大谷派の装束
御門首の装束について
真宗大谷派の衣体(ころも)等について
法衣装束裂張交帖 手鑑 大型本 3冊 / 紙本 / 昭和56(1981)年編集 / 大型本:75.7×37.8 (cm)
2021-06-30
法衣関係の織物の裂を集めて、貼り付けた手鑑帖である。当コレクションには同様の内容で、小型本2冊、大型本3冊、中型本7冊が現存する。大型本に貼られた裂に関しては、昭和53(1978)年から整理を始め、56(1981)年に本として完成したとの記録が残る。墨書や年紀の記された裂も多く含まれており、ごく一部ではあるが法衣商の仕事を把握することができる。中には、「深量院様」(東本願寺21世門主厳如の弟、達智(大谷朗晶 〔1827-1885〕)の為の装束や、宮内省(当時)へ明治26(1893)年に納めた服地、さらに帝国奈良博物館の陳列箱用の裂地などが収録され、多種多様な御用を受けていたことがわかる。
[備考]
出典:『千總四六〇年の歴史 : 京都老舗の文化史』(展覧会図録)(京都文化博物館/千總、2015年)
[備考]
出典:『千總四六〇年の歴史 : 京都老舗の文化史』(展覧会図録)(京都文化博物館/千總、2015年)
下図 獅子牡丹紋打敷 地紙・まくり2枚 / 紙本著色 / 明治32(1899)年 / 各34.3×68.7 (cm)
2021-06-30
獅子と牡丹が描かれた、著色の打敷下図。獣王の獅子と花王の牡丹は定番化した豪奢な組み合わせである。一説では、薬草として名高い牡丹を獅子が食すことから、着用(使用)者の守護力を高める意味でも用いられる文様である。裏面の墨書から、本図は、本願寺名古屋別院からの依頼により、本願寺8世蓮如(慧燈大師〔1415-1499〕)の四百年遠忌のために作成された、打敷の下図であることがわかっている。千切屋惣(總)左衛門は、御装束師として、衣服だけでなく打敷のような調度品も誂えていた。その為、コレクションには同様の打敷の図案が多く現存している。
雛形 蓮華唐草文様七條袈裟 地紙・まくり1枚 / 紙本著色 / 天保12(1841)年頃
2021-06-30
蓮華唐草文様七條袈裟の実物大の紙製雛形である。
- 蓮華唐草文様七條袈裟の実物大の紙製雛形である。「金織」の立蓮華に黄や紫、青(花)などの色が施されており、完成した袈裟の華やかさが、下図からも伝わってくる。こうした実物大の雛形の具体的な用途は定かでないが、おそらく文様の配置や柄行を確認するために用いられた可能性がある。墨書には、本資料が「御新門様」の天保12(1841)年の法事のために制作されたこと旨が記されている。同様の雛形は当コレクションに複数現存しており、法衣商・千切屋の活動を示す資料である。
黄朽葉色八藤遠紋道服 装束1領 / 絹 / 弘化4(1847)年 / 123.3×92.3 (cm)
2021-06-30
東六条八藤紋をあしらった道服である。
東六条八藤紋をあしらった道服である。道服とは、袖幅が広くまた袖丈も長く、腰から下には襞(ひだ)のある装束のことで、様々な色に染められる。東六条八藤紋は東本願寺の紋の一つであり、織られた紋と紋の間が比較的離れている形態、すなわち遠紋であることから、本作が高い地位にある年配の僧に向けた道服であることがわかる。なぜ注文主に納められず千總に残ったかは不明である。近年、東本願寺や関連寺院に「千切屋惣左衛門」の名で納められた法衣の調査を進めている。
[備考]
出典:『千總四六〇年の歴史 : 京都老舗の文化史』(展覧会図録)(京都文化博物館/千總、2015年)
[備考]
出典:『千總四六〇年の歴史 : 京都老舗の文化史』(展覧会図録)(京都文化博物館/千總、2015年)