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ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

否定と肯定は一緒なのです。

2022-05-17

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1362

千年の闇だから闇を破るのに千年かかるというのではない。
マッチ一本で千年の闇が破れる。
マッチ一本が「否定」なのです。
それが「肯定」です。
否定と肯定は一緒なのです。
マッチ一本です。
「死して生きる」ということが出来れば問題はない。
それは死して真理に生きたのではないのです。
真理に触れたから死ぬことが出来たと。

信仰というものは

2022-05-15

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1360

信仰というものは
形式的に立てるのではないのです。
問題は、
人間が人間を否定することが、どうして出来るのかと。
出来ないのですよ。
それは否定「したかのごとく」である。
人間が人間を否定することがどうしたら可能かと。
容易ではないでしょう。

「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」 『親鸞聖人御消息集(広本)』(『真宗聖典』569頁)

2022-05-11
【教えにふれる読み物(今日のことば)】世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ
親鸞聖人御消息(出典 『真宗聖典』569頁)
2017年1月2日 
高 史明(1932年生まれ。神奈川県在住。作家。在日朝鮮人2世)

『今日のことば 2008年表紙』

※『今日のことば2008年版』掲載時のまま記載しています。

人間の迷いというものは深い。

2022-05-05

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1350
何でもどんどん右翼化していくのはそこです。
日本は今あぶないところにいるのです。
自民党だろうが何だろうが、政党はあてになるものではない。
ぐんぐん戦争に国民を駆り立てるのです。
我々は、戦争で人間の問題が解決できるものではないことを痛いほど知らされている。
しかし、しばらくたつと、まだ数十年で、もうすでに忘れている。
それほど人間の迷いというものは深い。

「祈り」ということ

2022-04-30

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1337
なんぼ医学でも生命を一ヵ月も一年も延ばすことは出来ない。
生まれた人間が死ぬるということを科学ではどうすることも出来ないのです。
生まれたら必ず死ぬる。
科学の力でもせいぜい延ばして一週間でしょう。
つまり、人間の考えで人間はどうにもならないのです。
その場合に出てくるのが、「祈り」ということではないかね。

1338
だから、祈願、祈祷という言葉の中に、人生があるのではないかね。
人生を一語に圧縮してみると「祈り」ではないか。
人間の祈りです。
祈りは迷信だなどと言わずにね。
迷っている人間の祈りも意識で成り立っている。
迷っている状態の祈りです。
迷信とかいうけれども、それは迷っているから迷いですけれども、迷っている形で祈りがあるわけです。
1339
人間が迷わないものであれば「祈り」も無いでしょう。
だから祈りを取ってしまえば迷いも無いけれども覚りも無いのです。
人生というものを一語で要約すれば「祈り」でしょう。
一切群生が「祈り」の中に動いているのではないかね。
その人間の祈りを捨てずに、深めて、人間の祈りをもって自己自身の祈りとしたのです。
それが本願です。
そうでしょう。
1340
迷っている人間の祈りを捨てて無縁になったのではない。
あらゆる迷っている人間の祈りを、かえって自分自身の祈りとしたのです。
そこに本願というものがある。
こういう問題はなかなかめんどうな問題です。
そういう問題に勇気をもって触れる人はいないのです。
たいていはそこらを薄めている。
そういう問題を、どこまでも不安として、祈りとして、ぐんぐん歩みを進めていくということは、なかなか容易ではないのです。
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