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兵器・武器

闘いの転機(戦いの前と後)

2020-09-21

花山さんだけが知る東条の最期。
多くの人が犠牲になった悲劇の責任者は、戦争についてこのように語ったといいます。
故・花山信勝さん(カセットテープの声)
「人間の欲望というものは本性であって、国家の成立というようなことも「欲」からなるのだし 、自国の存在だとか、自衛というようなきれいな言葉で言うことも みな国の欲である」

 これは、何を意味する言葉なのか。東条の研究をしている埼玉大学の一ノ瀬俊也教授は、こう説明します。   「東条も戦争に負けた後、“この戦争ってなんで起こったんだろう。自分はその間、何をしていたんだろう”と非常に深く考えたと思います。その中で戦争は人間の欲望によって、起こるものだということを、仏様の道について学ぶ中で悟ったんじゃないかなと思います」(埼玉大学 一ノ瀬俊也 教授)

教戒師 花山信勝師の音声記録

2020-09-21

カセットテープの音: 「いよいよ死に直面したこれらの人たちの気持ちを、子々孫々へ伝えねばならないのです」  穏やかな声で語り続ける男性。一体誰なのでしょうか? 「教誨(かい)師の花山信勝という方」(蓮成寺 青木住職)

 教誨師とは、刑務所などで受刑者に対して精神的なケアなどを行う人のこと。  花山信勝さんは戦後、GHQ管理の下、戦犯者が収容されていた「巣鴨プリズン」で、教誨師を勤めていた僧侶です。

 このテープは、晩年の花山さんが当時の体験を記録として残したものでした。
  故・花山信勝さん(カセットテープの声): 「誰も知っていない東条さんの最後が、どうであったかということの点を申し上げたい」  
花山さんは、太平洋戦争開戦時の首相で、A級戦犯として絞首刑になった東条英機とも面談していたのです。
故・花山信勝さん(カセットテープの声): 「(東条英機は)“巣鴨プリズンに入ってから、初めて人生という問題について考える余裕ができた”と言われたのです。気の毒な人だったなと思います」

 1948年12月、東条らA級戦犯者7人の死刑が執行され、連合国の代表らとともに、唯一の日本人として立ち会ったのです。
「これが初めて(花山さんが) このお寺にみえた時の写真なんですね」(蓮成寺 青木住職)
  青木さんの父親・順正さんと親交のあった花山さんは、処刑に立ち会った約3か月後に蓮成寺を訪問。  講演で、当時の様子を語りました。 「(花山さんの話を聞くために) 人が庭まであふれているんですね。たくさんの身内を亡くした人たちも、日本の指導者にひどい目に遭わされた。その人(東条)がどんな形で亡くなったかというのは関心があったわけですね」(蓮成寺 青木住職)

山口多聞 ミッドウェー海戦において戦死。最終階級は海軍中将 。

2020-09-18
1892年(明治25年)8月17日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。海兵40期次席 ・海大24期次席 。
空母飛龍です。ミッドウェー海戦において沈没。

栗田健男中将

2020-09-18
1889年4月28日 - 1977年12月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校38期卒業。

南雲忠一中将

2020-09-18
海兵36期。太平洋戦争初期から中期にかけて第一航空艦隊および第三艦隊司令長官を務めた後、サイパンの戦いで自決。死後一階級特進により、最終階級は海軍大将。
第一航空艦隊および第三艦隊の航空母艦
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