御料車(列車編)
その歴史
明治天皇が乗られた「御料車」
1870年代、鉄道用の資材を積み込んだ船が、英国の港を出航した。目指すは極東の国・日本。数カ月かけて神戸停車場と呼ばれた初代神戸駅近くの港に到着すると、多くの作業員たちが集まって来て大量の資材を陸揚げした-。
「鉄道車両をつくる前に、その車両を製造するための工場や車庫を建てないといけないですからね」。そう話すのは、季刊誌「鉄道史料」編集委員の高橋健司さんだ。
木造の民家の間を、馬やかご、徒歩で移動していた時代。そこに鉄の塊を走らせようというのだから、少々無理があるような気もするが、日本に鉄道網を巡らせるため、明治初頭、初代神戸駅には多くの工場や近代的な設備が設けられた。
高橋さんがこれら数多くの施設名称を明らかにしたのは前回触れた通り。そのうちの一つ「客車修繕工場」と同じ様式の建物が近年まで、JR西日本の旧鷹取工場(神戸市須磨区)にあった。この建物は1995年の阪神・淡路大震災で倒壊し、鷹取工場もやがて移転したが、支柱だけは今も鷹取駅の地下通路で見ることができる。
「明確な年代までは分からないのですが、初代神戸駅の工場で使われていたことは間違いなく、かなり貴重です」
柱に刻まれた文字を見ると、英リバプールにあった製鉄所で造られたものらしい。海外の潮風を受け、作業員の汗水を吸い、どんな歴史を見てきたのだろうか。
日本で初めて鉄道が開通したのは新橋-横浜間ということは有名だが、高橋さんは「少なくとも明治初頭、国内最大の鉄道工場は神戸にあり、『日本初』も多く生み出した」と指摘する。
1877(明治10)年2月5日、神戸-京都間が全通し、明治天皇を迎えて開業記念式典が盛大に挙行された。陛下は大阪、神戸、京都の各駅を巡ってお祝いの言葉を述べられたが、このときに乗られた客車(御料車)が製造されたのは神戸だ。
新橋-横浜間の開通時も、もちろん式典はあったが、そのときの御料車は輸入客車だった。国産初、神戸でつくられた「一号御料車」は国の重要文化財に指定され、さいたま市の鉄道博物館で大切に保存・展示されている。
車体側面には菊の紋章を抱く龍の絵図が描かれ、車内の装飾は隅々まで行き届き、皇族用の高級部屋といった雰囲気が漂う。車両ではあるが第一級の美術工芸品とも言えそうだ。
150年前の神戸駅を伝える歴史の証人が、輝かしい存在感を放っている。(安福直剛)
お召し列車としても有名 「E655系」はなぜ多客期の臨時列車として運転されないのか?
「E655系電車」とは何か
JR東日本は2007(平成19)年、お召し列車(天皇、皇后、または皇太子の乗用車両)としても使用する交直流両用の特急形電車・E655系電車を1編成導入した。5両編成を基本とするが、皇族などが乗車する「特別車両」が1両在籍している。この電車は「なごみ(和)」の愛称を持つ。
E655系電車は、平素は皇族や国賓などの要人が利用する特別車両を外している。「ハイグレード車両」と呼ばれる5両編成とすることで、お召し列車だけでなく、団体専用列車としての役割も兼ね備えている。そのため、全車両がグリーン車となった。
グリーン料金は、JR九州で運転される「36ぷらす3」のような割高に設定された料金にはなっていない。運賃・特急料金に加え、グリーン料金の合計した金額で計算される。