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ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

田畑正久先生のはなし

2022-06-29
大分合同新聞医療欄「今を生きる」第419回
(令和4年 4月18日掲載)医療文化と仏教文化(245)
     仏の智慧の言葉で言いあてられた自分の相(すがた)に、「本当にそうだな」、「言われる通りだ」と受け取れることが「本当に聞こえた」ということです。
     「分かりたい」と思って聞いているのは、仏法という圧倒的に大きなものを自分の理解できる範囲の箱の中に取り込もうと努力をしているのでしょうが、理論的に不可能なことなのです。なぜなら、次元や質が高いものを低い次元で把握しようとしているからです。しかし、人間の理知分別の理想主義というのは、今は無理でも将来は自分の努力で理解できるようになると思い込んでいるのです。
     日本語の原則として「大きなものは述語になれない」という哲学者の西田幾多郎先生の言葉と聞いたことがあります。例えば「私は親を大事にしています」ということを言う人がいます。親を大事にしているということは、財力など扶養する能力、体力や親を思う慈愛の深さが十分にある子が言えることです。親に心配をかけたり、経済的な負担をかけて種々の援助を受けているような「親におんぶに抱っこ」の子どもが、言葉だけで「私は親を大事にしています」と言っても、事情をよく知っている人は「何を言っているの」と発言をたしなめることでしょう。これは卑近な例ですが、「私は仏様を大切にしています」という発言にも同じことが言えると思います。
     仏教においては自分を中心に外側を対象化して観察するという視点が迷いの本(もと)です。自分自身の全体像が見えてないから、決定的に全体が見えてないのです。それなのに、私たちは「自分のことは自分が一番よく知っている」という前提を無意識のうちに自明の理としているのです。
     法話や仏書の教えが、普段は思いもしなかった自分のことを、言い当てた時に、驚くことが大切です。それが「私を超えたものに触れる」ということです。仏の光(無量光、智慧)によって私の相が照らし出された瞬間なのです。しかし、人間の思考は自分の経験をいつの間にか私有化して、それを「私は分かっている」と知識化してしまうのです。仏教ではこれを、なんでも取り込もうとする餓鬼根性といいます。これが私の実態なのです。ただの表面的な反省ではなく、自分の心の在り様にまで深く気付き、それに目覚める事はとても難しいのです。

おまかせする

2022-06-29

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1400

おまかせする、ということです。
それで、おまかせするというのは信心をやめておまかせするのではない。
おまかせするということが信です。
信ずることまでまかせるわけにはいかない。
全てをまかせる。
けれども「まかせる」ことだけは、まかせることは出来ない。
それが信心ではないかね。

「門」ということ

2022-06-26

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1398
だから「門」ということも、
もっと言えばこれが「南無」ではないかね。
南無がほしいのです。
阿弥陀仏ばかりを求めても出てこない。
阿弥陀仏が南無になった。
だから我々は南無において阿弥陀仏に触れると。
南無阿弥陀仏の前に阿弥陀仏南無がある。
こう言うことが出来るでしょう。
南無がよく分からないのです。
それを南無を忘れて阿弥陀仏ばかりを探すのです。
そうするとそれは観想です。
観見ではない。
「道」、人は、道がほしいのです。
1397
二階から梯子が降りて来た。
それが登り得るという確信でしょう。
こちらがかけたものは届いているかどうかわからないでしょう。
浄土に生まれたいということは、
もっと徹底していえば
浄土に生まれるような「道」がほしいということです。
そうでしょう。
求道の道です。
人は、道がほしいのです。

善導様です。

2022-06-16

Facebook 根津美術館さん曰く


【阿弥陀如来:つながる教え】*English below.
浄土教を大成した唐代の僧・善導(613~81)が念仏を唱えたところ、口中から仏が現れたといいます。善導は浄土教で重要視される『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の注釈書である『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』を著し、「南無阿弥陀仏」と口に出して唱える称名念仏を重要視しました。この著作は日本にも大きな影響を与え、源信が著した「往生要集」にもその内容が頻繁に引用されています。浄土宗の開祖である法然は、この「往生要集」を通じて善導の教えに触れ、そして生涯にわたり浄土宗の祖として崇めました。本作は、法然の夢に現われた善導の下半身が金色に輝き、法然の念仏布教を讃えたとする説話に基づいています。(-7/3)
・善導大師像 日本・室町時代 15世紀 当館蔵

浄土の問題は『観経』ではどうかというと、

2022-06-16
光は空気です。

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1389
浄土の問題は『観経』ではどうかというと、
韋提希夫人が初めて願に目覚めた時に
「我いま極楽世界の阿弥陀仏の所〈みもと〉に生まれんと楽〈ねが〉う」
と言った。
釈尊はそれまで沈黙を守っていた。
何も答えなかった。
言葉で韋提希を取り扱わない。
光です。
光は空気です。
沈黙の力
1390
夫人の前で釈尊はただ知らん顔していたのではない。
沈黙しておられたのです。
沈黙の力です。
問いには答えなかった。
けれども、答えなかったということは壁ではないのです。
沈黙ということは、
壁という面もあるけれども、
ただの壁ではないのです。
答えない限り壁ですけれども、
勝手にせよというような壁ではない。
何かそこに「空気」というようなものがあったのでしょう。
闇を照らすというのが沈黙の意味です。
1391
闇を照らすというのが沈黙の意味です。
ただ答えなかったわけではないのです。
それはどういうことかというと、自分が出した愚痴が、自分に返ってくる。
ですから答えないのです。
愚痴を取り上げない。
すると言った自分に返ってくるでしょう。
そのことから韋提希は韋提希自身を内観するようになった。
それまでは外を観ていたのです。
Facebook 宮岳文隆さんのコメント
曽我量深先生は、
例えば『曽我量深選集』第三巻中
「『二河喩』と『観経』」等によれば、
全く違う見方をしておられますね。
すなわち、
イダイケの恨みの言葉によって
胸中に大動乱を感じられたのは
釈尊ご自身であって、
答えなかったのではなく
実は一言も発することができなかったのだと
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