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政局について

日本の政局について

「石原慎太郎」日本の夜明けを夢見し遺言。

2024-02-10
2013年2月12日 衆議院 予算委員会にて、冒頭、遺言のつもりと石原氏らしい出だしで始まるが、憲法をはじめ、天皇に関して、また靖国参拝といった議題まで、豊かな人生経験と、積み上げられた思想が色濃く出た国会名場面となっている。
【石原慎太郎】「完璧に死んでみせる」“死への葛藤と覚悟”つづる
【石原慎太郎】「完璧に死んでみせる」“死への葛藤と覚悟”つづる
先月1日に亡くなった、作家で元東京都知事の石原慎太郎さんが最期に書き残した文章が見つかりました。ワープロで打たれた約2100文字の原稿には、死に直面した石原さんの葛藤がつづられていました。
 ◇ 「死への道程」。これは、先月89歳で亡くなった石原慎太郎さんが、余命3か月と宣告を受けたあと、自身の心境をワープロでつづった原稿です。 死を前にした石原さんの葛藤が、文学者ならではの表現で描かれていました。 石原さんは、親族に文藝春秋への掲載を託し、10日、世に出ることになります。 文章は、去年10月19日、続いている腹痛の原因を調べようと、病院を訪れた場面から始まります。 「あれは一目にも恐ろしい光景で、私も思わず息を飲んで今さらおいつくまいと覚悟しながら画面一面満天の星のように光り輝く映像を眺めながら、『これで先生、この後どれほどの命ですかね』質したら、 即座にあっさりと『まあ後三ケ月くらいでしょうかね』宣告してくれたものだった。以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない」 石原さんは病院での検査で膵臓(すいぞう)がんの転移が見つかり、余命宣告を受けたのです。 「以来果てしもない私自身の『死』をからめてあらゆる思索の手掛かりとなりはてて頭の中ががんじがらめとなり思考の半ば停止が茶飯となり、私の文学の主題でもあった「死」はより身近なものとなりおおせた」 実は余命宣告を受けた日、長男の伸晃氏には電話で伝えていました。 長男 石原伸晃さん 「本人から『俺は死ぬ俺は死ぬ』って電話来たんで、家族としては辛かったですね。かなり高揚している感じがしました」 死に直面した石原さん、その葛藤をこうつづっています。 「『死』の予感とその肌触りは人間の信念や予感までを狂わせかねない」 そして―― 「ただ瞳を凝らし、待ち受けることしかありはしない。それに向かって昇る階段の数を数えることすらゆるされてはいない」 日に日に体力も衰えていった石原さんですが、家族には、弱々しい姿を見せなかったと言います。 長男 石原伸晃さん 「11月話した時、選挙に負けて『どう?』って言ったら、『お前こそ大丈夫か?』って言う感じで、『俺の人生は好き勝手やってた。これだけ好き勝手やってきた人間いないから良かったと思うだろ?』って、『そりゃ思うよ。家族は迷惑したけどね』と、こんな事も話せる感じでした」 在りし日の「石原節」を思わせる強気な姿でした。 石原慎太郎さん(当時80) 「まさしく80歳。なんでオレがこんなことやらなくちゃいけないんだよ。若いやつしっかりしろよ」 余命宣告を受けた後も自宅の机に向かい、執筆を続けていたという石原さん。 亡くなる5日前には、本の読み聞かせをしていた家族に、「こういう良いエッセイとは何処で出会うの?」と質問し、最後まで文学者であり続けました。 石原さんは、死への覚悟を文章の最後でこうつづっています。 「私は誰はばかりもなく完璧に死んでみせると言う事だ」 そして、小説の主人公の言葉を借りて、筆を置きました。 「死、そんなものなどありはしない。ただこの俺だけが死んでいくのだ」と。 (2022年3月9日放送「news every.」より) 

「人から愛されて死にたいね」89歳で死去 石原慎太郎元都知事の歩み
「歴史の十字路に何度か自分の身をさらして立つことができた」 「太陽の季節」で文壇にデビューし、「太陽族」という流行語も生んだ石原慎太郎氏。弟の石原裕次郎さんを題材にした「弟」はミリオンセラーを記録しました。 1968年の参議院選挙に全国区で出馬し、史上初めて300万を超える大量得票で国政に進出。福田内閣で環境庁長官として初入閣。竹下内閣では運輸大臣として2回目の入閣を果たします。 1989年には自民党の総裁選挙に出馬しましたが、竹下派が推す海部俊樹氏に敗れました。そして議員在職25年の表彰を受ける演説の中で・・・ 「さながら去勢された宦官のような国家になり果てています。私は、今日この限りにおいて国会議員を辞職させて頂きます」 突然、議員辞職を表明し、作家生活に戻っていました。しかし・・・ 「石原慎太郎、裕次郎の兄でございます」 1999年の東京都知事選挙に立候補。有力候補との戦いを制して当選を果たしました。 「みんなありがとう。都庁で会おうぜ」
 ▼ディーゼル車の排ガス規制、▼中小企業融資を目的とした新銀行東京の設立、▼そして東京オリンピックの招致など、国に先駆けた政策を次々と打ち出します。さらに・・・ 「新しい憲法をつくるという作業、改訂ではなしに行われるべき。つまり国会がそういう議決をすれば、この憲法を破棄できるわけであります」 持論の「自主憲法制定」に加えて「日本は軍事国家になるべきだ」などとタカ派的な主張を鮮明にする一方、数々の舌禍事件も引き起こしました。そして2012年には、都が、尖閣諸島を購入する計画を電撃発表。その直後・・・ 「今日をもって東京都知事を辞職することにいたしました」 任期半ばで都知事を辞職し、新党結成を発表。日本維新の会に合流して橋下徹氏と全国を遊説するなど国政復帰を果たしましたが、2014年の総選挙で落選すると政界引退を表明しました。 「(心残りは)憲法の一字も変わらなかったこと。死ぬまでは言いたいことを言って、やりたいことをやって人から憎まれて死にたい」 ただ、翌年の春に旭日大綬章を受章した際には、こんな本音もこぼしました。 「人から愛されて死にたいね」 歯に衣着せぬ「慎太郎節」をもう聞くことはありません。(01日14:14

今日は、首相の施政方針演説がありました。

2024-01-30
2024.01.30、讀賣の朝刊です。

自民・麻生太郎副総裁が裏でほくそ笑む?

2024-01-22
岸田文雄首相(左)と麻生太郎氏 © 東スポWEB
岸田派解散「事実上の大宏池会復活」の見方 (msn.com)

自民党の派閥の政治資金パーティーの不記載を巡る事件は、6派閥のうち安倍派(清和会)など3派閥が解散を決め、1派閥も解散濃厚となった。これに麻生派(志公会)率いる麻生太郎副総裁が激怒というのが〝定説〟となっているが、実はほくそ笑んでいるという説も出ている。いったいなぜなのか。

政治資金パーティー裏金問題で、岸田文雄首相は党内第4派閥の岸田派(宏池会)の解散を決め、最大派閥の安倍派、第5派閥の二階派(志帥会)に続いて、第6派閥の森山派(近未来政治研究会)も解散濃厚となってきた。

〝岸田の乱〟ともいわれる突然の動きに、麻生氏は怒り心頭だと言われている。かねて派閥存続を主張していただけに岸田首相が自派閥とはいえ、根回しなしで解散を決めたことに立腹しているとされているのだ。21日、麻生氏は岸田首相と都内のホテルで会食した。

政治資金規正法

2024-01-21
讀賣新聞、2024.01.21朝刊
【解説】「国会」異例の幕開け…“派閥”の動きは? 政治部官邸キャップに聞く
第213通常国会が26日に召集されましたが、自民党ではゴタゴタが続いています。安倍派では幹部が緊急に集まりました。派閥の解散に向け、派閥の資金をどう処理するかが話し合われたということです。また茂木派では、小渕氏に続き、26日に青木氏も退会を表明しました。

麻生氏「麻生派存続の意向」総理に伝達 

2024-01-20
裏金事件巡り安倍派・岸田派・二階派は解散|TBS NEWS DIG
【宏池会とは?】岸田総理が解散を明言 広島とはどんな関係が?
【岸田文雄ヒストリー】次の総理大臣候補ってどんな人?
元内閣総理大臣 安倍晋三氏 卒業式スピーチ「大切なことは失敗から立ち上がること」|令和3年度近畿大学卒業式
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