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【Shows at Home】民衆の歌 / Do You Hear The People Sing ? - Les Miserables -
民衆の歌 The People's Song 「レ・ミゼラブル」より
https://www.youtube.com/watch?v=MNIyjmd-LwI
◆ジャン・バルジャン/吉原光夫
◆ジャベール/伊礼彼方
◆ファンテーヌ/濱田めぐみ
◆エポニーヌ/昆 夏美
◆マリウス/海宝直人
◆コゼット/生田絵梨花
◆アンジョルラス/小野田龍之介
◆テナルディエ/駒田 一・斎藤 司
◆マダム・テナルディエ/森公美子
◆コンブフェール/中井智彦
◆クールフェラック/持木悠
◆フイイ/杉浦奎介
東京五輪「中止検討せざるを得ない」組織委顧問の千玄室氏 現状での開催に危機感
新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期された東京五輪・パラリンピックについて、大会組織委員会の顧問を務める茶道裏千家の千玄室前家元(97)が、京都新聞社の取材に応じた。千氏は「来年までに世界各国で収束しないと準備ができない」と話し、現状での五輪開催に危機感を示した。
延期が発表された3月24日、安倍晋三首相と国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、中止はないと確認。一方で、組織委員会の森喜朗会長は、再延期は「絶対ない」との見方を示し、バッハ会長も今月、英BBC放送のインタビューで、来年開催されなかった場合、中止となる見通しを示している。
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/263872?fbclid=IwAR0TSMWXC_ZhLFj9e23wDePy029e2OZhPYp_vf4dE9zdsrDcZ4nhIuDg-HY
関西でも宣言解除
社説:京都も宣言解除 油断せず冷静に行動を
コロナ情報について、最新情報をご覧になりたい方は、"コロナ、そして今"へ!
コロナに思う♯14 田中耕一氏 02年ノーベル化学賞 島津製作所
内田樹の研究室 Facebook 桑門 超さんのシェアより
市民たちの相互監視が始まっている。
GWの外出自粛を受けて、県外の車を煽ったり、傷をつけたりする事例が出ている。休業要請に従わず開業している店舗に落書きをしたり、備品に傷をつけたりする人も出て来た。
「こういうこと」ができるのは、「そういうことをしても許される社会的な空気」を彼らが感知しているからである。いまなら「そういうこと」をしても処罰されない、少なくとも「私は市民として当然の怒りに駆られたやったのだ」という自己正当化ができると知ると「そういうこと」をする人たちがいる。
私はそういう人たちをこれまで何度も見て来た。前にも書いたが今度も繰り返す。
私たちの社会は「自分がふるう暴力が正当化できると思うと、攻撃性を抑制できない人間」を一定数含んでいる。彼らがそのような人間であるのは、彼らの責任ではない。一種の病気である。
人間は「今なら何をしても処罰されない」という条件を与えられたときにどのようにふるまうかで正味の人間性が知れる。これは私の経験的確信である。前に嫌韓言説について書いたときに私はこう書いた。読んだことがある人もいると思うが、大切なことなので再録する。
嫌韓言説の一番奥にあるほんとうの動機は「おのれの反社会的な攻撃性・暴力性を解発して、誰かを深く傷つけたい」という本源的な攻撃性である。「ふだんなら決して許されないふるまいが今だけは許される」という条件を与えられると、いきなり暴力的・破壊的になってしまう人間がこの世の中には一定数いる。ふだんは法律や常識や人の目や「お天道さま」の監視を意識して、抑制しているけれども、ある種の「無法状態」に置かれると、暴力性を発動することを抑制できない人間がいる。
私たちの親の世代の戦中派の人々は戦争のときにそれを知った。ふだんは気のいいおじさんや内気な若者が「今は何をしても処罰されない」という環境に投じられると、略奪し、強姦し、殺すことをためらわないという実例を見たのである。戦中派の人たちは、人間は時にとてつもなく暴力的で残酷になれるということを経験的に知っていた。
私も60年代の終わりから70年代の初めに、はるかに小さなスケールだが似たことを経験したことがある。大学当局の管理が及ばない、あるいは警察が入ってこないという保証があるときに、一部の学生たちがどれほど破壊的・暴力的になれるのか、私はこの目で見た。
最初は三里塚の空港反対闘争に参加したときに、学生たちが無賃乗車したのを見たことである。数百人が一気に改札口を通ったのだから、駅員には阻止しようがない。切符を買っていた私が驚いていたら、年長の活動家が笑いながら、「資本主義企業だから階級的鉄槌を下されて当然だ」という政治的言い訳を口にした。
しかし、降りた千葉の小さな駅で、屋台のおでん屋のおでんを学生たちが勝手に食べ出したのには驚いた。「やめろよ」と私は制止したが、学生たちはげらげら笑って立ち去った。おでん屋は別に鉄槌を下すべき資本家ではない。ただの貧しい労働者である。その生計を脅かす権利は誰にもない。でも、学生たちは「衆を恃んで」別に食べたくもないおでんを盗んだ。今なら盗みをしても処罰されないという条件が与えられると、盗む人間がいる。それもたくさんいる、ということをそのとき知った。
学生運動の渦中で多くの者が傷つき、殺されたが、手を下した学生たちにも、その人を傷つけなければならない特段の事情があったわけではない。ただ、政治的な大義名分(「反革命に鉄槌を下す」)があり、今なら処罰されないという保証があったので、見知らぬ学生の頭を鉄パイプで殴りつけたり、太ももに五寸釘を打ち込んだりしたのである。その学生たちはそののち大学を出て、ふつうのサラリーマンになった。今ごろはもう年金生活者だろう。
私はこういう人たちを心底「怖い」と思っている。こういう人たちを「大義名分があり、何をしても処罰されない」という環境に決して置くべきではないと思っている。だから、できるだけ法律や常識や世間の目が働いていて、「何をしても処罰されない」という環境が出現しないように久しく気配りしてきたのである。(ここまで)
いま、コロナウィルスの感染が広がる中で、行政が明確な休業指令を出さず、民間の「自粛」の委ねてしまったせいで、「自粛に従わないものには市民が処罰を下してもよい」という口実で暴力行使の正当化をする人たちが出て来た。
これは嫌韓言説に乗じて、市民生活の中では決して許容されないような卑劣で醜悪な攻撃性を発揮していた人たちと「同類」の人々である。「自粛」というあいまいな行政指導は市民たちの相互監視を督励する。そして、それは単なる監視にとどまらず、「自粛しない市民を攻撃しても処罰されない」という心証をかたちづくった。
彼らはちゃんと法律が機能し、常識が有効であり、「世間の目」が光っているときなら、そんなことはしない人たちである。でも、少しでもその規制が緩むと、自分の中の攻撃性を抑制することができなくなる。
そのことは例えばSNSで激しい攻撃的な言葉を書き送る人たちの多くが匿名であることから知れる。彼らは「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・自分の言動が処罰されない保証があると知れると、過剰に暴力的になる人間」である。そして、たぶん彼らは「あらゆる人間はそうだ」と思っている。でも、それは違う。世の中には、「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・処罰されるリスクがない時」でも、「お天道様」が見ているという自制を失わず、常識的に、ジェントルに、節度をもってふるまう人がいるからである。この人たちは「あらゆる人間が自分と同じだ」とはたぶん思っていない。でも、自分はそういう人間であり続けようと思っている。
この二種類の人たちはいずれも少数派である。おそらくそれぞれ集団の10%内外だと思う(この辺の数字は私の経験知であるので、厳密ではない)。残りの80%はこのどちらが優勢であるかによってふるまい方を変える。
「どんなことがあっても穏やかに、市民的にふるまう人」はいつも同じようにふるまう。平時でも非常時でも変わらない。一方、「処罰するリスクがないときに過剰に暴力的になる人」は「処罰のリスク」という可変的な条件に従って、ふるまい方をがらりと変える。まったく違う人間に見えるほど変える。人が変わったように変わる。それが可視化されるかどうかは「処罰のリスク」というごく散文的な条件によるのである。
「外出自粛」は行政が明確な基準も、それに対するペナルティも示さなかったことによって、この人たちのうちに「今なら人を攻撃しても処罰されない」という確信を醸成した。
いま、あちこちで罵声が聞こえる。スーパーの店員にどなりつけたり、ATMの列でどなりつけたりしている人たちは全員が「自分は社会的な正義を執行している」と思ってそうしているのである。今なら、どれほど暴力的になっても、それを正当化するロジックがあると思ってそうしているのである。だから、止められない。彼らを止める方法は一つしかない。 法律が機能し、常識が機能し、「世間の目」が機能するようにしておくことである。
大阪では休業要請に従わない店名を公表するということが行われた。これは「この店に対してはどのような攻撃的なことをしても処罰されない」という保証を間接的に与えるものである。少なくともそういう解釈の余地を与えた。大阪府知事は、人間が条件次第でどれほどでも攻撃的になり得ること、その機会をつねに窺っているということを知らないか、あるいは知っているが知らないふりをしているのだと思う。市民が相互に監視し合い、相互に告発し合い、相互に攻撃し合う社会はおそらくある種の人々にとっては「管理コストが非常に安く上がる」社会に見えるのだろう。
ゲシュタポはきわめて効率的に反政府的な人々を逮捕していったが、それは彼らの捜査能力が高かったからではない。逮捕者のほとんどは隣人の密告によるものだったからである。
市民を相互監視させることによって統治コストは劇的に削減される。それは事実である。けれども、その代償として、「大義名分をかかげて隣人を攻撃し、屈辱感を与える」ことに熱中する人々の群れを解き放ってしまう。それがどれほど危険なことなのかについて、人々はあまりに警戒心がないと思う。
銀座の鐘
感染拡大が続く新型コロナウイルスに対応するため、厳しい勤務が続く医療関係者に感謝を示そうと、東京 銀座の交差点では時計塔から鐘の音が流されました。
新型コロナウイルスに感染した人たちの治療に当たっている医師や看護師など、医療現場のスタッフに対して、イギリスでは毎週木曜の午後8時に一斉に拍手や口笛を送ったり、フランスではエッフェル塔に「ありがとう」を意味する「MERCI」のメッセージが映し出されたりするなど、感謝の気持ちを示す動きが世界各地で広がっています。
日本でも、感染のリスクにさらされるなど厳しい勤務状況が続く医療スタッフへの感謝の気持ちや感染拡大を防ぐために家で過ごそうというメッセージを伝えようと、20日から東京 銀座のデパートにある時計塔から「命の鐘」と題して、鐘の音が流されることになりました。
鐘の音は午後7時ちょうどから流され、緊急事態宣言が出され、ふだんより格段に人通りが少ない銀座の町なかに鳴り響きました。
鐘の音は、毎晩7時から流され、「YouTube」などでも配信される予定です。
企画した郷司望さんは、「一日に一度、一緒に医療関係者に感謝の気持ちを示すきっかけになれたらと思います」と話していました。
ダライラマ14世のメッセージ
親愛なる兄弟姉妹の皆様へ
世界中の多くの方々からの度重なる要請に応えて、私の思いを記したいと思います。新型コロナウイルス(COVID-19)の発生により、今、私たちは大変な苦難の最中にあります。
古代インドの伝統は、時間の経過にともなう世界の創造、持続、破壊について説明しています。そのような破壊の原因の中には武器や病気があると書かれており、これは、私たちが今まさに経験していることと一致しているように思われます。しかしながら、どれほど大きな脅威に直面しようとも、人間を含めた生きとし生けるものは、生き抜くために素晴らしい能力を発揮してきました。
いかに困難な状況であろうとも、私たちは科学技術と人智を尽くして決断し、勇気をもって、立ちはだかる問題を乗り越えなければなりません。健康と幸福が脅かされているのですから、不安や恐れを感じるのは当然です。とはいえ、目の前の問題をどのように捉えるべきかについては、私は次の賢明な助言に大きな慰めを得ています。「もし、改善策があるならば、心配せずそれを実行しなさい。しかし、何も改善策がなければ、それ以上心配しても何の役にも立ちません」
現在、新型コロナウイルスの拡大を防ぐためにだれもが最善を尽くしています。私は、ウイルスの脅威を最小限に抑えるために国家間で協調した努力がなされていることを、心より称えたいと思います。とりわけ、インドの主導権のもとに南アジア地域協力連合の国々が緊急基金を設立し、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための情報、知識、専門技術を交換するための電子プラットフォームを立ち上げたことは素晴らしい取り組みだと思います。これは、将来、このような危機に対処する際にも良き手本となることでしょう。
私は、世界各地で都市封鎖の必要が生じた結果として、多くの方々が収入を失い、大変な困難に直面しておられることも理解しています。安定した収入のない方々が生きていくには、毎日が闘いです。こうした弱い立場にある方々にできるかぎりの配慮がなされるよう、私はすべての関係者の方々に、切にお願いしたいと思います。
また私は、自らの命を大きな危険に晒しながら、人命救助の最前線で働いておられる医師や看護師、その支援業務に携わるすべての方々に、心より深い感謝の念を捧げます。彼らの奉仕活動は、まさに慈悲の心の実践にほかなりません。
苦難の最中にある世界中の兄弟姉妹の皆様のことを深く心に想い、私は、この世界的な感染症が一刻も早く終息し、平和と幸福が一日も早く戻るよう祈りを捧げたいと思います。
祈りを込めて
ダライ・ラマ
仰せを蒙りて
お釈迦様の話
釈尊の生涯と教え
釈尊のお説法
漫画『ブッダ』
王子シッダールタに、富も家族もすべてを捨てる決意をさせたものとは
2500年前、インド。王国間の争いが絶えないこの地に、世界の王になると予言された男の子が誕生する。シャカ国の王子、ゴータマ・シッダールタだ。思春期を迎えたシッダールタは、盗賊の少女ミゲーラら身分の低い人々と心を通わせ、厳しい階級社会に疑問を抱くようになる。
旅先で出会ったのは、未来を予知でき、自分が死ぬ日をも受け止める不思議な少年・アッサジ。彼が自らの命をオオカミの子供たちに捧げるのを目のあたりにしたシッダールタは、死と隣合せの過酷な苦行に身をゆだねる。
一方、強大な勢力を誇る大国・コーサラ国では、ルリ王子がシャカ国を侵略すべく、動き出していた。自らの出生に端を発して、シャカ一族に憎しみの炎を燃やすルリ王子。未来を求めて出自を忘れようとするブッダと、過去にこだわって出自にとらわれるルリ王子。国を捨てた男と、その国を滅ぼすために戦う男の相反する思いが交錯した時、彼らに関わる人々すべてが、そしてこの世界が、大きく動き出す!
ちょっといい話
20世紀の光と影 北米インディアン最後の戦士ジェロニモ、屈辱と無念の生涯を終える。
【20世紀の記憶 1909(M42)年】
(戦士ジェロニモ)
*2.17/米 北米インディアン最後の戦士ジェロニモ、屈辱と無念の生涯を終える。
白人に対するアメリカ・インディアンの、最後の組織的抵抗を指導したアパッチ族戦士ジェロニモが、オクラホマのシル砦で虜囚として79歳で死去した。
ジェロニモは誤解されるような「酋長」ではなく、シャーマンであり勇猛な戦士の一人であった。彼は、家族を皆殺しにされると復讐に立ち上がり、アパッチ族の戦士たちは、彼個人を慕って尊敬し戦ったのであった。
山岳ゲリラ戦にたけたジェロニモたちは、白人入植者やアメリカ軍を恐れさせたが、偽の和睦提案に騙され、1886年投降して捕縛される。以後20年間、虜囚として幽閉され、故郷アリゾナのメキシコ国境へ帰りたいという願いもかなえられず、シル砦で屈辱のうちにその一生を閉じた。
子供の頃、インディアンといえばアパッチ族で、英雄ジェロニモという図式でインプットされた。当時の西部劇では、インディアンは悪者と決まってたが、ジェロニモだけは英雄として尊重された存在だった。TV映画ライフルマンでなじみのチャック・コナーズがジェロニモ演じている。「酋長」は邦題が勝手に付けたもので、このあたりからジェロニモ酋長という誤解が発生したのかも。
〇この年の出来事
*8.18/日米 2000本の桜、「親善大使」としてワシントンに贈られ、ポトマック河畔に移植される。
*11.11/米 アメリカ海軍、ハワイ真珠湾に世界最大の海軍基地を建設へ。
*12.31/米 ニューヨーク・マンハッタン島とブルックリンを結ぶ、マンハッタン橋開通する。たわみ理論による長大吊り橋の先駆となった。
20世紀の光と影 大量生産の先駆け
【20世紀の記憶 1908(M41)年】
(フォーディズム)
*10.1/米国 「フォードT型」発売。堅牢、操作性にすぐれ、しかも850ドルの低価格で、自動車時代の幕を開く。
この9月にはゼネラル・モーターズ社が設立され、持株会社によるトラストとして、ビュイック社、キャデラック社などを次々と統合して、全米最大の自動車メーカーとなってゆく。一方の雄フォード社は買収を免れ、T型フォードを発売し大衆車の世界を開いていった。
フォード社はやがて、「フォードシステム」と呼ばれる大量生産方式を確立し、実用的かつ廉価なT型フォードの普及に努めた。T型フォードは、以後19年間もモデルチェンジをせず、この間実に1500万台を生産、当初価格850ドルを290ドルまで低下させたという。
〇この年の出来事
*6.12/日本 細菌学のコッホ来日。かつての弟子 北里柴三郎と再会。
*7.13/英国 第4回オリンピック・ロンドン大会開幕。水泳競技も初登場。
*11.15/中国 清の独裁者、女帝西太后が死去。3歳の溥儀を皇位に就かせたあと。
源氏の白旗、平氏の赤旗
【12th Century Chronicle 1101-1120年】
◎平氏・源氏の興隆
*1101.7.7/京都 源義家の子源義親が九州を荒らしたため、追討官符が下る。(1102.12.28隠岐に配流)
*1104.10.26/京都 延暦寺僧徒と座主慶朝との争いで、源義家・義綱に延暦寺悪僧を逮捕させる。
*1108.1.29/京都 源義親が配流先で出雲の目代を襲ったため、因幡守平正盛が追討を命じられ、討ち取った正盛は義親の首を下げて帰京する。
*1109.2.17/近江 検非違使源義忠(義家の子)を殺害した罪で、叔父義綱を捕らえる。
*1110.3.27/出羽 出羽守源光国、摂政藤原忠実の寒河江荘を侵す。
*1113.4.29/山城・近江 清水寺別当の任命をめぐって強訴合戦(永久の強訴)を繰り返す延暦寺と興福寺の闘争を制止するため、平忠盛・源重時を宇治(対興福寺)に、源光国・平盛重を西坂本(対延暦寺)に派遣して、僧徒の入京を阻止する。
*1119.12.27/京都 平正盛が、九州地方の賊平真澄を討ち、その首を携え入京する。
【清和源氏】
源氏には天皇を祖とする源氏二十一流があり、なかで清和天皇からの流れを汲む氏族が「清和源氏」と呼ばれ、のちに歴史の舞台に登場する源氏の主流となった。清和天皇の曽孫にあたる「源満仲」が摂津国多田の地に源氏武士団を形成し、その子「頼光」・「頼親」・「頼信」がそれぞれ引き継いだ地名を冠して、「摂津源氏」・「大和源氏」・「河内源氏」と分派された。
「河内源氏」の祖とされる「源頼信」は、嫡男「頼義」とともに、長元4(1031)年、東国で「平忠常の乱」を平定し、その後の河内源氏の東国での地盤を形成する。この乱の以後、坂東武士が河内源氏と主従関係を結ぶようになり、河内源氏が東国を支配下におき、武家源氏の主流となっていった。
永承6(1051)年、陸奥での安倍氏の反乱(前三年の役)で、前任に代わって陸奥守となった「源頼義」は、嫡男「義家」とともに、途中苦戦するも、最終的には清原氏の支援を得て、陸奥を平定する。その功績により、頼義は正四位下伊予守、嫡男義家も従五位下出羽守に任じられ、中央での評価も高めた。
永保3(1083)年、陸奥守として赴任した「源義家」は、清原氏の内紛に積極的に介入する(後三年の役)。義家は、清原家の養子である「清衡」を支援し、後三年の役を終結させるが、朝廷はこれを私戦とし、恩賞はなく、かつ陸奥守を罷免される。これは義家が陸奥守として貢納すべきものを、私戦に費やして、陸奥守としての職務を怠ったと見なされたためであった。
動員した坂東武士への恩賞も義家の私財で賄ったが、これは結果的には義家が強い主従関係で関東に地盤を築くことになった。しかし以後10年間、義家は中央で地位を得る機会はなかった。やっと白河法皇から許され、院昇殿を許される官位となった。
その後も、弟義綱の方が中央で台頭して競合したり、次男の対馬守源義親が、鎮西において問題を起こしたりと、河内源氏棟梁として頭を悩ますことが頻発する。嘉承元(1106)年には、別の息子の源義国(足利氏の祖)が、叔父で義家の弟源義光と争いを起こすなか、源氏棟梁の義家は68歳で没する。
その翌年には、隠岐に配流されていた源義親が出雲国で再び騒乱を起こす。義親追討に源氏に適任が見当たらず、白河法皇は因幡国の国守で院近臣でもあった「平正盛」に義親の追討を命じる。正盛は義親を討ち、源氏より平氏が院の信任を得るようになっていった。
さらに天仁2(1109)年、河内源氏の棟梁を継いだ義家の息子義忠が暗殺される事件が発生、犯人は義綱と子の源義明とされ、義親の子「源為義」が義綱一族を追討し、家督は為義が継いだ。義光・義国や義忠の遺児河内経国、為義の子源義朝などは関東へ下り勢力を蓄える。
以後、「保元・平治の乱」を通じて、源氏・平氏一族が、それぞれ敵味方に分かれ入り乱れて争った結果、「源義朝」が「平清盛」に敗れ、平氏の天下が訪れる。そして義朝の遺子「源頼朝」が、関東に根を張った源氏の一族郎党に支えられ、平氏を追討して鎌倉幕府を開くという流れになる。
【桓武平氏】
天皇から臣籍降下した平氏には四流があり、そのなかで武家平氏として歴史の舞台に登場するのは、桓武天皇から発する桓武平氏で、高望王流坂東平氏の流れをくむ常陸平氏や伊勢平氏がある。なかでも、 承平天慶の乱に功のあった「平貞盛」の四男「平維衡」から始まる「伊勢平氏」が本流となり、その五代あとの平清盛のとき最盛期を迎える。
賜姓を受けた平氏一族は、関東一円に展開して勢力基盤を作った。 承平5(935)年、坂東平氏の一族「平将門」が反乱を起こし、伯父の国香まで殺してしまう(「承平天慶の乱」)。将門追討の命を受けた国香の嫡男「平貞盛」は、藤原秀郷らの協力を得てやっとのことで将門を討ち取る。
貞盛の子「平維衡」は伊勢に地歩を築き、その後子孫が住みついて、「伊勢平氏」の祖となった。そして維衡の三代後から正盛・忠盛・清盛と続いて、伊勢平氏が政権に上り詰めることになる。平氏政権を打ち立てた「平清盛」とその一族が、特に「平家」と呼ばれるが、これは血流としての平氏ではなく、特定の家・一族郎党を含めて呼んだものである。
一方で、維衡の異母兄にあたる「平維将」の系統からは「北条氏」が出ており、後の源頼朝の郎党として、鎌倉幕府の執権となる。清盛亡き後の平氏を討ち鎌倉幕府を樹立する源頼朝の下には、坂東に展開した平氏も多く参加しており、平氏の流れを汲む北条氏が源氏の有力郎党であったことにも不思議はない。
その後の展開から、東国の源氏・西国の平氏と言われることが多いが、高望王が降籍して上総介「平高望」として赴任して以来、東国は武家平氏の基盤の地であった。すなわち坂東平氏の一族が、伊勢平氏として移り住み、中央(朝廷)にも勢力を伸ばし、やがて西国にも勢力を広げたというのが事実である。
一方、北条氏や坂東八平氏などの東国の武家平氏は、源氏一門や藤原氏一門に恭順し家臣となるか、あるいは抵抗して追討されるなどして、大きな勢力を維持できなかった。そして傍流と見られた伊勢平氏の平清盛が、西国を制して中央政権を牛耳ることになった。
(この時期の出来事)
*1101.4.7/奈良 興福寺僧徒が金峯山寺僧徒と争い、堀河天皇と右大臣藤原忠実が制止する。
*1102.8.5/山城 興福寺僧徒が蜂起したのに対し、白河法皇は宇治橋を破壊して入京を阻ませる。
*1102.9.3/奈良 東大寺で、東大寺と興福寺の僧徒が争う。
*1103.3.3/京都 鬼神横行の妖言により、京中の人々が門戸を閉ざして閉じこもる。
*1104.3.-/近江 延暦寺と園城寺(三井寺)の僧徒の争いが激化する。
*1105.2.15/陸奥 藤原清衡が、平泉に最初院(中尊寺)を建立する。
*1106.6.-/京都 田楽が流行し、人々が路上で踊りに熱中する。
*1111.この頃 「今昔物語集」が成立する。
*1119.3.25/京都 白河法皇が、藤原忠実が寄進を受けた上野の荘園を停止させる。
*1120.11.12/ 関白藤原忠実が娘を鳥羽天皇の妃にすることを拒み、白河法皇から内覧の職を停止される。
*ブログで読む>https://ehimosesu2nd.blogspot.com/2020/05/12c-1101-1120.html
時機相応について 時代と人
本日2月24日は「月光仮面登場の日」! 当時の七五三の画像。 月光仮面の人気が伺えます
ちょっと気になる歌・唄・音
スピッツ、デヒュー30周年
スーダラ伝説 植木等
わが人生に悔いなし 加藤登紀子
1987年に死去した昭和の大スター・石原裕次郎さん(享年52)の命日にあたる17日、神奈川県横浜市の總持寺で三十三回忌の法要が営まれた。約500人のファンが見守る中、裕次郎さんの妻で石原プロモーション会長・まき子夫人(85)、おいの石原伸晃氏(62)、俳優・舘ひろし(69)、神田正輝(68)、徳重聡(40)らが参列。法要後に会見が行われ、まき子夫人は、今年をもって弔い上げとすることを明らかにした。
https://youtu.be/NO-D0mXjFTI
裕次郎さんから「人生の歌を歌いたい」と直接電話が掛かってきた
なかにし礼 わが人生に悔いなし なかにし礼さんはシャンソンの訳詞をされている時に 石原裕次郎さんから「歌謡曲を書いて俺の歌を作ってくれ」と ある所で声をかけられたそうです、それ以後、歌謡曲に転向して 人生が変わったとおっしゃっていました。
https://youtu.be/Bb10tI-vZfk
〚さくらのうた〛
ちょっと気になる絵
蒲郡の河津桜
花見の伝統について
両陛下、茨城へ お召し列車が令和初「特別車両」連結で常磐線を走る E655系電車「和」
https://trafficnews.jp/post/89983
お召し列車に使われた車両は、JR東日本のE655系電車「和(なごみ)」。普段はグリーン車だけの5両編成で、団体列車などに使われていますが、今回のお召し列車では、編成の中央に両陛下がご乗車になる「特別車両(TR車)」を連結。「日章旗」と「菊の御紋」を掲出し、6両編成で運転されました。
【Face bookのページ】 味覚嗜好について
味覚嗜好のページ
日田は山紫水明の地です。 それは『原酒をはぐくむ酒の杜』。
【オリジナルはこちら】
ビリー・バンバン / また君に恋してる(ビリー・バンバン ヴァージョン) - YouTube
2010年の話題の大ヒット曲、オリジナル楽曲!
1988年から続く、ビリー・バンバンの三和酒類株式会社"いいちこ"CMソング。
#30_渡辺雄一郎(Nabeno-Ism)
レストラン・ナベノイズムの渡辺雄一郎だ。
彼はかつて、フレンチの神様ジョエル・ロブションの店を、9年連続でミシュラン三ツ星に導いた。 2016年に独立後も、2年連続で二ツ星を獲得。 世界の名店を渡り歩き、王道のフレンチと日本の風土を融合させる男・渡辺雄一郎が今回挑戦した未来に遺すべき作品とは?
ドンペリと隈研吾の融合
〈ドン ペリニヨン〉の5代目醸造最高責任者だったリシャール・ジョフロワが生み出した日本酒ブランド〈IWA〉。その初のリリースである《IWA 5》を注目すべき理由は、ブレンドという画期的な手法だけでなく、ボトルデザインをマーク・ニューソンが手掛け、〈IWA〉が生まれる酒蔵〈白岩〉を建築家・隈研吾が設計するなど、日本酒の世界に新しい風を吹き込んでいるからだ。
・隈研吾が酒蔵を設計、ボトルデザインはマーク・ニューソン。
WAKAZE
パリ近郊で醸造したSAKE「ザ・クラシック」は、フランスワインのビオ酵母とイル・ド・フランスエリアの硬水を使用して醸造されています。ミネラルをたっぷり含んだこの水は、通常のSAKEとは一線を画した複雑な味わいを生み出します。ミネラルを豊富に含んだこの水は、発酵工程をより複雑にするため、造り手の腕が試され、非常に精密な酒造りが求められます。