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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

ベニトの時代

2022-06-17
Facebook 佐々木 信雄さん曰く

(ムッソリーニ ファシスタ党)
*10.28/伊 ムッソリーニがローマに進撃して制圧。ファシスタ党政権を成立させる。
 ベニート・ムッソリーニは、第一次世界大戦前からイタリア社会党に所属し、機関誌編集長として活動したが、第一次大戦に際して積極参戦を主張し除名される。ムッソリーニは志願して従軍し有能な戦士として闘ったが、瀕死の重傷を負って終戦をむかえる。1919年3月、ミラノで、自身と同じ復員軍人や旧参戦論者を中心とする新たな政党「イタリア戦闘者ファッシ(戦闘ファッシ)」を設立するが、社会主義的残滓を捨てられず、一般民衆の支持を得ることはできなかった。
 やがてムッソリーニは、綱領から社会主義的な表現を一掃、民族主義を前面に出し、愛国心・戦争礼賛・偉大な国家イタリア、といった情緒的な表現であおり、反議会主義、反社会主義を鮮明にした。ムッソリーニの主張は、戦後に頻発した社会主義者によるストライキや労働運動に、強い不安を抱いていた保守層の支持を集めた。
 北イタリアで復員兵などによって「襲撃隊」と呼ばれる民兵祖組織が作られ、社会主義者に暴力的に対抗するようになると、ムッソリーニは襲撃隊を実行行動組織として傘下に収めた。1921年10月、「国家ファシスト党(PNF)」を結成、ファシスト運動を政党化し、また各地の実力行動隊も党の私兵組織として糾合され、「黒シャツ隊」と呼ばれる様になった。
 ムッソリーニは民族主義・国家主義を掲げる政権を打ち立てるべくクーデターの準備を始め、1922年10月28日に黒シャツ隊を中心としたファシスト党員4万人がローマ進軍を決行した。ムッソリーニ自身はミラノで事態を見守っていたが、国王ビットーリオ・エマヌエーレ3世は、無策のルイージ・ファクタ政権をみかぎり、ムッソリーニをローマに召喚し、組閣を命じた。こうしてムッソリーニは政権を奪取することに成功し、39歳でイタリア史上最年少の首相となった。
 ムッソリーニが創設した「ファシスト党」は、その語源から「結束党」などと訳されるが、そこから「ファシズム」という語が派生する。ファシズムというと「全体主義」とほぼ同義で使われるが、本来は一意的に規定しがたい要素を含んでいた。ヒトラーのナチスがファシズムの代表のように受取られているが、ムッソリーニのファシズムとは、かなり違っている。
 ムッソリーニは、古代ローマの系譜をうけて「イタリア民族主義」を結束の中心に置いたが、ヒトラーは「アーリア人種主義」という怪しげな概念を持出した。このようなヒトラーの脳内に生じた妄想が、優勢人種という架空の概念を際立させるために、劣勢人種ユダヤ人という概念を作り出し、その殲滅をはかった。
 ムッソリーニとってはことは簡単で、「イタリア民族」として結束して事態にあたろうというだけであった。そしてヒトラーが、古代ローマという基盤をもたないことでコンプレックスに突き動かされていると見抜いていた。ヒトラーを、まったく信用していなかったはずである。
 絵描きくずれの粗野な浮浪者だったヒトラーに比べて、ムッソリーニは、その容貌からくるイメージに反して、意外にも深いインテリジェンスをもっていた。師範学校を首席卒業して、イタリア社会党では機関誌編集長として頭角をあらわした。当時のドイツ哲学やフランス哲学を自学し、ドイツ語、フランス語など語学にも堪能で、フランス語教師として雇用されると、歴史学と国語・地理学も担当したという。
 ムッソリーニは演説でも大衆を引き付けたが、絶叫し自己陶酔するヒトラーとは対極的に、愛国心を胸に秘めながら、理路整然と理知的に語り、それでも民衆を熱狂させた。また、国家を統合するために、ファシスト党が全権を握る必要があると考えたが、自身が独裁者になるつもりはなかったという。しかし、ヒトラーが、政権奪取に利用した突撃隊を粛清したのには否定的な見解を漏らし、苛酷な粛清を嫌った。それは「独裁者」としてのムッソリーニにとって、逆に「甘さ」であったかもしれない。
 また、スイスでの放浪時代には、レーニンと知己を得て、誰も理解できないマルクス=レーニン主義の理論を、ほぼ理解したという。そのようなムッソリーニが、やがて独裁者となり、ヒトラーと結んで第二次大戦に参戦し、敗色濃厚となるとパルチザンにつかまり、愛人と共に逆さ吊りして晒されるという終末をむかえることとなる。

植野 茂幸さんのコメント、 左奥、GHQ。

2022-06-17
Facebook 渡辺 恒久さんより
三菱財閥の本拠前/1968年(昭和43年)に解体されました
当初図(ジョサイア・コンドルの設計図)

長崎原爆で壊滅する前の穏やかな長崎市浦上地区を記録した貴重な映像

2022-06-17

Facebook 日本二十六聖人記念館さん曰く


■超貴重!戦前の浦上天主堂や長崎の風景を映した幻の映像が、YouTubeで公開されました。
 以前ご紹介した、原爆で崩壊する前の浦上天主堂を撮影した個人の方が撮影したフィルム。
 寄贈を受けられた京都の「おもちゃ映画ミュージアム」が、その全編を公開してくださいました!
 教会のみならず、長崎医科大付属医院、路面電車、諏訪神社、浜の町商店街、精霊船などなど、本当な映像ばかりです。
 浦上天主堂は開始後4分5秒目くらいから登場いたします。
 是非、是非ご覧ください!

暴露はスキャンダルへで、幕引きとなりました。

2022-06-16

Facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1972(s47)年】-4
◎沖縄返還密約の極秘文書漏洩問題
*1972.3.27/ 社会党の楢崎議員らが、国会で外務省の極秘公電を暴露、沖縄返還にからむ密約があったことが判明する。
*1972.4.4/ 外務省の機密文書を漏らしたとして、西山太吉毎日新聞記者と外務省女性事務官が国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕、起訴される。(外務省機密漏洩事件/西山事件)
 1972(s47)年3月27日、衆議院予算委員会で社会党の横路孝弘と楢崎弥之助議員が、外務省極秘公電を入手、沖縄返還で密約があったことを暴露した。この密約公表は大きな反響を呼び、世論は日本政府を強く批判し、政府も外務省極秘電文コピーが本物であることを認めた。
 1969(s44)年11月、佐藤栄作首相とニクソンアメリカ合衆国大統領との間で合意された沖縄返還は、1971(s46)年6月に沖縄返還協定が調印され、1972(s47)年5月15日に沖縄が返還されることになっていた。しかしその返還に関して、日米間に密約があったことが、明らかになった。一つは、有事の際の米軍による核兵器の持ち込み、もう一つは、軍用地の原状回復費用の肩代わりに関するものであった。
 佐藤内閣は1968(s43)年に「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」とする非核三原則を宣言し、ニクソンとの会談でも「核抜き・本土並み」で合意したことになっているが、実際には、有事の際に核兵器を持ち込むことを可とする密約があったこと明らかになっている。しかしこれは、それを検証する有識者員会によって「必ずしも密約とは言えない」と結論された。
 もう一つが、沖縄返還に際して発生する費用の負担の件であった。アメリカ側は沖縄に投下したすべての資金の支払いを要求したが、日本側は、軍施設の買い取りは政治問題になりかねないので、返還後沖縄に譲渡する施設のみ買い取るとした。沖縄返還協定で、返還される資産の買取りなどに支払ったとされる額は、日本側の支出額は3億2,000万ドルとなっているが、これには、アメリカの戦略的プロパガンダ放送を流すVOA(広義の軍施設)の移転費1,600万ドルが秘密裏に含まれていたという。
 さらに、基地などに接収されていた土地を沖縄に返すときの原状回復費用や補償費用は、米軍側が負担することになっていたが、実際には日本が肩代わりする密約が交わされていた。この400万ドル分の肩代わり密約が、横路議員らが入手した外務省極秘電文に書かれていたのだった。
 国会での政府追及は必至かと思われたが、政府は情報源を毎日新聞政治部記者の西山太吉と突き止め、さらに西山と外務省女性事務官の不倫関係を掴むと、佐藤首相は一転して強気に出た。そしてすばやく、一週間後の4月4日、西山と女性事務官は外務省の機密文書を漏らしたとして、国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕、起訴された。
  週刊新潮が不倫関係をスクープし、起訴状に「ひそかに情を通じ、これを利用して」と2人の男女関係を暴露する記述があるのが報道されると、一気に状況が一変した。マスコミで「情を通じ」という言葉が独り歩きし、政治ネタよりも下ネタを好む世間も、一気に両人の不倫関係に関心を向けた。
 毎日新聞は夕刊に「本社見解とおわび」を掲載、「西山記者の私行は詫びざるを得ないが、これを報道の規制にすり替えてはならないと」との主張をしたが、情報源の秘匿を守れなかった負い目もあって、腰砕けになってこの問題の追及を一切やめた。一方の週刊新潮は、ここぞとばかりライバルの新聞批判大キャンペーンを展開、他のマスコミも追随して、世論は一転、西山と女性事務官を非難する論調一色となった。
 一方、佐藤首相は機密保護法制定を臭わせるなどして、マスコミをけん制、裁判においても、審理は男女関係の問題、機密資料の入手方法の問題に終始した。起訴理由が「国家機密の漏洩行為」であるため、審理はその手段である機密資料の入手方法に限定され、密約の真相究明は東京地検側からは行われなかった。
 西山が逮捕され、密約自体の追及は完全に尻つぼみになり、また、取材で得た情報を自社の報道媒体でなく、国会議員に提供し国会における政府追及材料とさせたことで、西山はジャーナリスト生命を絶たれ、情報源の秘匿が不完全だったため、情報提供者の逮捕を招いたことで、毎日新聞社も批判の対象となった。この事件を契機に、毎日新聞も衰退をたどり、メジャーメディアとしての地位を失うことになる。
(この年の出来事)
*1972.2.27/ ニクソン米大統領が電撃的に中国を訪問し、米中共同声明(上海コミュニケ)を発表する。
*1972.6.17/ 米ワシントンの民主党本部に、盗聴器を仕掛けようと侵入した5人が逮捕され、その後の捜査で「ウォーターゲート事件」へと発展する。
*1972.8.26/ 第20回オリンピック・ミュンヘン大会が開催される(~9.11)。会期中の9月5日、パレスチナゲリラによってイスラエル選手が殺害される。
*1972.11.5/ 中国から贈られたパンダ2頭が、東京上野動物園で初公開される。

ロシアのウクライナ侵略

2022-06-13
ロシアのウクライナ侵略は、「軍事専門家」や「ロシア情勢に詳しい」先生方のご託宣では、露の当初目論み通りに進まず、ウクライナ軍の抵抗・結束が予想外とか。一方、先週述べた国際社会の冷徹な現実・本音は、①国際法違反の露の力による現状変更は阻止。②露による旧ソ連の失地回復意図の抑止。③しかし核保有国・露との軍事衝突は避けたい――でしょうか。
 その為①武器を含むウクライナへの援助、②露への経済等の制裁について、米を含むNATO諸国と日本等自由・民主制の国は一致しています。しかし戦場はウクライナ、闘い傷つき、避難を強いられるのもウクライナ国民なのは冷徹な国際社会の現実です。専門家のご託宣は、軍事力に勝る露がいずれウクライナを軍事的には制圧するとか。ウクライナは露に対抗する為、「ウクライナを飛行禁止空域に指定し、露の空爆を停止させる」ようNATOに要請していますが、禁止空域を無視して攻撃を続けるであろう、核保有大国露との全面戦争を避けたい米国やNATOのストルテンベルグ事務総長は要請に応じていません。
 露との陸つづきの欧州諸国としては当然の現実的判断です。となると、経済制裁がジワジワ効くまでウクライナが頑張れるか、露が軍事的に勝利しても亡命政権やゲリラ戦で対抗できるか――になります。自由と民主制の諸国が一致結束し、露に致命的な更なる経済制裁を行えるかも鍵を握っています。露経済を支える原油、天然ガス、小麦の輸入停止、不買運動です。
 経済制裁は日本を含め制裁国や世界経済にブーメランのようにはね返ってきます。食料品、電気ガス料金、ガソリン価格の高騰や景気低迷です。株式市場は既に暴落。7日の読売新聞世論調査では、対露制裁支持は80%、岸田内閣支持率は57%でしたが、制裁が更に強化された時、世論はどう動くでしょうか。遠いヨーロッパの事で暮しが大変と不満を鳴らすのか、自由と民主制、国際秩序を護る為に、ウクライナ国民の苦難を思えば耐えねばならないと思うのか。
 君主論の著者マキャベリは、「ある事を成功させるには、その事業に人々を駆りたてる何かがあるか否かだ」と述べています。その何かは対露制裁の大切さを国民に理解してもらう指導者の姿勢と言葉です。私達も我慢してこそ各国で結束できるのです。日本はロシアや中国と違い、自由に発言し自由な投票により国家の意思を決められる幸せな国であるだけに、意思決定権を持つ私達の姿勢が問われてもいるのです。


ロシアのウクライナ侵略は、日本にも考えさせられることが多いようです。国民に安心安全で幸せな日常を担保する理念・統治の仕組は、国により様々です。自由と市場経済の国、統制や計画経済の国、国民主権の民主制の国、世襲の君主制の国、民主制の衣を纏っていても反対の価値観や意見を抑えこむ独裁国家も。そのなかで各国は国益をかけ動くのが国際社会の現実です。この現実のなかで、国際秩序・平和を護る大原則は、軍事力等力で現状を変えない、他国の主権を犯さないとの国際法や国連憲章の基本原則です。
 全ての国がこの基本原則を護るとは期待できない現実をウクライナ侵略は教えています。だからこそ各国は防衛力を整備し、相互に助け合う同盟関係や安全保障条約を締結しています。日本国憲法の前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意…」は、冷徹な国際社会の力の現実であるウクライナ侵略、北朝鮮の核とミサイル開発、尖閣問題、竹島や北方四島の現状からは、どう考えれば良いのでしょう。
 国際紛争の当事国には自らを正当化する各々の言い分があり、プーチン大統領の暴挙にも、ロシアを対象とする軍事同盟NATOが、自国の身近に迫るのを抑止したいとの言訳が。しかし、プーチン大統領の言い分の理解と暴挙への理解は違うのです。ウクライナはNATO加盟国ではありませんが、ロシアの苛立ちがウクライナを戦場にし、ウクライナ国民に犠牲を背負わせています。武器を含めた援助や各種制裁も大切ですが、ウクライナの平和と安全を保障する為、米国と欧州がロシアとの交渉の前面に直接出て、NATOとロシアの相互譲歩の交渉・合意は出来なかったのでしょうか。ゼレンスキー大統領の姿勢、ウクライナ国民のけな気さが心を打つだけに、国際社会の冷徹な現実を感じます。
 核保有の軍事大国が力による現状変更を強行した時、核保有国同士の争いを覚悟のうえで、当事国(今回はウクライナ)を他国が前面に出て助けるでしょうか。日本は世界三位の経済大国であり、日米安保条約による米国の同盟国ですが、それでも米バイデン大統領の今回の発言や米国世論を見ると、どうでしょう。防衛力増強や核の共同管理(米国の核の国内配備と共同運用)について、観念的・感情的に主張、反対する前に、まず安穏な日常を当り前とせず、冷徹な国際社会のなかで祖国・日本がどうあるべきかの国民的議論の時だと思うのです。
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