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ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

折伏

2020-09-05
755
教理というものを通すというと、やはり折伏(しゃくぶく)というようなことになるでしょう。そういうことも、ひとつの強みはあるのです。先に言ったように個人主義というものを破るためには、分からないやつは暴力をもちいてもひっくり返すと。
756
折伏などはこういうような個人主観を破るという意味はあるけれども、どうもそれは外的な事柄であって、それでは自覚にならない。教学が自覚の教学にならない。だから『歎異抄』でも「念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき」とあるでしょう。これなのです。「念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり」というのが心光摂護の一心である。
2021-01-04
FacebookYasuda Rizin
892


信ずるという字は
これは信用組合の信用という意味もあり、
また信仰するとか、分からないから信ずるのだとか。
信という概念は非常に広い。
ただ、宗教心という場合の信は、
宗教の本質としての信です。
その場合、その信は二種深信でしょう。
これをはずれると
「習慣としての教団」はあるけれども
「宗教としての教団」はなくなるのです。

893

二種深信を失ったら、宗教でなくなってしまうのです。
ただ寺門の経営ということになる。
だから事業として葬式をすると。
それから安心信心といってもただ「有り難くなりたい」というだけです。
有り難くなるということは眠ることでしょう。
覚めることではない。
つまり信心が欲しいのではないのです。
有り難いのが欲しいのです。

現世利益が流行るのはね。

2020-09-21

 

786
日本ではだんだん仏教学が要らんようになってきて現世利益の宗教というものがはびこっとるんですが、ああいったものは、いってみれば解脱という問題を忘れるというと、そういう現世利益になるのです。健康とか幸福とかが問題になってくるところに現世利益というものがある。だから本当の意味の、純粋仏道が濁っている結果なんだ、現世利益が流行るのはね。

カルビンについて

2020-09-17
FacebookYasuda Rizinより

 

783
そういう意味で、こんにち皆さん知っておられるように、資本主義社会というようなもの、資本主義社会は「儲け」ですわね。金儲けです。つまり経済的人間の社会ですわね。だからして、それは苦しかった。金を儲けるということは悪やと。それをどうして、金を儲けることをできるようにするかと言えば、それは神への奉仕だというような、そういうようなことをやったのがカルビンですわね。

菩提心

2020-09-08
774
だからして、仏教学といっても全体が世間学なんだ。菩提心に立たんというなら、どういうことになるかというと、名利になる。なぜ世智をきらうかというと名利だからです。つまり、名利でもないし菩提心でもないというような、そういう立場はないのです。
773
それは何かというと、仏教を知らずに、仏教の外から、世間という立場から仏教を取り扱う。こういうのは、取り扱われとるものは仏教だけれど、取り扱っている立場は仏教じゃない。つまり菩提心というもの、宗教心というようなものに立たない学問です。それを世智という。
 
772
関する学とアビダルマとの区別。やっぱり、それ自身一つの経典であるというような意味をもっとるのは、厳密な意味の仏教学なんだ。仏教に関する学ではない。「仏道を学する」という意味の学ですね。それがアビダルマという概念でしょう。
771
こんにちの仏教学でもですね、仏教というものを対象として取り扱っておるけれども、学問自身ひとつの経典史学とか、宗教学とか、宗教心理学とか、そんな「材料」として仏教をもちいるなら、これは名前は仏教だけれども、その学問は世間的なものだ。それはまぁ区別すれば、そういう場合の仏教学というのは、仏教「についての」学問でしょう。
771
こんにちの仏教学でもですね、仏教というものを対象として取り扱っておるけれども、学問自身ひとつの経典史学とか、宗教学とか、宗教心理学とか、そんな「材料」として仏教をもちいるなら、これは名前は仏教だけれども、その学問は世間的なものだ。それはまぁ区別すれば、そういう場合の仏教学というのは、仏教「についての」学問でしょう。
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