氏(真宗大谷派僧侶・同朋大学名誉教授)
真宗本廟お待ち受け大会・本廟創立七百五十年記念大会(2021年4月5日 10時~)
「慶喜奉讃に起つ」との講題のもと、池田勇諦氏(同朋大学名誉教授)による記念法話がありました。
池田氏は、来たる慶讃法要について、本廟創立の精神に立ち返り、本願念仏の僧伽(サンガ)の伝統に召される慶びとともに、背負う責任を確認する御法要であるという原点を確かめつつ、技術・文明の発展を享受しながら孤独や不安、様々な問題を露呈する現代にあっては、あらゆる存在が南無阿弥陀仏のいのちによってつながる根源的連帯に回帰することこそが課題であると、法要から私たちが願われる歩みを明らかにされました。


講演の中で、先生は、11月20日に行われた
門首継承式」での次の門首挨拶の言葉を引用されて、ここに、今回の慶讃法要の意、願いが、すでに明らかにされていると述べられました。
門首継承式 での門首挨拶】
700人の参拝者を前に大谷暢裕門首の挨拶がありました。門首は、はじめに20日に門首継承式を無事に終えたことを報告し、「本日の御正忌報恩講を新たなる出発点として、2023年にお迎えする慶讃法要、そして慶讃法要後の宗門の更なる興隆発展に向け、大谷暢顯前門の果たされた大切なお役目を引き継ぎ、世界中の人々に「南無阿弥陀仏」を届け、「四海の内みな兄弟とするなり」の同朋の輪の広がりに微力を尽くしてまいりたい」と述べました。

2023年に宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要をお迎えするにあたり開催される「真宗本廟お待ち受け大会・本廟創立七百五十年記念大会」をライブ配信します。

 【日程】
       開会/宗務総長挨拶/勤行/記念法話/門首挨拶/閉会 
      記念法話 池田勇諦氏(真宗大谷派僧侶・同朋大学名誉教授)      講題「慶喜奉讃に起つ」
  Messages /Saudações ⇒ https://bit.ly/31JX94x

「京の冬の旅」で御影堂門内部を特別公開します(1/8~3/18)

2021-12-17

2022年の「京の冬の旅」(1月8日~3月18日)にて、東本願寺の御影堂門特別公開を行います。

 

「京の冬の旅」は、京都市・京都市観光協会が主催し、文化財や伝統文化・産業などの奥深い京都の魅力を伝え、ゆっくりと観光を楽しんでいただくためのキャンペーンで、今回で56回目を迎えるイベントです。

2022年冬は、14カ所の特別公開が実施され、東本願寺としては今回が初めての参加となります。

 

普段は非公開の御影堂門の楼上(内部)が見学できる貴重な機会です。

御影堂門の楼上内部には、釈迦三尊像が安置されているほか、楼上から見渡す景色は、南側に京都駅や京都タワー、東側には東山連峰や京の町並みが、西側には御影堂・阿弥陀堂が普段とは違った角度からご覧いただけます。

 

この機会に、ぜひご参加ください。

 

【期間】

2022年1月8日(土)~3月18日(金)

※インターネットでの「事前予約優先制」です。(当日空きがあれば見学も可)

※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、15分間隔で各時間帯最大30名までの人数制限があります。

 

見学時間や料金・申込等、詳しくは「京の冬の旅特設サイト」をご覧ください。

特別公開 ひがしほんがんじ ごえいどうもん 東本願寺 御影堂門 特別公開 2022年1月8日(土)~3月18日(金)

~「お東(ひがし)さん」の入口 日本一高い木造楼門初公開!~

2023年に「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」を迎える真宗大谷派の本山で、正しくは「真宗本廟」。世界最大級の木造建築・御影堂など諸堂が並ぶ境内の入口に聳える御影堂門(重文)は、明治44年の再建。高さ約27mの日本一高い木造楼門(二重門)で、上層には釈迦如来と弥勒菩薩、阿難尊者の三像が安置されている。楼上からは東山連峰を望み、京都のメインストリート・烏丸通や市街を見渡す眺望が楽しめる。

九州大谷短期大学からのプレゼンです。

2021-09-25

全国の別院・教務所では、今・・・。

『別院探訪』

2021-09-15

A5判 244頁
木場明志 監修 川村赳夫 写真
978-4-8341-0449-3
3,080円(税込) 

2000年7月号から2004年12月号まで真宗大谷派機関誌『真宗』で連載された表紙企画を再編集し、単行本化。全国に存在する別院の「これまで」を文字として、「いま」を写真として伝える一冊。地域の教化の中心道場たる別院の設立と変遷の歴史、地域の御同朋の信仰の歩みを記録するとともに、別院参拝時に活用できるようアクセスマップや年中行事等も掲載。
全国の真宗大谷派の別院について、その歴史や沿革を一つの書籍としてまとめたものはこれまで『本願寺誌要』(明治44年4月発行 大谷派本願寺誌要編輯局)しかなく、別院に関する貴重な歴史的資料ともなる書籍。

Facebook 大谷派別院の儀礼と仏事

2021-09-26
管理人は、当山住職です。
Facebook 真宗大谷派教務所のページ

真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2022-01-02
新年あけましておめでとうございます。 本年もよろしくおねがいいたします。

ブラジル別院の報恩講2021

2021-12-13
Facebook つかもとちこうさん曰く

真宗大谷派四日市別院のある町は、大分県宇佐市四日市です。

2021-12-12
東(真宗大谷派)西(浄土真宗本願寺派)の二つの別院が隣接して建っています。
写真の左が東別院、右が西別院です。

大谷婦人連盟のページ

真宗大谷派大谷婦人会宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃事業 

2021-04-21
慶讃法要お待ち受け全国大会 -
(写真右が大谷妙子前会長)

真宗大谷派大谷婦人会 宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃事業として慶讃法要お待ち受け全国大会をインターネットライブ配信にて開催します。

13時

  開 会

   但馬 弘 宗務総長挨拶

 

真宗大谷派大谷婦人会 

    会長就退任セレモニー

   大谷妙子 大谷婦人会前会長挨拶

   大谷サチカ 大谷婦人会会長挨拶

13時45分 

真宗大谷派大谷婦人会 

創立130周年記念法話

  講師:藤原正寿 氏(大谷大学准教授)

 

月輪満子 大谷婦人会委員長挨拶


15時(予定)閉 会

通信すみれ22.indd (jodo-shinshu.info)
大谷サチカ 大谷婦人会会長
『文化時報』

妙子会長が勇退表明 門首継承と同時期に 大谷婦人会

 真宗大谷派の大谷婦人会は9日に開いた委員協議会で、大谷暢顯門首の夫人である妙子会長が、来年に会長職を退く意向を明らかにした。勇退後の待遇や役職については今後、会で協議される。
 
 来年で設立130周年を迎える大谷婦人会は、寺族や門徒の聞法する場として発展し、全国に約290支部、1万2000人の会員を擁する。
 
 妙子会長は1996年9月に会長に就任し、2016年7月には大谷暢裕門首後継者の夫人である幸香さんが副会長に就任していた。暢顯門首が20年6月30日で退任し、暢裕門首後継者が7月1日に門首に就任することから、門首継承と時を同じくして会長職を退くこととなる。

真宗大谷派・暢顯門首退任へ 来年7月に暢裕氏が継承

2022-01-09
投稿日 2019年8月23日
ご門首ご夫妻とと記念写真

真宗大谷派(本山・東本願寺 京都市)では、来年6月末に暢顯門首が退任し、7月1日より暢裕氏が第26代門首に就任することが発表されました。

2023年にお迎えする宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の慶讃法要はあらたな門首にて執行されることになります。

現、暢顯門首には、大変親しみを感じさせていただいておりましたので、ご健康に留意くだされご健安にてお過ごしくだされますことを念じ申し上げます。

東本願寺ホームページ:http://www.higashihonganji.or.jp/news/important-info/30509/

真宗大谷派三条教区・三条別院の宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要の最終日

真宗大谷派、次期門首に 暢裕氏 継承審議会選定へ

2022-01-09
京都新聞【2014 年 04 月 05 日 09 時 48 分】

東本願寺親鸞聖人七百回大遠忌法要7(布教使集会・青少年全国大会など)

2020-04-13
・布教使集会(篷茨祖運・仲野良俊) 
・青少年全国大会 青年弁論大会
 (北海道地区仏青代表 宮本国旺)
・大谷派全国合唱のつどい
  (大谷楽苑演奏)  
   「歓喜のカンターター」
   作詞・大谷智子裏方 
   作曲・木下保
 「板敷山」
   作詞・長田恒雄 
   作曲・清瀬保二

 (1961.4.14~27
 
  東本願寺本山本願寺大師堂
      ・高倉会館・大谷ホール)

 
大谷智子(さとこ) 東本願寺24代裏方
大谷智子 大谷光暢法主(23007008313)
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