本文へ移動

闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

ジミー・ドゥリットル

2020-09-30
日本本土に爆弾落っことして、中国大陸まで飛んでった人だけれど、その後ヨーロッパで第八空軍の司令官やってます。
ロッキードの「高価過ぎる戦闘機」で形作った戦爆連合を「より安価でより優れた戦闘機」で完成させた御仁

75年経ち、建物は風化が進んでいます。

2020-09-30
只今、修復・現況保全中です。
その惨禍は、絶対繰り返してはなりません!

傀儡国家という時代

2020-09-30
満州国皇帝 愛新覚羅溥儀
東京駅ホームにて
君主への拝謁
名代を出迎え

愛新覚羅溥儀と溥傑

2020-09-30
満州国皇帝とその弟君
溥儀
溥傑

レーニン と ニコライ2世一家

2020-09-29
レーニンは「四月テーゼ」を発表し、臨時政府をブルジョワ政権とし、支持しないこと。「祖国防衛」という名の戦争継続を拒否することなどを宣言し、ボルシェビキのリーダーとして復帰した。
退位後監禁されていたニコライ2世とその家族は、反革命側に奪還され再擁立される恐れが生じたため、一家7人とも銃殺されその血筋は断絶した。
Facebook佐々木信雄さんの投稿
【20th Century Chronicle 1917年(t6)】
◎ロシア十月革命
*1917.11.7/ 「ロシア十月革命」、ボリシェビキがケレンスキー臨時政府を倒し、ソビエト政権を樹立する。
 「二月革命」では、「臨時政府」と「ペトログラード・ソビエト(メンシェビキ主導)」との二重政権であり、対独戦争の続行と講和終戦での内部対立があった。二月革命勃発時、レーニンは亡命地スイスに居たが、「封印列車」で戦争相手のドイツ国内通行するという秘策で急遽帰国した。敵国ドイツも、ロシアの内部混乱を助長する意図で、レーニンの通過を許可した。
 レーニンは「四月テーゼ」を発表し、臨時政府をブルジョワ政権とし、支持しないこと。「祖国防衛」という名の戦争継続を拒否することなどを宣言し、ボルシェビキのリーダーとして復帰した。しかしケレンスキー主導の臨時政府は、レーニンは敵国ドイツのスパイとしてロシアに送られたと宣伝した。
 その後、兵士たちの反臨時政府の武装デモが起るが鎮圧され、扇動したとされたボリシェビキに対する弾圧が強まった。レーニンは一旦地下に潜ったが、軍の反乱などで弱体化した寄せ集めの臨時政府に対して、やがてレーニン率いるボルシェビキは、急速に支持を拡大し、ペトログラード・ソビエト内でも、メンシェビキを駆逐して主導権を握った。
 もとから暴力革命を主張するボルシェビキは、ソビエトで多数派を占めると、即時武装蜂起を主張し、ソビエト内に軍事革命委員会を作らせて武装蜂起の準備を進めた。軍事革命委員会の指令下でボリシェビキの軍隊・赤衛軍は、1917年11月7日、ペトログラードの政府施設の占拠を開始し、翌日には、軍事革命委員会が「臨時政府は打倒され軍事革命委員会に権力が移った」とする宣言を発表した。翌未明には、臨時政府が置かれていたペトログラードの冬宮が制圧され臨時政府メンバーは逮捕された。
 十月革命では、二月革命で発足した立憲民主党(カデット)主導の臨時政府が倒され、臨時政府と並存していたボリシェビキ主導のソビエト(労働者・農民・兵士の評議会)へと権力が集中され、新政府としてレーニンを議長とする「人民委員会議」が設立された。
 ボルシェビキは旧体制時から憲法制定議会を要求していたため、政権奪取後、制定議会の議員を選ぶ普通選挙を実施した。しかし、ボルシェビキが第一党を確保できない結果に終わると、人民委員会議は憲法制定議会を強制的に解散させ、ここに「ボルシェビキ一党独裁」が成立する。そして翌年1月には「ロシア社会主義連邦ソビエト共和国」の成立が宣言され、ボルシェビキも「ロシア共産党」と改名し、ロシアは、世界初の共産党一党独裁共産主義国家となった。
 共産主義国家の安定には、まだまだ日時を要した。内部的には「ロシア内戦」(1917年-1922年)が続き、資本主義列強は、共産主義国家阻止のため対ソ干渉戦争を仕掛けてきた。各地で旧軍の将校らが反革命の軍事行動を始め、これら雑多な反革命軍は「白軍」と総称された。ソビエト政府側は、軍事人民委員となったトロツキーの下で「赤軍」を創設して戦った。
 この内戦と干渉戦は、ボリシェビキの一党独裁を強めた。革命直後に創設された秘密警察のチェーカーは、自由に逮捕や処刑を行う権限を与えられた。レーニンに対する暗殺未遂事件を起こると、政府は「赤色テロル」を宣言して激しい報復を行った。こんな状況下で、退位後監禁されていたニコライ2世とその家族は、反革命側に奪還され再擁立される恐れが生じたため、一家7人とも銃殺されその血筋は断絶した。
ドキュメンタリー『ソ連の歴史』
 革命の流れが分かりやすく編集されたドキュメンタリー映画。第二回あたりまでが、上記に該当する。 https://www.youtube.com/watch?v=09awF4y1Xls
(この年の出来事) 
*1917.2.1/ ドイツ、「無制限潜水艦作戦」を再開。アメリカの参戦のきっかけとなる。
*1917.3.20/ 理化学研究所の設立が認可される。
*1917.4.6/ アメリカ、ドイツに対し宣戦布告。第一次世界大戦の趨勢は、大きな転機を迎える。
*1917.9.12/ 大蔵省令で事実上の金輸出を禁止する。金解禁は1930年になる。
*1917.11.2/ イギリスが「パルフォア宣言」を発表。パレスチナにユダヤ人国家の建設を支援。
TOPへ戻る