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美味求真

美味求真【食事】

九州を代表する、日本最初の「かしわめし」と昭和31年発売の「焼麦」を同時に味わえるお弁当です。

2021-03-17
九州を代表する、日本最初の「かしわめし」と昭和31年発売の「焼麦」を同時に味わえるお弁当です。

· 久しぶりに東海道線普通列車 早弁(笑)にはやっぱりコレ

2021-03-17
facebook目見田 上総さん 曰く— 場所: 鶴見
九州では、こちらをおいてはございません。

日本橋 人形町『玉ひで』

2021-03-11
玉子丼発祥の店
Facebook加來英樹さん曰く
日本橋 人形町『玉ひで』
気分は、長谷川平蔵(鬼平)   笑
※玉ひで:旧名 玉鐡
親子丼発祥の店
鬼平犯科帳『五鐡』モデルのお店
1760年(宝暦10年)
御鷹匠(おたかじょう)の家に生まれた
山田鐡右衛門が、徳川将軍家に出仕するかたわら
27歳のとき、妻「たま」と共に、
御鷹匠仕事の店「玉鑯(たまてつ)」を
江戸日本橋和泉町(現・日本橋人形町三丁目)にて開店創業
以後、2代目・山田鐡之丞の時代までは
大名などから依頼があった時にだけ
料理をふるまうという業態であった。
1852年(嘉永5年)店に専念し始めた
3代目・山田鐡之助の時代から繁盛し始め
名物店番付『江戸五高昇薫』内
「しゃもなべ」(軍鶏鍋部門)に
「四谷御門内万蔵金 ミソヤシンミチ大はし 住吉丁玉てつ 馬道桜や スキヤカシ中嶋」とあり
江戸屈指の鳥料理店5店の一つとして紹介される。
当時は格式高く庶民には縁遠い店であった。
1892-1895年(明治25-28年)頃 
5代目秀吉の妻「とく」が
鳥鍋の残りの割下に玉子を閉じるという
一部の客に独特の食べ方に着想を得て親子丼を考案する
1897年(明治30年)頃 
「秀さん」「秀吉つぁん」と愛称される
山田秀吉が5代目を継承する。
「玉鑯の秀さん」の店と通り名で呼ばれ
「玉秀(たまひで)」と呼ばれ始める。

五島軒、140年の歴史と想いを6分の動画でお伝えいたします。

2021-02-27
北海道函館市のレストラン「五島軒」は、2019年、創業140年を迎えました。
北海道函館市のレストラン「五島軒」は、2019年、創業140年を迎えました。 公式サイトはこちら→https;//gotoken1879.jp/ (全6分、2019年7月制作)

https://youtu.be/hYDR3azIqAQ
明治34年 函館の商店の風景 その1 ~1901 Hakodate,Hokkaido,Japan~

元祖食パン

2021-02-27
横浜元町ウチキパン
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