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アーカイブス in NBA

【野球は巨人という時代がございましたが・・・】

「バケモンかいな」

2024-05-27
あの江夏豊が絶賛「最後の300勝投手」鈴木啓示とは何者だったのか?

球史に残る大投手の生涯ベストシーズンの成績を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。沢村栄治、江夏豊、江川卓、山本由伸らに続く第16回は、「最後の300勝投手」鈴木啓示(近鉄)だ。
「成績文句なし」も沢村賞なぜ獲れず?

 鈴木啓示は“記録に残る大投手”である。通算317勝は史上4位。通算奪三振3061個も史上4位。通算被本塁打560本と通算無四球試合78試合はともに日本記録。6年連続最多奪三振も江夏豊と並ぶ日本記録。最多奪三振8回はパ・リーグ記録である。

 そんな「記録男」の鈴木だが、その年の最高の先発型投手に贈られる「沢村賞」に限っては、一度も手にしていない。沢村賞は、1988年まで選考対象がセ・リーグの投手に限られていたため、1966年から85年にかけて近鉄一筋で活躍した鈴木は対象外だったのだ。

 筆者の検証では、仮にパ・リーグの投手も沢村賞の対象だった場合、鈴木は1969年、77年、78年と、3度受賞していた可能性が高い。そのとおり受賞していれば、杉下茂(中日)、金田正一(国鉄他)、村山実(阪神)、斎藤雅樹(巨人)、山本由伸(オリックス)と並ぶ史上最多受賞である。

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 1995年5月2日、野茂英雄がメジャー初登板を果たしてから29年が経つ。

2024-05-05

 1995年5月2日、野茂英雄がメジャー初登板を果たしてから29年が経つ。ポスティングシステムもない当時、プロ6年目に突入する野茂が1995年も日本でプレーすることは当然と目されていた。
一体、近鉄のラストシーズンに何が起きていたのか。第3回に引き続き、近鉄時代の番記者が1994年12月からスタートした近鉄と野茂との「契約更改交渉」を振り返る――。【連載第4回/初回から読む】

打倒巨人に燃えたライバルたち

2024-05-25
1971年日本シリーズ第3戦、阪急・山田から逆転のサヨナラ3ランを放つ巨人・王 © 読売新聞

 今年、球団創設90周年を迎える読売巨人軍の歴史は、多くのライバルとの戦いで紡がれた物語でもある。「鉄腕」こと、長嶋茂雄と名勝負を演じた村山実、打倒巨人に燃えた星野仙一、データを駆使した「ID野球」で挑んだ野村克也――。阪急(現オリックス)の主力投手として、日本シリーズで4度、巨人と激闘を繰り広げた山田久志さん(75)に当時を振り返ってもらった。

「V9」川上野球に流れるドジャース流

2024-05-03
阪急との日本シリーズ第2戦、最後の打者・ウインディを右飛に打ち取り、1-0の完封勝利を挙げた堀内恒夫。捕手は森昌彦(現・祇晶)
(1967年10月22日、西宮球場で) © 読売新聞

■堀内恒夫さん・森祇晶さん対談

 読売巨人軍は1965年から73年まで、日本シリーズ9連覇を成し遂げた。「V9」として知られる歴史的偉業のうち、8シーズンにわたってバッテリーを組んだ堀内恒夫さん(76)と森祇晶さん(87)が対談し、名将・川上哲治監督に率いられたチームの強さについて語り合った。

■『ドジャースの戦法』読み勉強

 堀内「川上監督の野球は、勝つ野球。根底にはドジャース野球がありましたね」

 森「川上さんが監督1年目の1961年、米フロリダ州ベロビーチのドジャースキャンプに行ったことがV9の起点ではないか。ただ、投げて打っていた練習メニューが効率的になり、細かい戦術を取り入れるようになった」

三連発

2024-04-30
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