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真宗本廟の法灯

真宗大谷派、真宗本廟の法灯について

大谷光瑞 猊下

2023-05-19
facebook 釈超証 (なおやん)さん曰く
大谷光瑞|近代日本人の肖像 | 国立国会図書館 (ndl.go.jp)

大谷おおたに 光瑞こうずい

生没年
明治9年12月27日 〜 昭和23年10月5日
1876年12月27日 〜 1948年10月5日)
出身地
京都府
職業・身分
宗教家
別称
鏡如(きょうにょ)、峻麿(たかまろ)

解説

10歳で得度、幼名峻麿、法名鏡如、諱光瑞。明治36(1903)年父光尊の死により浄土真宗本願寺派本願寺(西)22世門主となる。明治35年から大正2(1913)年にかけて3次の中央アジア探検隊を派遣。敦煌、トルファン、ローラン、チベットなどを探検し、収集品の整理研究のほか著述、講演、教育、印刷などの事業に力を注いだ。14年門主を辞す。太平洋戦争中には内閣顧問などを努めた。夫人は貞明皇后の姉、歌人の九条武子は実妹。


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