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ファイトの系譜 

【 オールラウンド編  含TOKYO2020の記録】

佐藤琢磨選手、2度目のINDY500優勝!

2021-06-21
佐藤琢磨選手、2度目のINDY500優勝!
2020年のINDY500で自身2度目の優勝を果たした佐藤琢磨選手。レース直後に独占インタビューをすることができました。

· レフティの遺産は続く. 50歳のフィルミケルソンがPGAチャンピオンシップで優勝した.

2021-05-24
Facebook PGA TOUR さん曰く、彼 は主要なチャンピオンシップ史上最古の優勝者です.

帝王・ニクラウス氏 ツイート3連発で松山を祝福

2021-04-12
AP通信はメジャー通算最多の優勝18回を誇る帝王ジャック・ニクラウス氏(81=米国)が松山の活躍を予想していたと伝えた。
14年のメモリアル・トーナメントで松山が米ツアー初優勝を達成した際、大会ホストだったニクラウス氏は「この先、10年、いや15年にわたって世界で活躍するプレーヤーの競技人生の始まりを我々は見ているのだと思う」と指摘。
AP通信は当時の発言を引用して「その瞬間が日曜日にやってきた」と報じた。
自身のツイッターで大会を振り返るメッセージを3連発。
①「マスターズを優勝し、メジャーを制した初めての日本人男子  ゴルファーとなった松山英樹に心からの祝福を贈りたい。英樹だけでなく日本のゴルフ界全体に幸福を感じる」

 ②「英樹の素晴らしいプレーを観戦できた。彼は落ち着いてプレーし、15番でミスを犯したが、リードを守るため十分な平静を保った」

③「松山英樹の1日だった。彼にとって、日本にとって、そして世界のゴルフ界にとって最高の日になった」

松山英樹優勝後コースに一礼、早藤将太キャディーを米メディアなど称賛

2021-04-12
チーム松山の勝利

帽子を脱ぎ、一礼を...

2021-04-12
松山英樹選手、キャディの行動でも世界に感動広がる。

松山選手とともに闘った早藤将太キャディがとった行動に注目が集まっています。



男子ゴルフの松山英樹選手が4月11日(現地時間)、アメリカであった男子ゴルフの海外メジャー大会「マスターズ・トーナメント」で初優勝を果たした。

アジア人として初めての快挙に祝福の声が集まる中、松山選手とともに闘った早藤将太キャディがとった行動に感動が広がっている。

最終日の18番ホールで、松山選手がウイニングパットを決めた後のことだ。早藤キャディはピンを戻した後にキャップを脱ぎ、一礼した。

【 オールラウンド編 】(アーカイブス)

東京2020大会 迫力と感動の瞬間を世界に届ける、テクノロジーの進化が生む斬新な撮影

2021-08-27
史上最多の33競技が実施された東京2020オリンピックは2021年8月8日(日)に閉幕し、8月24日(火)から東京2020パラリンピックが始まります。アスリートたちの雄姿と感動の記録を捉えるべく、両大会においてすべての競技で撮影を担当しているのは、国際オリンピック委員会(IOC)・国際パラリンピック委員会(IPC)の公式フォトエージェンシーであるゲッティイメージズ。エディトリアルオペレーション部門の最高責任者であるマイケル・ヘイマンさんに、今回、全42会場で行われたオリンピック競技の撮影について、お話を伺いました。

Instagramで東京2020オリンピックをプレイバック!

2021-08-27
多くのスターが誕生し、多くの名場面が生まれた東京2020オリンピック。
今回はInstgramで盛り上がった投稿を中心にご紹介します。 各投稿は横にスクロールができるものが多いのでぜひすべての写真をチェックしてみてください!

日本|野球決勝|東京2020ハイライト

2021-08-27

Such a tuff game tonight against Japan!

2021-08-19
They play so hard and they are an amazing team! Shout out to Japan
5年前です!!

プレーバック・リオ 男子団体総合で日本が3大会ぶりの金メダル獲得

2021-08-05
日本が体操男子団体総合で3大会ぶりの金メダルを獲得。全6種目に出場したエース内村航平が見事にチームをけん引した。

【 プロレス編】

力道山~馬場~猪木~鶴田 日本プロレスの変遷 ナレーター 倉持 アナ

2021-05-11
日本プロレスの変遷 ナレーター 倉持 アナ
 フリッツ・フォン・ゲーリング&マイク・パドーシス組が昭和42年に日本に持ち込んだインターナショナル・タッグ選手権



力道山からJ鶴田まで

~激動!!テレビ・プロレス25年史(1978放送)1/2



力道山からJ鶴田まで~激動!!テレビ・プロレス25年史(1978放送)2/2





「正力松太郎が生んだテレビが25年、
力道山が生んだプロレスが25年」という事で
日本テレビ開局25周年を記念して
1978年8月に放送されたプロレス特別番組が
「激動!! テレビプロレス25年史」である。

基本的に試合のダイジェストで構成され、
全日本プロレス中継の実況を担当していた
倉持隆夫がナレーターを務めた。

力道山&木村対シャープ兄弟から
力道山対デストロイヤーまでの数試合を
日テレのアナウンサー・清水一朗、
徳光和夫が新録音で実況を伝え、

カラーテレビの本放送開始から
テレビプロレス観戦者のショック死、
そして力道山の死へと続く。

力道山の死後、豊登が奮起するも
新しいスターとしてジャイアント馬場が登場。

馬場の名勝負をダイジェストで綴り、
そして、馬場を追う男として
アントニオ猪木のBI砲の誕生とその名勝負、
猪木のWリーグ初優勝と続く。

だが、テレビ朝日が日本プロレスの放送開始し、
猪木の除名から新日本プロレス旗揚げ。

馬場も日本プロレス退社し、全日本プロレス旗揚げ。

こうして日本プロレスは大量離脱により崩壊し、
日本テレビは「全日本プロレス中継」を開始。

ジャンボ鶴田という大物新人がデビューするまでを
プロレスの証人として見る事が出来る
まさに、プロレスの歴史を番組化した内容となっている。

藤波辰爾に突然ジャンボ鶴田からの電話。

2021-05-15
食事の約束もまさかの事態で実現しなかった
藤波辰爾デビュー50周年ドラゴンが語る名レスラーたち(6)ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田 

鶴田のNWA世界ヘビー級選手権試合/The NWA Heavyweight Championship

2021-05-15
ジャック・ブリスコ 対 ジャンボ鶴田
リック・フレアー 対 ジャンボ鶴田

さよならジャンボ・・・。

2021-05-15
別れは、突然に訪れました。
NWAインターとPWAヘビーのベルト姿です。
NWAインターシングル、そして鶴田の三冠ベルト
日本の至宝、NWAインターナシュナル選手権ベルト
鶴田の三冠ベルト

ジャンボ鶴田を評して

2021-05-15
御大の言葉
(1991年4月18日、三沢光晴戦に快勝したジャンボ鶴田を評して)
「三沢がやっぱり、3発鶴田のバックドロップを食ったらね、これはたまりませんね。ジャンボはジャンボで(三冠)チャンピオンの貫録がついてきましたね」- ジャイアント馬場
【三冠戦・鶴田強すぎる!】

【三冠戦・鶴田強すぎる!】

ジャンボ鶴田vs三沢光晴

91'April Jumbo Tsuruta vs Mitsuharu Misawa

【 ボクシング編 】

伝説は、ここから始まった・・・。

2022-01-20
井上尚弥でも今回は”負ける”と言われたWBO世界王者と対戦した結果…ヤバ過ぎ!?

2団体王者井上尚が防衛 谷口はミニマム級新王座に

2021-12-15
© 産経新聞 【ボクシングダブル世界戦】4回、ディパエン(左)を攻める井上尚弥=東京・両国国技館(代表撮影)
2021/12/14 21:06

ボクシングのダブル世界タイトルマッチ各12回戦は14日、東京・両国国技館で行われ、世界ボクシング協会(WBA)、国際ボクシング連盟(IBF)バンタム級チャンピオンの井上尚弥(大橋)がIBF5位のアラン・ディパエン(タイ)と対戦し、8回TKO勝ちした。2年ぶりの国内試合でスーパー王座のWBAは6度目、IBFは4度目の防衛となった。

世界ボクシング機構(WBO)ミニマム級1位の谷口将隆(ワタナベ)は王者ウィルフレド・メンデス(プエルトリコ)に11回TKO勝ちし、新王者になった。谷口は2度目の世界挑戦だった。

谷口将隆が新王者!猛ラッシュで11回TKO 2度目の挑戦で悲願「2年前の自分よりずっと強くなった」
© スポーツニッポン新聞社 11回TKOでウィルフレッド・メンデスを破った谷口将隆(撮影・島崎 忠彦)
スポーツニッポン新聞社 2021/12/15 05:30

◇WBO世界ミニマム級タイトルマッチ12回戦 〇谷口将隆 TKO11回1分8秒 ●ウィルフレド・メンデス(2021年12月14日 両国国技館)

 WBO世界ミニマム級タイトル戦は同級1位の谷口将隆が王者のウィルフレド・メンデスを11回1分8秒TKOで破り、王座奪取に成功した。

 「まだ夢見心地ですね。2年前の自分よりずっと強くなったと、ようやく自信が持てた」。会心のTKO勝ちが信じられないかのように、ベルトを巻いた谷口が興奮気味につぶやいた。

 「挑戦者らしく」がテーマ。それを貫いた。判定で敗れた19年2月の初の世界挑戦。気負って力を発揮できなかった反省が原点にあった。いかにして相手の中に入って接近戦に持ち込むか――。インサイドワークという王者の持ち味を消す作戦を徹底的に練った陣営の執念が実った。序盤から決して下がらず前に前にと圧力をかけ、2回に左フックでダウンを奪うと、中盤以降も果敢に前へ出る。11回。左の振り下ろしで相手の動きを止め、コーナーに追い詰めて畳みかけるとレフェリーが試合を止めた。

 同じジムには同学年のWBA世界ライトフライ級スーパー王者、京口紘人がいる。アマチュア時代からのライバルに先を越されたが、ようやく同じ「世界」の称号を手にした。青コーナーで励まし続けた盟友は「申し分ない内容。これから2人で引っ張っていこう」と激励。これに谷口も「勝利の女神ならぬ、男の神様」と感謝した。

 「僕は(メインイベントの)井上君のおまけ」と控えめに話していたモンスターの“前座”が、存在感を十分に見せつけた。27歳の新王者は「来年は谷口の試合を見にこようと言われるボクサーになりたい」とさらなる成長を約束していた。

 ◇谷口 将隆(たにぐち・まさたか)1994年(平6)1月19日生まれ、神戸市出身の27歳。中1でボクシングを始め、神戸第一高ではインターハイ8強入り。龍谷大ではボクシング部主将を務め、国体で2度準優勝。アマ戦績は74戦55勝16KO19敗。16年4月プロデビュー。18年11月にWBOアジアパシフィック・ミニマム級王座、20年12月に日本同級王座を獲得。身長1メートル62、リーチ1メートル64の左ボクサーファイター。

PXB WORLD SPIRITS ~井上尚弥 WBA・IBF世界バンタム級タイトルマッチ~ 12.14

2021-12-06

井上尚弥の最も衝撃的な瞬間!

2021-07-06

井上尚弥ラスベガス防衛戦2 2021年6月20日

2021-06-30
【~WBA_IBF世界バンタム級タイトルマッチ:井上尚弥×マイケル_ダスマリナス~】



【 ボクシング編 】(アーカイブス)

ボクシング レジェンド王者伝説 畑山隆則 編【vs 坂本戦、鮮烈KO 6連発】

2021-07-06
■ 2000年10月11日 WBA世界ライト級タイトルマッチ 王者 畑山隆則 vs 挑戦者 坂本博之 ■ 畑山隆則 強さの証明 KO 6連発!

大場政夫

2020-10-07
【 昭和の大ヒーロー ♪ 伝説のボクサー:大場政夫 大特集 ♪ 1998年放送 】
https://youtu.be/07POis-2g2k

1973年1月25日、3週間ほど前に逆転KOで5度目の防衛を果たしたばかりの大場は、首都高速5号線でカーブを曲がり切れずに中央分離帯を乗りこえ対向車のトラックと正面衝突。 愛車のシボレー・コルベットと共にチャンピオン・ベルトを巻いたままあの世へと旅立ちました。23歳でした。

永遠のチャンプ

2020-06-25
永遠のチャンプ・大場政夫。

私が最も敬愛するボクサーです。

1949年10月21日東京都足立区生まれ。

実父がギャンブル好きで、幼少期の暮らしは相当に貧しかったようです。

その実父がボクシングファンだった影響から、なんと小学校の入る頃には既に、将来は世界チャンピオンになり、両親に家を贈ろうと決めていました。

その後も決意はブレることなく、1965年の中学卒業と同時に帝拳ジムに入門、プロボクサーへの第一歩を踏み出すことに。

翌年には、渡辺和喜に1回KO勝ちでプロデビュー。

以降は、持ち前の負けん気と豊富な練習量で頭角を現し、次々と難敵を退けて世界ランキング上位へと駆け上がりました。

そして、プロ28戦(25勝2敗1分8KO)で、念願の世界タイトル初挑戦の切符を手中にします。

1970年10月22日、タイのベルクレック・チャルバンチャイを13回KOで倒し、WBA世界フライ級王座を獲得。

この時、大場は21歳。

プロキャリア4年で小学生の頃抱いていた夢を叶えました

その後、2年半足らずで王座を4度防衛。

そして1973年1月2日、WBA世界フライ級5度目の防衛戦を迎えます。

相手は「稲妻小僧」の異名を持つ元WBC世界フライ級チャンピオン、タイの英雄チャチャイ・チオノイ。

大場は1Rにチオノイの豪快な右フックを食いダウン。

その際に右足首を捻挫し、以降は足を引きずりながらのファイトを強いられます。

しかし、大場は驚異的な粘りで劣勢を挽回、8Rからは優勢に立ち、12Rを迎えます。

前半は打ちつ打たれつでしたが、中盤に機を見て大場が猛ラッシュ。

ロープ際で連打を浴びせられたチオノイは、遂に崩れ落ちます。

その後、チオノイは半ば戦意喪失状態になり、最後はレフェリーが試合を止め、大場は大逆転で5度目の防衛に成功しました。

1月2日のゴールデン枠に、人気ボクサーの世界戦生中継とあって、祖母の家に集まっていた親戚一堂はTVに釘付け。

終盤は皆が「大場〜っ!」と絶叫するほどの大熱戦でした

小学校3年生だった私も、感動で泣きそうになりました。

決して器用ではなく、打たれて強いわけでもなく、スピードもそれ程ではない……が、

猛練習で培った旺盛なスタミナと折れない心で、ただ愚直に左右のワンツーを繰り出す。

いつまでも、いつまでも、相手が倒れるまで繰り出す。

その闘志を前面に押し出したボクシングスタイルは、観る者の心まで奮い立たせる迫力がありました。

この試合の23日後、1973年1月25日。

大場は愛車シボレー・コルベット・スティングレーで首都高速5号池袋線を走行中、大曲カーブを曲がり切れず中央分離帯を乗り越え、反対車線に出たところを大型トラックと正面衝突。

現役世界チャンピオンのままこの世を去りました。

大場は3度目の防衛戦後に、それまでで得たファイトマネーで埼玉県に一戸建を新築購入し、両親に贈っています。

また、実弟の高校までの学費も全額支払い終えていました

中学卒業後、ボクシングに総てを賭けてきた大場が、4度目の防衛成功後に生涯で初めて自分自身へ贈ったご褒美が、当時日本に2台しかなかったシボレー・コルベット・ステイングレーでした。

大場政夫 
プロボクシング生涯戦績
38戦35勝16KO2敗1分
第25代WBA世界フライ級王座5度防衛

大場政夫  VS  チャチャイ・チオノイ (1973年)

2021-06-30
【昭和45年】大場政夫 vs.ベルクレック・チャルバンチャイ
1970年10月22日 WBA世界フライ級タイトルマッチ

大場政夫・最強の刺客を迎えて予想不利!

2021-06-30
花形 進 (横浜協栄)選手との日本人対決を制すると同時に、3度目の防衛達成、若き日の借りを返した大場選手。

4度目の防衛戦は、”最高の刺客”オーランド・アモレス(パナマ)を迎えて行なわれる事になった。

「最強の相手を選ぶのは、チャンピオンの宿命ではありませんか」

これはチャンピオンとしてのプライドだと説明した長野マネジャー。

パナマの黒ヒョウと異名されたアモレス。戦績28勝(19KO)1敗。

バスケスは、毒グモだ。(~~)
試合は昭和47年(1972年)6月20日、日大講堂で行なわれた。
試合開始早々、アモレスの左フックで大場選手ダウン。会場は静まり返る。前途多難なスタート。
3、4回と激しい打撃戦の中で激しいバッティング。額から流血のチャンピオン。
迎えた5回、右ストレートからチャンスを掴んだ大場選手は怒涛の連打。アモレスはマットに深々と沈んだ。
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