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ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」 『親鸞聖人御消息集(広本)』(『真宗聖典』569頁)

2022-05-11
【教えにふれる読み物(今日のことば)】世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ
親鸞聖人御消息(出典 『真宗聖典』569頁)
2017年1月2日 
高 史明(1932年生まれ。神奈川県在住。作家。在日朝鮮人2世)

『今日のことば 2008年表紙』

※『今日のことば2008年版』掲載時のまま記載しています。

人間の迷いというものは深い。

2022-05-05

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1350
何でもどんどん右翼化していくのはそこです。
日本は今あぶないところにいるのです。
自民党だろうが何だろうが、政党はあてになるものではない。
ぐんぐん戦争に国民を駆り立てるのです。
我々は、戦争で人間の問題が解決できるものではないことを痛いほど知らされている。
しかし、しばらくたつと、まだ数十年で、もうすでに忘れている。
それほど人間の迷いというものは深い。

「祈り」ということ

2022-04-30

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1337
なんぼ医学でも生命を一ヵ月も一年も延ばすことは出来ない。
生まれた人間が死ぬるということを科学ではどうすることも出来ないのです。
生まれたら必ず死ぬる。
科学の力でもせいぜい延ばして一週間でしょう。
つまり、人間の考えで人間はどうにもならないのです。
その場合に出てくるのが、「祈り」ということではないかね。

1338
だから、祈願、祈祷という言葉の中に、人生があるのではないかね。
人生を一語に圧縮してみると「祈り」ではないか。
人間の祈りです。
祈りは迷信だなどと言わずにね。
迷っている人間の祈りも意識で成り立っている。
迷っている状態の祈りです。
迷信とかいうけれども、それは迷っているから迷いですけれども、迷っている形で祈りがあるわけです。
1339
人間が迷わないものであれば「祈り」も無いでしょう。
だから祈りを取ってしまえば迷いも無いけれども覚りも無いのです。
人生というものを一語で要約すれば「祈り」でしょう。
一切群生が「祈り」の中に動いているのではないかね。
その人間の祈りを捨てずに、深めて、人間の祈りをもって自己自身の祈りとしたのです。
それが本願です。
そうでしょう。
1340
迷っている人間の祈りを捨てて無縁になったのではない。
あらゆる迷っている人間の祈りを、かえって自分自身の祈りとしたのです。
そこに本願というものがある。
こういう問題はなかなかめんどうな問題です。
そういう問題に勇気をもって触れる人はいないのです。
たいていはそこらを薄めている。
そういう問題を、どこまでも不安として、祈りとして、ぐんぐん歩みを進めていくということは、なかなか容易ではないのです。

「楽」という字は

2022-04-20

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1336
「楽」という字は楽しむということもあるけども
また願うという意味もある。
それは深い意味の「祈り」でしょう。
祈りというところに人間と宗教とが結びついているのです。
だから、
祈りというものは浅くみれば浅いものなのですけれど、
どんなに科学が発達しても
死ぬるべき人間というものを
医学の力で延ばすことはできない。
延ばしてみたところで十日くらいです。
1335
「欲」ということが一番大事な概念です。
「欲する」という意味です。
意欲するという点で欲求というような意味を含んでいる概念です。
「至心信楽欲生我国」といって、
信楽についている「楽」という字と
欲生我国の「欲」の字は続いているのです。
信楽は欲に続いているということを表わすのが楽です。
楽欲でしょう。
1334
「願」ということの意味は、
願いというものは作願というように「行」なのです。
願といえばもう行の実践概念です。
実践概念ですけれども、
実践概念の意識内容はどういうものかというと
「欲」なのです。
欲というものによって願が成り立っている。
願は欲から始まる。
欲によって成り立った行を願という。
「願行具足」というのです。

宗教心というもの

2022-04-20

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1333
宗教心というものが無ければ「人間」とは言えないのでしょう。
こういうことを証明しているのが「不安という気分」です。
宗教心が無くても人間がありうるのではないと。
人間に宗教というものがどういう形で出てくるかというと、
不安として出てくる。覚りとして出てくるのではないのです。
1332
だから不安という気分の無い、
不安までも忘れている人間は人間ではないのでしょう。
迷っていても人間であると。
迷っていても迷った人間として生きている、
そのことを代表する気分が「不安」です。
それは言ってみれば、
宗教というものが人間の意識と結合している気分が、
不安というものなのです。
1331
だいたい「不安」ということは対論するというような世界では取り扱えないのです。
人と対論するとか議論するとかいうような形では入っていけない問題が、
不安の問題です。
不安という概念はひじょうに軽いような気分だけれども、
自己を回復していない人間の持っている普遍的な感情なのです。
迷っている人間の本質をあらわす気分です。
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