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G馬場のプロレス

【 プロレス編】

日本プロレス時代の「ジャイアント馬場」

2021-05-15
日本プロレス時代の「ジャイアント馬場」②~1963-1968
ブルーザーとの決定戦で勝利した馬場はルー テーズ、力道山に続く第3代王者。これは「日本プロレスのエースであり、力道山の正当な王位継承者」という証なのです。

●馬場が憧れたバディ ロジャースとは?

2021-05-15
馬場が「アメリカ修行時代に見た中で、人気と実力を兼ね備えた最高のレスラー」と憧れたロジャースは、ついぞ来日しなかったため日本での知名度はイマイチですが、あのWWEのボス、ビンス マクマホン(Jr.)も子供時代に「最も憧れた選手」と語っています。

ロジャースは当時、全米一の観客動員力を誇るスーパースター。
安いギャランティでこき使われるのを嫌い敬遠していましたが、1961(昭和36)年6月、パット オコーナーを破り第43代NWA世界ヘビー級王者に。
これはルー テーズ以降、客を呼べるチャンピオンがロジャースしかいなかったからです。

ニックネームは「ネイチャー ボーイ」。「ダーティー チャンプ」の元祖となったヒールで、決め技は足4の字固め。
クジャクのようなロングガウン、ブロンドヘアー、ロジャース ストラートと呼ばれる気取った歩き方、レフェリーの陰で反則を繰り返し、ピンチに陥ると「オー ノー」と許しを乞うアクション、わざと反則負けして王座防衛などなど、リック フレアーはまんまロジャースのパクリなのです。
後期のタオルを持って入場するスタイルはニック ボックウィンクルが継承しました。
80年代を代表する世界チャンプの2人が揃ってそのスタイルを模倣することからも、ロジャースの影響力がわかります。

https://youtu.be/n5ZZfWDUdyE
馬場は日本人レスラーで唯一、
全盛期のロジャースのNWA世界タイトルに挑戦したレスラー。

世界選手権保持者

2020-10-07
NWA世界王者 自然児と魔術師 
バディー・ロジャース
パット・オコーナー
西海岸の王者 吸血鬼と覆面の魔王 力道山の前に立ちはだかりました。
フレッド・ブラッシー
ザ・デストロイヤー

力道山のインター戦

2021-05-18
Rikidozan vs Freddie Blassie
Rikidozan vs The Destroyer

Rikidozan vs The Destroyer

 (JWA December 2nd, 1963) (COMMERCIAL TAPE)

NWAインターナショナル・ヘビー級選手権のベルト

2021-05-18
このタイトルは1958年6月、これまでNWA世界ヘビー級王座の防衛戦を行ってきたルー・テーズの実績、貢献度が評価されて新設
力道山のインターナショナル・ヘビー級のベルト
次のモデルとなったインターナショナル・ヘビー級。このベルトは63年12月、力道山死去と共に封印され一代限りのタイトルとなった
72年に馬場さんの全日本プロレス旗揚げ時、このベルトが百田家から寄贈されPWFヘビー級王座として復活する
テーズが王者になった2ヶ月後の同年8月、カリフォルニア州ロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムで力道山が挑戦。見事ルー・テーズを下し第2代王者となります。

このタイトルは1958年6月、これまでNWA世界ヘビー級王座の防衛戦を行ってきたルー・テーズの実績、貢献度が評価されて新設され、初代王者に認定されその歴史がスタートした。
テーズが王者になった2ヶ月後の同年8月、カリフォルニア州ロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムで力道山が挑戦。見事ルー・テーズを下し第2代王者となります。以降、日本の至宝として力道山から馬場さん、鶴田、ブロディから三冠ヘビー級へと歴史を刻んでいき、プロレスファンなら知らない人はいないと言っても過言ではないタイトルとなりました
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