本文へ移動

闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

【三面記事として】紀子さま 目を合わせないことも…結婚延期後の眞子さまとの微妙な距離感

2021-09-11
© 女性自身 19年6月、琉球舞踊公演を鑑賞される紀子さまと眞子さま /(C)JMPA
© NEWSポストセブン 提供 1989年にご婚約内定(時事通信フォト)
女性自身 2021/09/11 11:00

9月11日、55歳のお誕生日を迎えられた紀子さま。

皇嗣妃となられてからは、毎年記者からの質問に文書で回答されているが、今回は10月にも婚姻届けを提出する見通しだと報じられた眞子さまの結婚について、どのように考えを述べられるかが注目されていた。

今回、紀子さまは眞子さまの結婚について、

《親として娘の思いや考えを受け止められるよう、対話を重ねております。こうした中、共感できることもあれば、意見が違うこともありますが、お互いに必要だと思うことを伝え合い、長女の気持ちをできるだけ尊重したいと思っております。一連の対応についての受け止めや、今後の見通し、話したことの内容などをお伝えすることは控えさせていただきます》

とつづられた。

「“尊重したい”というお気持ちは昨年のお誕生日での文書で初めてつづられ、“事実上の結婚容認”だと大きな注目を集めました。今回も、昨年とほとんど同じ内容となっていますが、“意見が違うこともありますが”と言及されているとおり、昨年に引き続き、未だ母娘で折り合いがついていない部分があるということでしょう」(皇室ジャーナリスト、以下同)

18年2月に結婚延期が発表されてからも、紀子さまは眞子さまとともにご公務や皇室行事に取り組まれてきた。ご公務中にお二人で会話されることもあったが、ときには“距離”が開いたときもあったという。

「19年6月に、紀子さまと眞子さまが横浜能楽堂で琉球舞踊を鑑賞されたときのことです。お二人とも終始笑顔を浮かべられているのですが、カメラが入っている間、一度も視線を合わせることはありませんでした。18年4月に、オランダ絵本の展示会にお出ましになった際には、お二人で絵本を手に語り合われ、フォトブースで写真も撮られていたのですが……」

“緊迫”した時期にも、紀子さまは眞子さまのよき将来を願われ続けていた。

「そのような状況でも、紀子さまはご公務で眞子さまに話しかけられたり、ご一家で医療用防護服を手作りされるボランティアに励まれたりと、関係の修復に努めてこられたのです」

紀子さまが粘り強く向き合われることで、再び母娘で話されるようになった眞子さま。しかし、眞子さまは「一時金辞退の意向」を示され、戦後の皇室で初めてとなる「儀式なしの結婚」を遂行しようとされている。

母娘の対話は、果たしてどう決着がつくのだろうかーー。

挿絵入り新聞で報道された日本二十六聖人列聖式の模様

2021-09-12
Facebook 日本二十六聖人記念館さん曰く
■新しく入手できました資料~
挿絵入り新聞で報道された日本二十六聖人列聖式の模様
 フランスの挿絵入り新聞『イリュ挿絵ストラシオン』"L'Illustration, Journal Universel" 1862年6月21日号では、同月8日に行われた二十六聖人列聖式の模様が表紙で大きく報道されました。
 また中央見開き2ページを使って、参加した人々の衣装紹介と場内の模様もわかりやすく描かれています。
 いかに盛大な列聖式であったかお分かりいただけると思います。
(いまのところ展示のタイミングは未定です。)

■来年の9月10日、長崎の「元和大殉教」四百周年を迎えます。

2021-09-09
Facebook 日本二十六聖人記念館さん曰く
■来年の9月10日、長崎の「元和大殉教」四百周年を迎えます。
 1622年9月10日、大村や長崎の牢につながれていた宣教師や一般信徒55名が西坂の丘で同時に処刑されました。
 ローマのジェズ教会所蔵のこの絵は、長崎のセミナリオで洋画の技法を学んだ日本人により描かれたものと考えらています。
 西坂周辺の山並みや浦上街道、海岸沿いの崖の様子などが詳細に描写され、警護をしている松浦藩の家紋まで正確に書き加えられています。
 来年は長崎の大殉教四百周年の記念の年となります。

「煩悶(はんもん)」心が苦しみなやむ。思いわずらう。

2021-09-06

おなかいっぱいです

2021-09-02
TOPへ戻る