ちょい話【親鸞編】
仰せを蒙りて【文字データ編】
因位ということ
2021-05-01
Facebook Yasuda Rizinさん曰く
1003
迷いのないところに覚りもない。
限界をおさえないといけないでしょう。
だから捜し回って、捜すことを必要としない境地といいますか、そこに覚りが出現したのです。
法が出てきた。
法が証明されたのです。
捜したり求めたりする必要のない法が証明された。
求めあぐねて、その極限をおさえて、覚ることを通して法が証明された。
もがくのを因位というのです。
仏を仏たらしめた法というものは
2021-04-21
釈迦仏が発明したのではない。
Facebook Yasuda Rizinさん曰く
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仏を仏たらしめた法というものは
釈迦仏が発明したのではない。
発明したのなら法とは言わないのです。
釈迦仏が出遇った。
見出した。
作ったのではないのです。
そういう真理がある。
真理といっても理論的な真理という意味ではない。
本来的な真理です。
われわれが忘れていた真理です
発明したのなら法とは言わないのです。
釈迦仏が出遇った。
見出した。
作ったのではないのです。
そういう真理がある。
真理といっても理論的な真理という意味ではない。
本来的な真理です。
われわれが忘れていた真理です
自覚するものがあって 自覚しているのではないのです。
2021-04-15
Facebook Yasuda Rizinさん曰く
988
鏡がなければ自分を映してみることはできないでしょう。
自分が自分を知っているというのは独断でしょう。
自分に自覚するものがあって
それを自覚すると考えたら
独断になるのです。
自覚するものはないのです。
自覚ということも自覚される。
自覚されるということも自覚していうことである。
自覚するものがあって
自覚しているのではないのです。