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新幹線

ここから、始まりました。

最初で最後?「かもめ」だョ!全員集合

2022-09-12

facebook 西日本新聞meさん曰く


最初で最後?「かもめ」だョ!全員集合
✓新幹線車両「かもめ」全4編成を並べて公開
✓開業後は3編成で運行し、残り1編成は車両基地などで待機
✓勢ぞろいするのは「最初で最後になるかもしれない」(JR担当者)
23日に西九州新幹線(武雄温泉-長崎)開業
記事(動画あり)は⇒

西九州新幹線、23日開業 佐賀・長崎間、活性化に期待

2022-09-11
開業に向け走行試験が行われた西九州新幹線=5月10日、長崎市
2022年09月10日07時16分

佐賀、長崎両県を結ぶ西九州新幹線(愛称「かもめ」)が23日開業する。全国の新幹線で最短区間の66キロを運行し、JR九州や沿線自治体は観光客の増加と地域活性化に期待している。ただ、博多(福岡市)までの区間は一部未整備のまま。どれだけ需要創出につながるかは未知数だ。

新幹線「かもめ」に合格書 23日開業、佐賀と長崎結ぶ―国交省

 今回開業するのは、武雄温泉(佐賀県武雄市)―長崎(長崎市)間の5駅。武雄温泉で在来線特急を乗り継ぐ「リレー方式」で運行し、博多―長崎間の所要時間は最速1時間20分と、現行より30分程度短縮される。
 JR九州の古宮洋二社長は9日、日本記者クラブ主催の講演で、「雇用創出と交流人口の増加で開業効果を最大化したい」と強調。沿線でのホテル開発に加え、同じ区間で海沿いのルートを走る観光列車「ふたつ星4047」も投入し、相乗効果を狙う。
 沿線自治体の期待も大きい。特に関西や中国地方からの観光客増加を見込み、長崎県はJRで訪れる宿泊者の延べ人数が、新型コロナウイルス感染拡大前の2018年と比較して年間5.5万人増えると試算する。
 一方、博多―長崎間は高速バスを中心とする割安な交通手段が発達。さらに新鳥栖(佐賀県鳥栖市)―武雄温泉間は、佐賀県と国の協議が続いており未着工だ。本州からの利用客は長崎まで少なくとも2回の乗り継ぎが必要になる。
 地元住民の利用促進もカギとなる。佐賀県嬉野市は、新幹線で通勤・通学する市民に定期券の半額を補助する制度を創設。武雄市も同様の制度を検討、職場や大学に通うために地元を離れていたサラリーマンや学生らの需要を取り込みたい考えだ。同市の担当者は「移住の増加や転出抑制にもつなげたい」と話している。

西九州新幹線「武雄温泉駅」で一足先に「対面乗り換え」してみた 駅名標も「一体的」

2022-09-10
武雄温泉駅にて、新幹線「かもめ」と特急「リレーかもめ」(乗りものニュース編集部撮影)

今回は部分開業ということもあり、利便性を損なわない方策として、新幹線と在来線特急が同じホームで向かい合わせに停車する形で乗り換える「対面乗り換え」が採用されています。

 これは2004(平成16)年の九州新幹線の鹿児島中央~新八代間の部分開業の時も同じで、「リレーつばめ」は新八代駅の新幹線ホームへ専用の短絡線で乗り入れ、同一ホーム上で新幹線に乗車できる形になっていました。

 さて、特急「リレーかもめ」は武雄温泉駅に到着。向かい側で新幹線「かもめ」が待機しています。新幹線のりばは、この対面乗り換えホームの11番線と、もうひとつ奥の12番線の、2つが用意されています。基本的にはこの11番線が使われますが、「リレーかもめ」との乗り継ぎが無い列車などは、12番線を発着することもあるといいます。

 一般的に、在来線と新幹線を乗り換える際は、いったんコンコースの"のりかえ改札口"を経由します。しかし今回の対面乗り換えの場合はそれがありません。ホーム上を歩いてそのまま向かいの電車に乗ればいいのです。在来線特急と新幹線が1枚のきっぷで発行されるため、「博多駅の在来線改札で入って、長崎駅の新幹線改札で出る」ということが可能なわけです。

 発表されたダイヤでは、武雄温泉駅での乗り換え時間は3分間。乗り換えというよりもただの停車時間のような短さで、シームレスな移動を継続できます。

 コンコースに降りてみると、案内看板は、佐世保線と西九州新幹線の案内が一枚にあわせて書かれています。

 また駅名標には、隣の駅の案内として「←うれしのおんせん こうほく→」の文字が。前者は新幹線の隣駅である嬉野温泉駅、後者は在来線特急の次の停車駅である江北駅(肥前山口から改称)。一枚の駅名標に新幹線と在来線の駅案内が混在し、"一体的な路線"であるかのように書かれているのです。これも対面乗り換えならではの風景と言えるでしょう。

【了】

来日したエリザベス女王「新幹線は、時計より正確だときいています」 威信をかけた現場の奮闘

2022-09-10
J-CASTニュース 2022/09/09 13:00

エリザベス英女王の2022年9月9日(日本時間)の死去を受け、SNSでは来日時のエピソードに関心が集まっている。

女王は名古屋駅から新幹線に乗り込む直前、「新幹線は、時計より正確だときいています」とつぶやいた。しかし天候不良などで遅延が発生し、東京駅への定時到着は不可能に近かった。国鉄マンは威信をかけ、総力を挙げて挑んだ。

往路はストで飛行機に...

エリザベス女王は1975年5月7日、フィリップ殿下とともに日本を訪れた。英元首の初来日だった。5泊6日の日程で、天皇陛下主催の宮中晩餐会や、都心でのパレードなどに参加し、一挙手一投足が注目された。

トラブルもあった。5月10日の東京から京都への移動は東海道新幹線を使う予定だったが、国鉄の賃上げストライキが長引き断念。空路に変更された。

『新幹線と日本の半世紀』(交通新聞社新書)によれば、当時の木村睦男・運輸相はエリザベス女王と面会し、「新幹線にお乗りいただけなくなって誠に残念です」「(帰路には)名古屋からお乗りいただけるように万全の策を取ります」と謝意を伝えると、女王は「どうぞご心配なく」と笑顔を浮かべ、「ストはいつごろ終わりますか」と尋ねた。

12日の帰京は、新幹線が無事運行した。エリザベス女王の待ちに待った乗車時のエピソードが、JR東海の1994年のポスター広告で詳説されている。

キャッチコピー「幸福な仕事」とともに、新幹線にまつわる様々な出来事が辞書のように並ぶ。「とけい【時計】」という項目は、次の書き出しで始まる。「『新幹線は、時計より正確だときいています』一九七五年五月一二日、名古屋駅から新幹線に乗り込む直前、イギリスのエリザベス女王からお言葉がありました」

「幹部にも、諦めのムードが漂います」

エリザベス女王の期待に反し、この日はあいにく遅延が生じていた。女王へのおもてなしのため、乗車中にも遅れはさらに広がる。文章はこう続く。

(以下引用)

「しかし実際には、大雨による徐行で名古屋到着は二分の遅れ。さらに、女王陛下の荷物一七二個を積み込むのに時間がかかり、発車は三分の遅れ。そして、浜名湖付近で徐行、遅れは四分にひろがりました。また、富士川付近では、雲間にのぞく富士山を女王陛下にゆっくりご覧いただくため、スピードダウン。三島を通過する時点で、遅れを一分取り戻すのが精一杯でした」

(以上引用)

それでも期待に応えるべく、不可能ともいえる挑戦をした。

(以下引用)

「新幹線は、最高速度になるとAТCが作動し自動的に減速します。当時、新幹線の最高速度は時速二一〇キロ。そこで、ギリギリの時速二〇九キロで走らせる運転士の腕に"時計より正確"な新幹線の威信がかかっていました。東京駅前の本社五階、総裁室で定時到着を願う幹部にも、諦めのムードが漂います。しかしこの時、運転士だけは、定時到着を信じて時速二〇九キロで走り続けていたのです」

最後は「そして、一三時五六分定刻。女王陛下の新幹線は、何事もなかったように、ゆうゆうとホームに到着しました」と締めくくっている。

歴代新幹線 0系から700系まで

2022-09-07
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