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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

レーニン と ニコライ2世一家

2020-09-29
レーニンは「四月テーゼ」を発表し、臨時政府をブルジョワ政権とし、支持しないこと。「祖国防衛」という名の戦争継続を拒否することなどを宣言し、ボルシェビキのリーダーとして復帰した。
退位後監禁されていたニコライ2世とその家族は、反革命側に奪還され再擁立される恐れが生じたため、一家7人とも銃殺されその血筋は断絶した。
Facebook佐々木信雄さんの投稿
【20th Century Chronicle 1917年(t6)】
◎ロシア十月革命
*1917.11.7/ 「ロシア十月革命」、ボリシェビキがケレンスキー臨時政府を倒し、ソビエト政権を樹立する。
 「二月革命」では、「臨時政府」と「ペトログラード・ソビエト(メンシェビキ主導)」との二重政権であり、対独戦争の続行と講和終戦での内部対立があった。二月革命勃発時、レーニンは亡命地スイスに居たが、「封印列車」で戦争相手のドイツ国内通行するという秘策で急遽帰国した。敵国ドイツも、ロシアの内部混乱を助長する意図で、レーニンの通過を許可した。
 レーニンは「四月テーゼ」を発表し、臨時政府をブルジョワ政権とし、支持しないこと。「祖国防衛」という名の戦争継続を拒否することなどを宣言し、ボルシェビキのリーダーとして復帰した。しかしケレンスキー主導の臨時政府は、レーニンは敵国ドイツのスパイとしてロシアに送られたと宣伝した。
 その後、兵士たちの反臨時政府の武装デモが起るが鎮圧され、扇動したとされたボリシェビキに対する弾圧が強まった。レーニンは一旦地下に潜ったが、軍の反乱などで弱体化した寄せ集めの臨時政府に対して、やがてレーニン率いるボルシェビキは、急速に支持を拡大し、ペトログラード・ソビエト内でも、メンシェビキを駆逐して主導権を握った。
 もとから暴力革命を主張するボルシェビキは、ソビエトで多数派を占めると、即時武装蜂起を主張し、ソビエト内に軍事革命委員会を作らせて武装蜂起の準備を進めた。軍事革命委員会の指令下でボリシェビキの軍隊・赤衛軍は、1917年11月7日、ペトログラードの政府施設の占拠を開始し、翌日には、軍事革命委員会が「臨時政府は打倒され軍事革命委員会に権力が移った」とする宣言を発表した。翌未明には、臨時政府が置かれていたペトログラードの冬宮が制圧され臨時政府メンバーは逮捕された。
 十月革命では、二月革命で発足した立憲民主党(カデット)主導の臨時政府が倒され、臨時政府と並存していたボリシェビキ主導のソビエト(労働者・農民・兵士の評議会)へと権力が集中され、新政府としてレーニンを議長とする「人民委員会議」が設立された。
 ボルシェビキは旧体制時から憲法制定議会を要求していたため、政権奪取後、制定議会の議員を選ぶ普通選挙を実施した。しかし、ボルシェビキが第一党を確保できない結果に終わると、人民委員会議は憲法制定議会を強制的に解散させ、ここに「ボルシェビキ一党独裁」が成立する。そして翌年1月には「ロシア社会主義連邦ソビエト共和国」の成立が宣言され、ボルシェビキも「ロシア共産党」と改名し、ロシアは、世界初の共産党一党独裁共産主義国家となった。
 共産主義国家の安定には、まだまだ日時を要した。内部的には「ロシア内戦」(1917年-1922年)が続き、資本主義列強は、共産主義国家阻止のため対ソ干渉戦争を仕掛けてきた。各地で旧軍の将校らが反革命の軍事行動を始め、これら雑多な反革命軍は「白軍」と総称された。ソビエト政府側は、軍事人民委員となったトロツキーの下で「赤軍」を創設して戦った。
 この内戦と干渉戦は、ボリシェビキの一党独裁を強めた。革命直後に創設された秘密警察のチェーカーは、自由に逮捕や処刑を行う権限を与えられた。レーニンに対する暗殺未遂事件を起こると、政府は「赤色テロル」を宣言して激しい報復を行った。こんな状況下で、退位後監禁されていたニコライ2世とその家族は、反革命側に奪還され再擁立される恐れが生じたため、一家7人とも銃殺されその血筋は断絶した。
ドキュメンタリー『ソ連の歴史』
 革命の流れが分かりやすく編集されたドキュメンタリー映画。第二回あたりまでが、上記に該当する。 https://www.youtube.com/watch?v=09awF4y1Xls
(この年の出来事) 
*1917.2.1/ ドイツ、「無制限潜水艦作戦」を再開。アメリカの参戦のきっかけとなる。
*1917.3.20/ 理化学研究所の設立が認可される。
*1917.4.6/ アメリカ、ドイツに対し宣戦布告。第一次世界大戦の趨勢は、大きな転機を迎える。
*1917.9.12/ 大蔵省令で事実上の金輸出を禁止する。金解禁は1930年になる。
*1917.11.2/ イギリスが「パルフォア宣言」を発表。パレスチナにユダヤ人国家の建設を支援。

李香蘭から山口淑子へ   Facebook小林 知茂 さんの投稿

2020-09-27
山口淑子(李香蘭) 米国の有名ファッションデザイナー 親の墓参りの為に帰国 てんやわんやの東京の休日 東宝オールスター出演

ニイタカヤマボレ

2020-09-20
Facebook加來英樹さんのコメント
「ニイタカヤマノボレ ひとふたまるはち」の
 送信施設と一般に言われているが・・・
国:重要文化財
「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設」
旧日本海軍佐世保鎮守府隷下の無線送信所として
大正7年に着工、大正11年に完成
高さ 136メートル
基部の直径は約12メートル
厚さは76センチメートル
3本の配置は約300メートル間隔の正三角形
真珠湾攻撃の暗号
「ニイタカヤマノボレ一二〇八ひとふたまるはち」を
送信した電波塔として名前が挙げられることが多いが、
この暗号を部隊に向けて送信したのは
船橋送信所(艦船向けの短波と中波)と
愛知県の依佐美送信所(潜水艦向けの超長波)である。
針尾送信所は、瀬戸内海に停泊中の
連合艦隊旗艦「長門」が打電し
広島県の呉通信隊が送信したものを
受信し再発信したもので
中国大陸や南太平洋の部隊に
伝えたものであるとされるが
その詳細は不明とされている。

敗戦、そして占領

2020-09-20
Facebook佐々木信雄さんのコメント
『Get Back! 40's / 1945年(s20)』
(連合国軍による占領政策)
○8.28 連合国軍先遣隊が厚木に到着。30日、連合国軍最高司令官マッカーサーが厚木に到着する。
[f:id:naniuji:20161121154034j:image:w240:right]
○9.2 東京湾上の米戦艦ミズーリ号で、日本全権が降伏文書に調印する。(無条件降伏)
 1945年8月14日に日本政府が受諾したポツダム宣言で、日本を占領する組織は「連合国ノ占領軍」と表現され、9月2日に締結された降伏文書の中では、日本政府は「連合国最高司令官(SCAP)」の指示に従うとされた。連合国最高司令官の下に属する組織は、「連合国最高司令官総司令部」"General Headquarters,the Supreme Commander for the Allied Powers"(GHQ/SCAP)で、日本では「連合国総司令部(GHQ)」と略称される。
 1945年8月14日、アメリカ陸軍太平洋軍総司令官のダグラス・マッカーサーが「連合国最高司令官(SCAP)」 に就任し、同年10月2日東京に総司令部が設置された。最高政策機関としては、戦勝連合国側の11カ国で構成される「極東委員会」が設けられたが、実質的にはマッカーサー指揮下のGHQが、日本の占領政策を遂行する機関となった。GHQによる占領統治は、1952年4月サンフランシスコ講和条約で日本の独立が回復されるまで続いた。
 「連合国総司令部(GHQ)」は、多数を占めるアメリカ占領軍(USOF)と、イギリス軍主体のイギリス連邦占領軍(BCOF) が、連合国軍最高司令官の直下に指揮される構成となったが、イギリス連邦占領軍は中国・四国地方を担当し、残るすべての地域をアメリカ占領軍が担当した。ただし英連邦占領軍は、日本軍に対する武装解除や治安維持を担当し、民間行政は日本政府及びアメリカ軍が担当した。
 連合国総司令部の占領政策の最大目標は、日本の軍事力を徹底的に解体し、日本を中立・非武装化して政治を民主化することであった。初期はGHQ内で広く権限をもった民政局が策定して実施されたが、東西冷戦対立が始まって以降は参謀部の主導が多くなり、朝鮮戦争勃発以降は、大幅に軌道修正されることになる。
 連合国軍総司令部は、まず軍隊を解体し、思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、内務大臣の罷免、特別高等警察の廃止、政治犯の即時釈放などを実施し、さらに、政治の民主化や政教分離などを徹底するために大日本帝国憲法の改正、財閥解体、農地解放などを指示した。
○9.11 GHQが東条英機ら39人の戦犯の逮捕を命令する。(東条は自殺未遂)
○9.27 天皇が米大使館にマッカーサーを訪問する。
○10.4 GHQが政治信教ならびに民権の自由に対する制限の撤廃に関する覚書を政府に交付する。(政治・信教・民権の解放自由化)
○10.11 マッカーサーが幣原首相に、憲法の自由主義化、婦人解放など5大改革を指令する。(憲法改正の指示)
○11.6 GHQが持株会社の解体に関する覚書を政府に交付する。(財閥解体)
○12.22 労働組合法が公布される。(労働組合自由化)
○12.29 農地調整法が改正公布される。(農地改革)
*この年
戦災による文化財の被害甚大/メチルアルコール中毒の死亡者続出/日本人の平均寿命は男23.9歳、女37.5歳/第1回宝くじ売り出し
【事物】国産ジェットエンジン/ズルチン(砂糖の代用)/輪タク
【流行語】神州不滅/虚脱状態/ピカドン(原爆)/1億総懺悔/たけのこ生活
【歌】お山の杉の子(安西愛子ほか)/リンゴの歌(並木路子)
【映画】勝利の日まで(成瀬巳喜男)/そよ風(佐々木康)/ユーコンの叫び(米・戦後初の洋画)
【本】太宰治「お伽草紙」/火野葦平「陸軍」「悲しき兵隊」/誠文堂新光社「日米会話手帳」(360万部売上)
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