本文へ移動

あの人 この人

あの人

マーク・レスター

2022-05-01
Facebook 岡田 律  さん曰く

マーク・レスター
 58年  イングランド オックスフォード出身
 両親共に俳優のようで血は争えない。ですかねー。
必然的にその世界が身近になりTVなどに出た後 映画「オリバー」に主演  
71年「小さな恋のメロディ」で世界的に知られるようになりました。
日本で人気絶頂になり後に東宝が彼を招いて映画「卒業旅行」を製作。
子役の宿命か年齢が高くなるとともにオファーが減っていき俳優を引退、近年復帰しているようです。
「小さな恋のメロディ」の頃の彼はまさに憧れでありその映画が表現されていた世界観自体も憧れでした。

自由民主党 三原じゅん子 参議院議員 

2022-04-30
Facebook Kanta Oku  さん曰く

「電子戦隊デンジマン」
ゲストでサーカス団の一員として
出演されたこの方。
デンジブルーに助けてもらったり
可憐な姿を見せてましたが
現在では
もはや太刀打ちできる方は
そうそういないでしょう。
★新プロフィール写真を公開です!
三原じゅん子 参議院議員(神奈川県)事務所 夢前案内★ この写真とともに、戦って参りますよ! 皆さん、応援よろしくお願いします!

『高倉健』さんと『江利チエミ』さん

2022-04-24

Facebook 北出弘信さん曰く


昭和34年2月に二人は結婚しました
『高倉健』さんと『江利チエミ』さん
昭和46年9月に離婚
理由は不明です
離婚した事を二人は後悔したそうです
健さんは主演映画の『鉄道員』でチエミのヒット曲『テネシーワルツ』の口笛
男と女の事は他人には分かりません

◎黒沢明監督「羅生門」 ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞

2022-04-20

Facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1951(s26)年】-5
◎黒沢明監督「羅生門」 ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞
*1951.9.10/ 第12回ベネチア国際映画祭で、黒沢明監督の「羅生門」がグランプリを獲得する。
 黒沢明は戦前に東宝に入社し、すでに新進監督として頭角を顕していたが、戦後GHQによる民主化政策のなかで、連合国軍も乗り出すほどの東宝労働争議が勃発、映画が撮れなくなった黒沢らは組合から離脱して他社で映画製作を行っていた。脚本家橋本忍が、芥川龍之介の短編小説「藪の中」を脚色した作品を温めており、その脚本を入手した黒沢は、当時大映のワンマン社長として知られた永田ラッパこと永田雅一に直接掛け合い、撮影にこぎつけた。
 撮影は大映京都撮影所で行われ、冒頭シーンには、撮影所前に原寸大の巨大な「羅生門」のオープンセットが建設されたが、これ以外の森の中での出来事シーンはほとんどがロケで行われた。1950年8月に完成、試写会が行われたが、永田社長は「こんな映画、訳分からん」と言って途中で席を立ったという。その難解なストーリー仕立てから、国内公開での評価は不評で興行収入も芳しくなかった。
 ベネチア国際映画祭とカンヌ国際映画祭から日本に出品招請状が送られてきていたが、当時の映画会社には出展費用を捻出する余裕さえなかった。カンヌ国際映画祭に出展応募する作品はなく、ベネチア国際映画祭にも、出展作を探す依頼を受けていたイタリア映画会社の社長が、たまたま「羅生門」を観て感激、自費で出展させるという状況であったという。
 翌年9月、ベネチア国際映画祭で上映されるや否や大絶賛を受け、金獅子賞を獲得した。しかし日本の製作関係者は一人も映画祭に参加しておらず、たまたま街にいたベトナム人男性に代わりにトロフィーを授与、この人物が黒沢本人だと誤解される一幕もあったらしい。
 黒沢自身は、作品が映画祭に送られたこと自体も知らず、受賞のことは妻の報告で知った。永田ワンマン社長は、受賞の報を聞き「グランプリって何や?」と言ったが、その後手のひらを返したように芸術大作路線に転じ、大映作品は次々と海外映画祭で受賞することになる。
 映画は「羅生門」というタイトルではあるが、芥川龍之介の「羅生門」は冒頭シーンで追加されただけで、同じ芥川の「藪の中」に沿って物語は展開される。森の中で起こる殺人事件について、様々な関係者が登場してそれぞれ食い違う証言をするという展開で、真実は明らかにならない。「真実は藪の中」という言い回しは、この芥川の小説から来ている。
 当時まだ米軍占領下にあり、政治経済のみならず、文化・スポーツなど社会面でも敗戦によって打ちひしがれていた日本人には、競泳で世界最高記録を樹立した古橋広之進、日本人最初のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹とならんで、黒沢「羅生門」のグランプリ受賞は、大きな自信と希望を与える出来事であった。
 なお平安京の朱雀大路南端、都の出入り口に築かれた門は「羅城門(らじょうもん)」と表記されるが、「羅生門(らせいもん/らしょうもん)」の表記も併用される。現在はその跡地にある小公園に、石碑が一本建てられているのみである。
(この年の出来事)
*1951.6.20/ 政府は公職追放されていた石橋湛山など、7万人の第1次追放解除を発表、8.6には、鳩山一郎・岸信介など1万4千人が第2次追放解除となる。
*1951.10.16/ 共産党第5回全国協議会が開催され、「51年テーゼ」が採択される。これにより、主流派主張の武装闘争を打ち出し、極左冒険主義路線を歩む。
*1951.10.24/ 社会党が第8回臨時党大会で、講和・安保両条約をめぐって左派と右派に分裂する。

· まぼろし探偵は誰なのか

2022-04-18
Facebook 香取三夫 さん曰く
TOPへ戻る