闘いの歴史
闘いの記録 (戦争と人間)
20世紀の光と影 北米インディアン最後の戦士ジェロニモ、屈辱と無念の生涯を終える。
【20世紀の記憶 1909(M42)年】
(戦士ジェロニモ)
*2.17/米 北米インディアン最後の戦士ジェロニモ、屈辱と無念の生涯を終える。
白人に対するアメリカ・インディアンの、最後の組織的抵抗を指導したアパッチ族戦士ジェロニモが、オクラホマのシル砦で虜囚として79歳で死去した。
ジェロニモは誤解されるような「酋長」ではなく、シャーマンであり勇猛な戦士の一人であった。彼は、家族を皆殺しにされると復讐に立ち上がり、アパッチ族の戦士たちは、彼個人を慕って尊敬し戦ったのであった。
山岳ゲリラ戦にたけたジェロニモたちは、白人入植者やアメリカ軍を恐れさせたが、偽の和睦提案に騙され、1886年投降して捕縛される。以後20年間、虜囚として幽閉され、故郷アリゾナのメキシコ国境へ帰りたいという願いもかなえられず、シル砦で屈辱のうちにその一生を閉じた。
子供の頃、インディアンといえばアパッチ族で、英雄ジェロニモという図式でインプットされた。当時の西部劇では、インディアンは悪者と決まってたが、ジェロニモだけは英雄として尊重された存在だった。TV映画ライフルマンでなじみのチャック・コナーズがジェロニモ演じている。「酋長」は邦題が勝手に付けたもので、このあたりからジェロニモ酋長という誤解が発生したのかも。
〇この年の出来事
*8.18/日米 2000本の桜、「親善大使」としてワシントンに贈られ、ポトマック河畔に移植される。
*11.11/米 アメリカ海軍、ハワイ真珠湾に世界最大の海軍基地を建設へ。
*12.31/米 ニューヨーク・マンハッタン島とブルックリンを結ぶ、マンハッタン橋開通する。たわみ理論による長大吊り橋の先駆となった。
東京招魂社を靖國神社と改称
明治12年6月4日の本日、東京招魂社を靖國神社と改称致しました。
別格官幣社に列す。
正字による表記は「靖國神社(「靖」の旁の「青」の下部が「月」でなく「円」、「国」は舊字體)」。
神社名にある「靖國」は『春秋左氏伝』第6巻僖公23年秋条の「吾以靖國也(吾以つて國を靖んずるなり)」を典拠として明治天皇が命名したもので、明治12年に改称。
當初の東京招魂社の「招魂社」は「在天の神霊を一時招祭するのみなるや聞こえて万世不易神霊厳在の社號としては妥當を失する」可能性があるために廃されたというが、名称變更後も「招魂祭」は続けられている。
因みに同年6月16日の「社號改称・社格制定ノ祭文」には「赤き直き真心を以て家を忘れ身を擲(なげう)ちて各(おの)も各も死亡(みまかり)にし其(その)高き勲功に依りて大皇國をば安國と知食(しろしめ)すが故に靖國神社と改称(あらためとなえ)」とある。
安来が根の国であるということを暗に示したという説もある。
英語圏では「Yasukuni shrine」と表記されるが、それと並んで「war shrine」(戰爭神社)と表記される場合がある。
「祠官・神職」
招魂社と称された時期には神官・神職の定めは無かった。
例大祭・臨時大祭には卿または将官、招魂式には将官または佐官、その他の祭祀には佐官、尉官が奉仕した。
明治8年以降は例大祭・臨時合祀祭・招魂祭の祭主は舊陸軍と海軍が隔番で務めた。
明治12年の改称列格によって官員の祭主は廃され祭典は宮司が行うこととなった。
同時に宮司1名、禰宜1名、主典4名が法令によって置かれ、昭和13年からは権宮司も置かれることとなった。宮司以下神官の進退は内務省が、増員・増俸は内務省・舊陸海軍の3者協議で行い、実際の管理は主として財政を負担した陸軍省総務局が行った 。
また、社司・社掌は陸軍省第1局の所属であったが、明治20年には閣令第4号により神官を廃して神職(職名)を置き、舊陸海軍が補任することとなった。
昭和21年の官國幣社制(近代社格制度)廃止以後は自主管理なった。
(ウィキペディア参照。)
画像は、東京招魂社。
現靖國神社。