本文へ移動

ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

『自己に背くもの』 安田理深述 (19) 変革の成就     プログ唯識に学ぶ・誓喚の折々の記より

2020-05-07
八番問答講話 安田理深

政治や経済をいかに改めても自己は同じであって変わらない。ところが夢から覚めれば必堕無間が必得往生になる。絶対的生産的行為である。社会改造ということは、五逆罪は社会的罪であり、謗法は個人的事件にすぎぬと考えているけれども、実はそれは逆で宗教の世界と社会の世界とは違う。一瞬一瞬に驚天動地がある。社会変革は大事件のようであるが、たかがしれている。結局それは人間がやっていることである。人間のすることは限界がしれている。これは非常にありがたいことであるが、信仰認識が他の認識といかに違うか、即ち夢から覚めたというの偉大な特徴である。そこに認識の確実性、真理性、実在性をともなってくる。明覚知証が同時に遠離の変革をともなう変革の認識である。頭は解ったが腹はふくれないということはない。闇と光とはそういう対立である。こういう点譬が大切で親鸞聖人でもそうであるが、インドでは譬はふつう説得術としてあり、論義学の意義をもっている。譬喩を大前提であらわす、たとい・・・・・何々の如し、全て作られたものは滅するというのを作られたるが如し・・・・・という。譬が非常に大事である。譬を大前提であらわす。 「凡ては死す」 ということは直覚的自明な真理である。直覚性が譬喩をとって、そこでは論理は要らない。正信偈に、譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 といってあるが、あれは親鸞聖人の会心の作である。親鸞聖人の得意なところである。これはここの千歳の闇室と連関がある。信仰認識をいかに捉えたかというと日光である。 「譬えば日光の雲霧に覆わるれども雲霧の下明らかにして闇無きが如し」 こういう譬は信仰を外から模索しているような立場では出てこない。ここで大切なことは信仰の光によって 「雖」 「にもかかわらず」 ということが大事な点である。闇はないけれども雲霧はある。闇が晴れたことは夜の明けたことである。夜が明けておれば必ずしも晴天でなくとも、曇天であってもさしつかえない。もし夜が明けたことが晴天ならば、信心を頂いたことは成仏で凡夫ではない。信心が頂けたからといって貪愛瞋憎雲霧即煩悩がなければ仏になったのである。そうなると 「怪しく候いなまし」 となる。もう腹はたたないという人があるか。煩悩があってもさしつかえない。疑惑があっても無明があってもよいというがそれは逆であり、根本的な誤解である。くもっていることが直ちに夜だと思っているが、実は雲が見えたということは実は夜が明けた証拠である。雲が見えることは自分が見えることである。自分が見えることが夜が明けた証拠である。ここに親鸞聖人の譬は他力廻向の信心においては雲の有無は問題でない。夜が明けたか、明けぬかということが問題である。雲があってもいっこう障りではない。 「悪も恐れなし」 という現生不退の譬喩で語っている。これは親鸞聖人の得意なところであろうと思われる。業というものが暗いということは夜がまだ明けていない証拠である。業というものを実体化し運命化しているからである。本当に深い業というものは夜が明けている。そこに煩悩が頂ける。 「悪も恐るべからず」 というのは既に転悪成善している。転じないのは実体化しているからである。それが十念の念仏によって消えるという。煩悩が頂けるという。だからよく 「信仰を頂けば光は光自身を顕すとともに闇をあらわす。光を頂けば益々深い闇が頂けるという。そんなことはないと思う。知ればなくなるのが闇であると思う。そうでなければ暗いのが信仰の状態であると思うことになる。夜が明けるということは自力我執の心が折れたことである。自力我執の心、頭をあげていると悪作であり、頭を下げないのは悪むものがあるからである。頭は実践理性である。実践理性が五逆罪を悪む。頭を下げれば煩悩自身が頭をさげてくる。人に妨げられるのは人を妨げているからである。自力我執の心が砕かれれば煩悩自身が喜んでくる。煩悩自身が随喜してくる。

 在縁、妄想に依止しては在心という。虚妄顛倒の見である。 「この十念は無上の信心に依止して阿弥陀如来の方便、荘厳、真実、清浄、無量功徳の名号に依りて生ず」 無上の信心は 「善知識の方便安慰して実相の法を聞かしむるに依りて生ず」 とあるが、その無上の信心は第一の在心をいうのである。 「阿弥陀如来の方便、荘厳、真実、清浄、無量功徳の名号」 を在縁という。在心は信心、在縁は名号である。これは何かといえば、五逆罪は父を殺し、母を殺し・・・・・そういうものは煩悩の虚妄果報、果報であるところの煩悩によって衆生を対象として行われた罪悪というものは父を殺し、母を殺し・・・・・即ち五逆を犯した衆生、煩悩果報の衆生である。衆生を所縁として起こった。罪は誰かを所縁として起こされたものでる。所縁とは対象である。阿闍世が父を殺し、提婆は仏から血を出したというが、仏といっても提婆は仏を見ているのではない。仏というのは身体があったり、いろんなことを行為したりしている。五逆に立てば仏も衆生である。日本人は天皇を神といってきたが、神はご飯を食べないのか、食べなければ天皇も死ぬ。死ぬならば天皇は神でない、というのは愚直である。ああいう飯を食ったりしているものを神といっているのではない。位をいっているのである。人間だけを見ていれば子供もある。煩悩果報の衆生である。しかし仏や天皇は殺されるものではない。だからわれわれの殺すことができるものを衆生というのである。殺すことのできぬ、否定し得ないものを名号という。ここにも譬喩がある。首楞厳経にある名号を聞く功徳を滅除薬の鼓を聞くに譬ている例を出してある。

 此の十念は無上の信心に依止し阿弥陀如来方便・・・・・・名号に依りて生ず 譬ば人有りて毒の箭を被って中る所筋を截り 破骨滅除薬の鼓を聞けば即箭出て毒除こるが如し。あに「彼の箭深く毒厲しからん、鼓の音声を聞くとも箭を抜き毒を去ることあたわじ」と言うことを得べけんや。これを「在縁」と名づく。(真聖p275・信巻)

 名号を聞くと鼓の音を聞いて毒箭が除かれるように、三毒の箭は自然に除こる。例えば薬で病を癒すというが、それは病の征服に薬というのは人間解釈である。世のなかは直す者もなければ癒すものもない。薬品は意志をもっていない。病気も苦しめようとしていない。素直に病気になっている。そうなるべくして成っている。自然に病気の現象があるばかりである。だから癒るのは別に癒すものなくして癒る。それが根本的事実である。癒すとか癒さないとかということは後から加えた解釈である。念仏を聴聞すれば正しい道理が知らされる。正しい道理でわれわれは救われるのである。仏に救われるというのは間違いである。そういうことをいうと判らぬが道理に助けられる。仏という人に助けられるのではない。自然の道理に救われる。道理は癒す意志があるわけでない。本当の絶対現実に帰ってゆく。そこに決定がある。罪の意識というものは有後心、有間心である。後がある心、間の有る心である。間とは間雑である。外のものが交わってくる。念仏の信心とは違う。信心の無後心、無間心である。人間がいかに頑張っても本質的にまが抜けている。空虚がある。弱い心である。ところが念仏の信心はそれ自身最後の心である。自力の最後の心である。自力の最後のところ、自力の終わるところに念仏の信心がある。こういうところに決定ということがいわれている。兎に角、在心・在縁・在決定と三つを通じて質が違うということをいっている。

 念仏とか信心とかいっても一念というところにはっきりする。信行という事実に触れてくるのである。この場合時間でない、のみならず意識的時間でない。ふつう考えられる時間は意識的時間である。空間に翻訳した時間である。存在的時間である。それに対してあるものは現在である。過去としてあるものは記憶である。現在において繋留したものである。永遠の今はまだ意識的時間である。一年は行為的時間である。だから時節を問わぬ内容をもっている。なるほどというとき、多刹那にわたって一つの行事成弁という。一つの事実がそれによって完成するのを一念というのである。一刹那をもって完成するとき一念という。信仰のもっている行為的時間である。空前絶後のときであり、無始以来の自己、曠劫来死んでいる自己が新しく生まれるときである。それが本願のできごとである。十念といってあるが、十という数を知れることが既に反省しているでないか。反省していれば一心一向になっていないでないか。一心一向になったら数えられないであろうと。

 ひぐらしは夏生まれて夏死んでしまう。ひぐらしは春秋を知らず、従って夏も知らない。夏といっているのは人間である。十念もわれわれは知らない。十念は仏の知っていることである。

                                 (完)

『自己に背くもの』      プログ唯識に学ぶ・誓喚の折々の記より

2020-05-07
八番問答講話  安田理深述

    - 『自己に背くもの』 -

     八番問答講話  安田理深述 (3)

 「本願成就」

  答曰案王舎城所説「無量寿経」。「仏告阿難。十方恒沙諸仏如来。皆共称嘆無量寿仏威神功徳不可思議。諸有衆生其名号信心歓喜乃至一念至心回向願生彼国即得往生住不退転唯除五逆誹謗正法」

 (答えて曰く、王舎城所説の『無量寿経』を案ずるに、「仏阿難に告げたまわく、十方恒沙の諸仏如来、皆共に無量寿仏の威神功徳不可思議なるを称嘆したまう。諸有の衆生、其の名号を聞て、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向したまえり。彼の国に生ぜんと願ずれば、即ち往生を得、不退転に住せんと、唯五逆と正法を誹謗するをば除くと。)

 と引用してある。これはまあ教行信証をみているとか、法門にいる人にはこの言葉は大無量寿経においていかに重要であるかが判っているけれども、門外にいる人はそうは思わないかもしれないので、どうも面倒なことである。近代人のわれわれは直接経典を見るというようなことはできないのである。歴史を離れてあるものならばとも角、その歴史というものを離れて大無量寿経というものはない。経典は自己の歴史をもっている。歴史を離れて経典というもそれは生命を持たぬ。この語は大経下巻の始めに出る第十八願成就の言葉である。ところが第十八願の言葉は諸有衆生からであるが、その前は第十七願成就の言葉である。これはなかなかやかましいところであるが、ここは第十七願にはさして重要な意義というものはないと思う。そのわけはよく文章を見ると十七願の成就は、句を分ければ十七願成就の文と十八願成就の文と分けれ必要かもしれぬが、生きた文章として見るとき、それと十八願成就の文とははなれたものではない。事実からいってもそうである。因位の本願からは十七・十八願を区別しても、成就するところに即ち信仰体験の上ではばらばらであるわけのものではない。成就は体験であり、体験の上では事実として一つである。

 その因位の本願の上では第十七・第十八の願はそれぞれに独自の原理、意義を持っている。成就では一つ、第二十願をも加えて三願の成就が一つになっている。そういうことは意義の深いことである。しかしここで十七願の成就文が曇鸞の引用中に出ているが、その十七願の意義を始めて明らかにされたのが教行信証である。十八願、二十願、十二願、十三願の大事なことは曇鸞大師を通して見出されていたのであるが、なお十七願の意義は見出されておらぬ。十七願の文章はあってもその意義は見出されておらない。それは頭が悪いというわけではなく時機純熟しないからである。時機が到来しない。その十七願の意義を明かす時機が親鸞において来た。十七願の意義は教行信証の意義の半分を尽くすというも過言ではない。十七願はみたところ、一向に大した願と見えず、何か諸仏がオーケストラをやっているようであり、一向捕らえようのない願である。第十七願は第十八願を讃える補助的願、即ち独自性を持たない願のようである。教行信証に来て始めて十七願は大行の願として、念仏というものを自ら称えしめる原理として、十八願を十方世界に行ぜしめる願という意義を見出して来たのである。かかる実践の行であり、そこに重誓の偈、本願を本願する誓いを十七願の上に見出して来た。本願の念仏は十七願の上に成立する。十七願の意義はどうしても親鸞の教行信証をまたねばならぬ。ここでは十七願の意義ということはいらないと思うのでああるが、ここに諸有衆生聞其名号信心歓喜の「其の」とは前にいってあることを指す代名詞であり、上に出る十七願成就を受けているのである。十七願というものを出さなければ、其のということが判らない。直接には十七願成就文は必要ではないが、必要なのは十八願成就文であるが、それは十七願成就文から不可分に続いている。しかしさしあたりここで必要なのは

 諸有衆生聞其名号信心歓喜乃至一念至 心回向願生彼国即得往生住不退転唯除五 逆誹謗正法

 という本願成就の言葉であるといわれている。

 大無量寿経は四十八願を説かれた経である。そして単に如来の本願を説いた経であるばかりでなく、その本願の成就を説いてある。もしそうでなければ物語を説いているにすぎない。だから大無量寿経のなかに大無量寿経によって救われた体験があわせて述べられてある。大無量寿経は阿弥陀仏の本願に救われた人がその救いの体験を通して、その救われた体験に即して救いたまう本願を説いた。これが大無量寿経というものである。その因願のなかには十方衆生というたある。それは十方衆生、ただ十方衆生といってあるが、それは誰だか判らない。本願はそれだけであるが、主観的なもの、観念で終わってしまう。それが本願成就文のところでは諸有衆生となっている。法は機をまたぬとただ観念的な存在として終わってしまう。やるせない本願としてあるものである。機をまって始めて本願が行となる。生活となる。行というものが生きている証拠である。救われたか救われぬかの証拠は行である。行があるかないか、行がないと安心も成り立たぬ。行が願である。願というところでは非常に深いが微かなもの、願が行というところに力となる。現実のわれわれの上に願というときはわれわれを離れる。それがわれわれの上に成就する。それを行という。本願が空中に成就するということはない。本願がわれわれの上に成就してわれわれを転廻する。本願がわれわれの上に来ってわれわれを招喚し摂取する。変革する。そこに歴史的、運動というものがある。因位の本願では十方衆生といってあり、成就の文では諸有衆生といってある。十方の衆生ではただの衆生ということと同じであるが、それが機というものをおさえてくるところに諸有衆生と具体化されて来たのである。

人間が完成する

2020-05-04

646
信心の問題といっても宗教の問題といっても
人間と別にそういうものがあるわけではない。
人間が完成するというところに
宗教というものの問題があるのでしょう。
宗教は人間について「付け足し」の問題ではないのです。
宗教というものがなければ人間は完成しないのです。

647
人間だけで人間が完成するものではないと。
宗教問題と人間問題というものは一つだと。
こういうようなことが
基礎になっているのではないかと思うのです。
「いや人間の問題は人間だけで十分だ」と、
そういう考えも一つの考えだけれども、
そうではないでしょう。
人間というものは、
人間では解決できない問題を自己の問題とする。
それが人間なのだと。
こういうわけです。

648
神というものを立てるときに、
神は不思議だというけれどもそうではない。
人間のほうが不思議であると。
この不思議な存在、それが人間であると。
人間というものは、
人間にわからないような問題を持っているのです。
人間以上の問題を持っている。
それが人間である。

649
人間の問題は人間でやる、
人間以外の力は要らないと。
こういう一つの「人間で人間を決めた」考え方です。
しかし人間の持っている問題は、
人間の能力を超えた問題なのです。
それが却って人間の問題であると。
であるからして
宗教問題と人間の問題が一つになってくる。
だから
宗教問題は
人間にとって贅沢な・要らない問題ではない。
隠居した問題ではない。
隠居になると
これはどうなるかというと、
風習になってしまう。
風習です。
習慣になってしまうのです。

柳宗悦・棟方志功と真宗

2020-05-05
大谷大学博物館 2019年度特別展

2019年度特別展

柳宗悦・棟方志功と真宗

-土徳の大地と民藝の美-  

開催にあたって

暮らしのなかの実用品に「用の美」を発見し、それらの生活道具を民藝(民衆的工芸)と名づけたのは、思想家の柳宗悦(1889~1961)でした。柳はみずからの「直観」によって、国内外の民藝作品を数多く蒐集するとともに民藝運動を展開しました。そして、その柳に才能を見出され、生涯柳を師と慕ったのが板画家の棟方志功(1903~1975)でした。
二人はともに戦中・戦後に真宗王国越中富山の人びとの生活に息づく信仰風土「土徳」と出会い、大きな影響を受けました。柳は「仏教美学」という思想を確立し、棟方も自分ではない「他力」による創作活動に取り組むようになったのです。

藤原鉄乗師の歌  

2020-04-30
Facebook 宮岳文隆さんより引用
暁烏敏・高光大船とともに「加賀の三羽烏」と 呼ばれる

『打ちくだかれて 打ちくだかれて ほがらかに わがつみひとは起(た)つにあらずや』 (藤原鉄乗先生「十二光仏讃歌」より)
 鉄乗先生は、この時どのような打ちひしがれる状況にあったのでしょうか。
それはうかがい知ることができませんが、ともかくその鉄乗先生に
『打ちひしがれて、立ち上れずにいる私に対して、法蔵菩薩はわがつみひととなって、つまり、宿業に苦しむ私そのものとなって、ほがらかに起(た)ちあがってくださるのではなかったのか』
このような法蔵菩薩の呼び声が聞こえてきて、『ああ、そうだったな』と、自らを呼び覚まされて、涙を払って立ちあがっていかれたときの歌なのでしょう。これは、鉄乗先生ご自身に聞こえてきた法蔵菩薩の呼び声なのでしょう。
 人間は「つみひと」にはなれないわけです。
しかし、法蔵菩薩が、われらに代わって「つみひとに」なってくださって、つまり、われらの宿業の身になってくださって、悪人になってくださって、そして立ち上がってくださるのです。
「法蔵菩薩はそうやって私に代わってつみひととなって立ちあがってくださるのではなかったのか」と、鉄乗先生が自らに呼び覚まされて、立ち上がっていかれたときの歌なのでしょう。

「土徳(どとく)」。鉄乗の言葉のひとつです。 先人のお念仏の徳が、土地に沁み込んでいる。
浄秀寺、元住職だったお寺です。
前坊守の千佳子さんが、説明してくれました。
TOPへ戻る