時機相応
時機相応について 時代の中で、この人は、どう生きたか?
中島貞夫の世界 日本巨匠目録
エロスとヤクザ。不本意な路線で突っ走ってきた中島貞夫監督。だが、本心は別にあった。山本周五郎のような時代劇を撮ってみたいと。ようやくめぐってきたのが、名取裕子の初主演による「序の舞」だった。
原作は宮尾登美子。明治期の女性日本画家として名をはせた上村松園がモデルだ。いわば純文学の世界。急行列車から、急に鈍行に乗り換えたようなものだ。
宮尾の作品は、これまで「鬼龍院花子の生涯」(1982年)と「陽暉楼」(83年)が映画化されているので3度目の映画化となる。
しかも名取もそれまでパッとしなかった女優人生だったが、「映画情報」84年1月号によれば「遅れてきたユーコがこの映画でようやく女優開眼の好機到来」と書いている。中島も名取もやっと宝物を手に入れたといえるだろう。
名取は青学在学中にカネボウの「ミス・サラダガールコンテスト」で準優勝し芸能界入りしている。ちなみにその時の優勝者は古手川祐子だった。
名取は本作でヌードもいとわない体当たり演技を披露し、話題になった。この後「吉原炎上」(87年)でも裸の演技でファンを魅了しているから、いわばターニングポイントといってもいい。
東映としては最初、佐久間良子主演、蔵原惟繕監督を予定していたが、蔵原は「南極物語」のキャンペーンで忙しいと断ってきた。そこで中島にお鉢が回ってきた。
ヒロインの津也の青年期は田中裕子にオファーしたが断られたので、同じ裕子ということで名取の名が挙がったという。小林綾子は「おしん」のヒットで引っ張りだこ。各社の争奪戦が起こっていたが、東映の所属とあってすんなり決まった。
中島は監督に決まると「場違いという感じはするが、女性を描きたくて映画界に入ったので、この映画と心中するつもりでがんばりたい」と当時のインタビューで答えている。
映画化には上村松園の息子、松篁は前向きだったが、孫が反対していたという。日下部五朗が「シネマの極道 映画プロデューサー一代」(新潮社)で明かしている。ところが孫娘の夫が当時の国税庁長官の福田幸弘という大物官僚。彼は大の映画好きとあって、急転直下、承諾が取れてめでたしめでたしとなった。 (望月苑巳)
■中島貞夫(なかじま・さだお) 映画監督。1934年8月8日生まれ、千葉県出身。東京都立日比谷高校、東京大学文学部を経て、59年に東映入社。助監督時代はマキノ雅弘、沢島忠、田坂具隆、今井正らに師事する。64年、「くノ一忍法」で監督デビュー。2023年6月11日、88歳で死去。