本文へ移動

動画等(法話)

仰せを蒙りて【音声・映像データ編】

2022/10/4 西恩寺同朋講座

2022-10-17
一席目 00:00~50:11 二席目 50:13~1:34:14 『世界統一的国家の原造者―清沢満之「絶対他力の大道」』西村見暁 著〈絶版〉
2022/3/21 西恩寺 彼岸永代経法要 「浄土とは?」法話 池田勇諦
一席目 00:00~49:07 二席目 49:08~1:18:40 一般的に、「浄土」と聞けば、その理解は、 1⃣ 死後の浄土(転生する他界。死んでからの世界)。 2⃣ 心境の浄土(人間の心境としてとらえる世界、安寧としての世界、心の救いの世界)。 3⃣ 理想の浄土(この世に理想の世界を実現する、理想郷としての浄土) 親鸞聖人が願われた浄土は、この3つの世界とは違う。この在り方を「仮」とおさえる。 親鸞聖人の「浄土」を表す基本語は、「報土」という。「本願」に報いあらわれる国土をいう。 「本願」のハタラク領域を「報土」という。本願を抜きに「浄土」はないということ。

【大谷祖廟暁天講座】「「ご用」をたまわる」(尾畑文正氏/2022年8月2日)

2022-08-29
2022年8月2日の「大谷祖廟(東大谷)暁天講座」は、尾畑文正氏(同朋大学名誉教授)に「ご用」をたまわる」を講題にお話しいただきました。

【大谷祖廟暁天講座】不死の門(宮下晴輝氏/2022年8月1日)

2022-07-29
2022年8月1日の「大谷祖廟(東大谷)暁天講座」は、宮下晴輝氏(教学研究所長)に「不死の門」を講題にお話しいただきました。
 ◆配布資料はこちら→https://jodo-shinshu.info/wp-content/... 

【大谷祖廟(東大谷) 暁天講座】 
「暁天」とは夜明けの空のこと。夏の暑さを避けた早朝の澄んだ空気の中で、宗祖親鸞聖人があきらかにされた本願念仏の教えを聴聞する場として開かれています。 
大谷祖廟本堂を会場に、毎年、8月1日から8月5日までの5日間、各日毎に講師をお招きして開催しています。 
しんらん交流館HP https://jodo-shinshu.info/ 
真宗大谷派(東本願寺)HP https://www.higashihonganji.or.jp/

法話 伊藤元_06

2022-07-29
2019年12月6日 蓮照寺 報恩講 昼座 1 
吉川英治 宮本武蔵 宍戸梅軒 我れ神仏を尊んで神仏を恃まず 
縁起の理法 
芦野宏
美輪明宏 
四知 天知 地知 我知 人知 『後漢書』
身は苦器 心は悩端 『浄土論註』曇鸞大師 
禍福はあざなえる縄の如し
法話 伊藤元_07
2019年12月6日 蓮照寺 報恩講 昼座 2 
仏教はいのちの尊さを教えている。 
共同感覚 
共感能力 
人間は、いくつになっても役目があります。 周りの人に、慈しみの心を引き出す力がある。 人間のありうるすがたを周りに教えている。 
「称仏六字」というは、南無阿弥陀仏の六字をとなうるとなり。「即嘆仏」というは、すなわち南無阿弥陀仏をとなうるは、仏をほめたてまつるになるとなり。『尊号真像銘文 』 念仏申せたか申せんか 
人間に生まれからには、お念仏申せ 親に会いたいと思ったら、お念仏申せ 
仏教は、決して祈願の教えではない。 自分の深い願いを、教えてもらう教え。 
教えてもらって初めて自分が何を求めていたかに出会うこと。

8:58 / 37:09 法話 伊藤元_01

2022-07-29
2019年12月4日 蓮照寺 報恩講 昼座_1
諸行無常
 浄土真宗が開かれて、仏教が完成する。宗教が完成する。 
聞即信 
 今、現に、与えられている恩恵は失うまで分からない。 失われるまで分からん、ということを分からなければならない。 一度の出会いではだめ、何回も何回も出会い直す。 仏様の教えを聞くということは出会うための準備。 「ひとたび、仏法をたしなみそうろうひとは、大様になれども、おどろきやすきなり。」『蓮如上人御一代記聞書』
法話 伊藤元_02
2019年12月4日蓮照寺 報恩講 昼座_2
 浄土真宗という仏道は、念仏を申して、念仏のいわれを聞いていくことで、救われていく道。 修行をするわけではありません。
浄土真宗にとっては「聞く」ことが修行に相当する。 
この世に もし一人でも自分よりも劣っている人がいると思っているような人には本願念仏の教えは響いてきませんよ。 
「我以外皆我師(われ以外みなわが師なり)」吉川英治 
  世阿弥 『風姿花伝』『花鏡』 
  初心忘るべからず 法然上人「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」
  是非初心不可忘 
  時々初心不可忘 
  老後初心不可忘
法話 伊藤元_03
2019年12月5日蓮照寺報恩講昼座1 
在家 出家 
一心専念弥陀名号 善導大師 
在家といふは、五欲を貪求すること相続してこれ常なり。 
たと(縦)ひ清心を発こせども、なほ水に画くがごとし。 『観経序分義』 
五欲 財欲 色欲 名欲 飲食欲 睡眠欲 
「とうとむ人より、とうとがる人ぞ とうとかりける」『蓮如上人御一代記聞書』
  尊敬できる人間を持ってる人間が光るんです。尊敬される人間は別に光らない。 倉本聰
法話 伊藤元_04
法話 伊藤元_05
2019年12月5日 蓮照寺 報恩講 昼座 2 
エリザベス・キューブラー・ロス 精神科医 
『散善義』 西に向かひて行かんと欲する 
『華厳経』 この身 今生において度せずんば、さらにいずれの生においてか この身を度せん。 
『涅槃経』 「二つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慙、二つには愧なり。「慙」は自ら罪を作らず、「愧」は他を教えて作さしめず。「慙」は内に自ら羞恥す、「愧」は発露して人に向かう。「慙」は人に羞ず、「愧」は天に羞ず。これを「慙愧」と名づく。「無慙愧」は名づけて「人」とせず、名づけて「畜生」とす。慙愧あるがゆえに、すなわちよく父母・師長を恭敬す。慙愧あるがゆえに、父母・兄弟・姉妹あることを説く。善いかな大王、具に慙愧あり、と。乃至 
『論語』に云わく、季路問わく、「鬼神に事えんか」と。子の曰わく、「事うることあたわず。人いずくんぞ能く鬼神に事えんや
法話 伊藤元_05
 2019年12月5日 蓮照寺 報恩講 夜座 
人が救われていく道に二つある。猿の道。猫の道 思いが満たされることと、自分自身が満たされることとは事柄が別。 
ドナルド・キーン アメリカ合衆国出身の日本文学者・日本学者。 惻隠の情 寛容な心 ウエリントン 宗教なき教育は賢い悪魔を生む 
この世とはどんなところか この世は雑会(ぞうえ)、さまざまなことに出会うところ。何に出会うか選べん。ただし自分の身に起こってきたことを、どう受け取るかはその人に与えられた 自由です。そこに働くのが念仏の教えです。 
人間とはどういう存在か 随縁存在 触れたものによって育てられる存在、 人間は育てられて仏にもなるようなことができる身である、 同時に育てられんやったら、人間に生まれたんだけど、 人間になれんまま畜生として終わることもある。
 迦羅求羅虫
 仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。自爾以来、口に世事をまじえず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし。『御伝鈔』覚如
TOPへ戻る