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兵戈無用(ひょがむよう)

「兵戈無用」(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)

夜来香 (イエライシィアン)

2024-01-05
[ブギウギ]『夜来香』フルバージョン オンステージ | 朝ドラ | 連続テレビ小説 | NHK
夜来香 上戸彩 「李香蘭」
夜来香_山口淑子(李香蘭)
【中国語】夜来香 (日本語字幕)
『蘇州夜曲』山口淑子 (李香蘭) のライブ歌唱 1981年2月15日 日劇サヨナラ FESTIVAL にて
夜来香 (イエライシィアン) テレサ.テン/鄧麗君

機密漏洩事件の西山太吉氏

2024-01-01
沖縄密約訴訟の上告審判決で、原告側の上告が棄却され敗訴が確定。その後、会見する西山太吉氏 © 産経新聞
NHK記事に自民・有村治子氏「スキャンダル触れぬは不誠実」 (msn.com)

沖縄返還時の日米密約をスクープし、昭和47年の外務省機密漏洩(ろうえい)事件で有罪が確定した元毎日新聞記者の西山太吉氏(享年91)の生前を振り返ったNHKのネット記事について、自民党の有村治子参院議員がX(旧ツイッター)で問題視している。西山氏を巡っては、同省の女性事務官と男女関係を持った上で機密文書を漏洩させたとして、東京高裁が「正当な取材活動の範囲を逸脱する」と断じた経緯もある。有村氏は「職業倫理に背くスキャンダルを敢えて触れないなら、視聴者に対して、極めて不誠実」とNHKを批判する。

NHKは昨年12月28日、同年に死去した著名人の追悼記事をネットニュースに掲載した。西山氏が「権力の暴走をチェックするのが新聞の本当の使命」と語る生前のインタビュー動画も掲載。西山氏は「権力の秘密主義がはびこるとき、メディアがどうやってそれを打破し、真実を国民に伝達するかが最も必要になる」と強調しているが、女性事務官と男女関係にあった上で報じたことは触れていない。

【復帰50年】茨の道だった沖縄返還の時代の言論の自由を守るために闘った記者(沖縄テレビ)2022/5/17
西山太吉 元毎日新聞記者
元毎日新聞記者の西山太吉氏が会見した。沖縄密約があったとの客観的な証拠が出てきても、自民党政権は密約はないとの立場を取り続けている。日本は歴史的な事実に基づいて検証ができる国ではない、という。特定秘密保護法案の対抗策としては、情報公開法を充実し、外交交渉の結果や一致点を国民に示し、政府を縛ることではないか、とも。 司会 瀬口義晴 日本記者クラブ企画委員

暗殺の系譜

2020-12-05
メンフィスでの出来事
Facebook佐々木信雄さんの投稿
20th Century Chronicle 1968年(s43)】
◎キング牧師 暗殺
*1968.4.4/ 黒人運動指導者キング牧師が、メンフィスで暗殺される。
 '63/11 JFケネディ、'65/2 マルコムX、'68/4 キング牧師、'68/6 ロバート・ケネディが、次々と暗殺された。その背景は様々だが、たったこの5年間での暗殺の集中には、暗澹たる思いがする。やはりベトナム戦争のもとでの、アメリカ社会の混乱が反映されていると考えられる。
 ワシントン大行進での" I Have a Dream "という演説は、JFケネディ就任演説に並ぶ名演説として記憶されている。無抵抗主義に徹して、そののち「公民権法」を勝ち得て、さらにノーベル平和賞を受賞する。
 しかしその後も実際的な黒人差別は無くならず、急進派には無抵抗平和主義を突き上げられる不遇にも出会うことになった。そしてキング牧師暗殺が起ると、過激な黒人暴動が各地に起こり、さらに混迷を招くことになる。
(この年の出来事)
*1968.1.30/ 南ベトナム全土で解放勢力が大攻勢、テト攻勢を開始する。
*1968.10.8/ 阪神タイガースの江夏豊投手が、シーズン奪三振385の世界記録を達成、最終401を記録する。
*1968.10.12/ 第19回オリンピック メキシコ大会が開催される。

フランシーヌの場合は・・・。

2020-12-05
Facebook佐々木信雄さんの投稿
【20th Century Chronicle 1968年(s43)】
◎パリ5月革命
*1968.5.3/ フランスのパリ大学で学生と警官隊が衝突、13日には学生・労働者がゼネスト。(パリ5月革命)
 この季節、先進国の間では、若者の叛乱と言われる反体制活動が同時的に頻発した。アメリカでは反ベトナム戦争、日本では反70年安保という固有のトピックスがあったが、フランスではいかにもフランスらしく、アナーキスト、社会民主主義者、毛沢東主義者、トロツキストさらには労働組合員など、ソ連スターリン主義に近いフランス共産党を除く、あらゆる反体制組織が集った。
 ソルボンヌで有名なパリ大学をはじめ、多くの大学が集中する「カルチェ・ラタン」では、バリケードを築いて「解放区」と呼び、警察と乱闘となった。カルチェ・ラタンとは単に「ラテン地区」という意味で、かつて学生やインテリが占有していたラテン語を話す人たちが住んだところから来ている。いずれにせよ、パリの街には革命騒ぎが似合うようだ。
 日本でも学生運動には大きな影響を及ぼし、神田カルチェ・ラタン闘争なるものもあったが、一般人には遠いフランスでの出来事かと思われる。かろうじて、新谷のり子『フランシーヌの場合』という反戦ソングで思い出す人もいるかも知れない。ちなみに、フランシーヌ・ルコントが焼身自殺したのは、5月革命がすでに沈静化した、翌年の3月30日のことであった。「フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん」と歌った本人も、その後の行動をみるとそれほど、おりこうとも思えないのだが。
「フランシーヌの場合」 https://www.youtube.com/watch?v=fIYFbDQPNJg
(この年の出来事)
*1968.1.30/ 南ベトナム全土で解放勢力が大攻勢、テト攻勢を開始する。
*1968.10.8/ 阪神タイガースの江夏豊投手が、シーズン奪三振385の世界記録を達成、最終401を記録する。
*1968.10.12/ 第19回オリンピック メキシコ大会が開催される。

如己愛人(にょこあいじん)

2020-10-24
博士は自らの身体を被爆医療に捧げた。
原子爆弾に仆(たお)れた学生の森尾君が臨終の床に叫んだ言葉
原子爆弾に仆(たお)れた学生の森尾君が臨終の床に叫んだ言葉「みんな泣くな。泣いてはいかん。研究するんだ。研究してくれ。最初の原子爆弾だったから、まだ治療法がわかっていない。それで、ぼくは死ぬのだ。研究すれば、原子病を治す道が見つかるんだ。みんな泣くな。研究してくれ。そして、ぼくたちを最後の原子病患者として食い止めてくれ給え」――その言葉が私の細りゆく命にむちうって原子病研究へかり立てているのである。 さいわい、私自身が原子病患者である。これを自ら実験台にして、いま研究を続けている。わが命が終ったら、友人が解剖してくれるだろう。そのとき、この廃物となった肉体が原子病の病理究明のため、いささかでも役に立つだろう。生きていても、死んでも、天主の御栄えのためになり、人類の幸福のためになるのなら、その他に何を私は求めようか――。
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