ちょい話【親鸞編】
仰せを蒙りて【文字データ編】
今月のことば
金子大栄『意訳歎異抄』
片付けものをしていたら机の奥から一枚の葉書が出てきた。
「ようやくあたたかくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。私は○○大学に進学が決定し、遅咲きながら桜が咲きました。これからもどうぞよろしくお願いします。○○○○」 目の前にぱっと、明るい笑顔が浮かぶ。九州に生まれた彼女は、幼いときから父親の故郷の京都に憧れていて、中学生の時に祖父母をたよりに京都に来て、本校に入学した。
生徒会や演劇部で活躍した彼女は、まさにバイタリティーのかたまりのようで、その後も活発に京都と九州を往来していた。 訃報が届いたのは、この葉書をもらって間もない頃だったろうか。急な病で、まだ大学在学中のことだった。私は行けなかったが、九州の葬儀には仲間たちが駆けつけたらしい。
二十数年も前の古びた葉書を見つめながら、はたと気づいた。私はこの葉書を数年前にも見て、同じことを思い出していたと。いや一度ではなく、何度も何度も・・・そして、そのたびにまた机の奥に大切にしまっていたことも・・・
彼女に会うことは二度とかなわない。いや、だからこそ私はこの葉書を決して捨てないだろう。そして、また数年後に葉書を見つけ、彼女の記憶を甦らせ、机の奥にそっとしまうのだろう・・・
彼女だけではない。私事で恐縮だが、光華にお世話になって38年、今年最後の一年を終えようとしている私は、ここで多くの「いのち」と出遇い、共に生きてきた。
「ここには君を待っている人がいるんだよ。そのことを忘れてはだめだよ」くじけそうな時に力強く励まして頂いた上司も、「『宗教』の授業を聞いて、私のいのちも意味があるのだと思えるようになりました」難病に苦しみながら、しみとおるような笑顔を私にくれた彼女も・・・今は亡い。
しかし、その笑顔や声は今も鮮やかに私の中に残っている。
「花びらは散っても花は散らない形は滅びても人は死なない」先達の言葉が、今実感を伴って甦る。
みんな生きているのだ。私の中に。そしてつながっていくのだ。大きないのちの源に・・・
「前に生まれん者は後を導き、後に生れん者は前を訪とぶらえ。」(道綽(どうしゃく)禅師『安楽集』より)
「光華」という場で互いに遭い遇う、さまざまな「いのちの願い」が永久に受け伝えられていくことを念じつつ筆を擱く。(宗教部)
青木 玲先生の文章
形は滅びても人は死なぬ
(青木 玲 教学研究所助手 現職は九州大谷短期大学准教授)
今年の六月、母方の祖父が亡くなった。九十八歳であった。葬儀の時、様々な方から祖父の人生や人柄について教えていただいた。私の知らなかった祖父の姿に触れ、改めて祖父の存在の大きさを感じた。
私は、祖父の法話を一度だけ聞いたことがある。今から八年前の盆法要の時だったと思う。全体の内容は覚えていないが、金子大栄先生の言葉を紹介して話をしていたことははっきりと覚えている。
花びらは散っても花は散らない。
形は滅びても人は死なぬ。(『意訳歎異抄』五六頁)
これは、昭和二十四年に発行された『意訳歎異抄』の中の言葉である。当時の女子学生が、金子大栄先生の自宅を指して「ここが花びらの家だよ」と言っていた、というエピソードが残っているほど広く知られていたようである。
花びらは散っても花は散らないのと同じように、形が滅びても人は死なない、というこの言葉は、親鸞聖人における法然上人との出遇いを想起させる。
親鸞聖人は、師である法然上人との出遇いのよろこびを「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」(『歎異抄』第二条・聖典六二七頁)という表現で示され、また「愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」(『教行信証』「化身土巻」・聖典三九九頁)と自ら記されている。だから、聖人は、法然上人その人にだけ出遇ったのではない。「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」という法然上人の「おおせ」を通して如来の本願に出遇ったのである。
この出遇いによって、親鸞聖人は、法然上人の「ただ念仏」の教えに生涯を尽くしていくことになる。法然上人との出遇いによって、何をよりどころとして生きていくべきかが決定したのである。時に、聖人二十九歳であった。
そして、法然上人は聖人四十歳の時亡くなった。これによって、「法然」の姿形は消えてしまったが、「ただ念仏」する「よきひと」としての法然上人は、現にましますが如く親鸞聖人の中に生き続けていったのである。
親鸞聖人は、晩年に、同朋への手紙の中で法然上人の教えをしばしば述べておられる。これは、決して過去の追憶ではなく、生涯を通じていよいよ深まりゆく法然上人の教えを通して開かれた本願との出遇いを示している。
表題の「形は滅びても人は死なぬ」という言葉は、決して神秘的なことではなく、本当の意味での人との出遇いを表している。ここを出発点として,私たちはどのようないのちを生きているのかを考えていかなければならない。
(『ともしび』2010年12月号掲載)
親鸞聖人の生き方
自利利他
623
私が非常に面白いと思うのは、誰が言い出したことか知りませんが、菩薩の十地ということです。
一歩一歩歩くから十地になるのです。
十という数に意味はない。
曇鸞大師は一歩一歩などということを考えるのは低い立場だと。
十地の教えというようなものも一時の方便だというようなことを言っている。
誰が言い出したのか、トライアンドエラーと言うのです。
とにかくまぁ英米の考えでしょう。
ドイツのような考え方ではないのです。
非常に面白い考え方だと思う。
それでこれは偶然に思ったのだけれども、これが十地なのです。
トライアンドエラー、エラーアンドサクセス、というように失敗を無限に超える。
修道というものはものを積み重ねていくのが修道と思うけれども、そうではない。減らしていくのが修道です。
これが間違いだと知ってだんだん減らしていくのです。
624
曇鸞大師は一乗とか大乗とか他力ということを叫ばれたけれども、
しかし
曇鸞大師が言おうとするのは仏道を言おうとするのです。
飛躍があるのです。
超越、飛躍です。
こういうのが曇鸞大師の主張です。
その一歩一歩というものはどういうことかと。
まず最初は考えずにやれということです。考えていないでやってみよ、というわけです。
百年考えても一歩も動かなかったら何もやらないことだと。やるということから人間が出発するのです。
これが大事なことです。