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C-5 ギャラクシー: 米空軍史上最大の飛行機 | ドキュメンタリー
艦内での生活
『ゴジラ』登場兵器総まとめ
この、先尾翼(エンテ)と推進(プッシャー)式プロペラという独特なスタイルを持った同機は、画期的な高速戦闘機として1943(昭和18)年頃から海軍航空技術廠により基礎研究や開発が行われます。そして試作機の設計や製造は、「零戦」を生み出した三菱重工や、「隼」の開発・製造元である中島飛行機のような大手の航空機メーカーではなく、福岡県にあった九州飛行機が担当しました。
同社は陸上哨戒機「東海」を開発・生産した実績こそありましたが、戦闘機に関しては初めてであり、しかも従来の戦闘機とは一線を画した未知の形状ゆえに、試作には苦労があったと思われます。実際、当時はアメリカやイギリス、イタリアなどでも先尾翼機の研究開発が行われて試作機も作られましたが、全て実用化には至っていません。
進撃を続ける映画『ゴジラ-1.0』で獅子奮迅の働きを見せる駆逐艦「雪風」。幸運艦として知られる同艦はいつ生まれ、いつ退役したのでしょうか。実は最期は日本ではなかった、数奇な運命を辿った同艦について振り返ります。
「雪風」就役は日米開戦の1年前
日本艦艇の中でも「幸運艦」として抜群の知名度と人気が高さを誇る駆逐艦「雪風」。なぜ同艦がそこまで有名なのかというと、太平洋戦争開戦時のフィリピン攻略作戦から、戦艦「大和」最後の出撃となった坊ノ岬沖海戦まで第一線で戦い抜き、沈むことなく終戦まで生き抜いたからです。
旧日本海軍は甲型駆逐艦として陽炎型19隻、夕雲型19隻を建造しましたが、この中で終戦まで生き残ったのは「雪風」のみ。だからこそ乗艦した将兵や海軍関係者から「奇跡の駆逐艦」「世界一の強運艦」などと称えられています。
しかも「雪風」は戦後、引き揚げ輸送用の復員船となって、外国に取り残された多くの日本人将兵を祖国へと送り届けました。
そんな「雪風」が2023年11月に封切られた映画『ゴジラ-1.0』で、駆逐艦「響」と共に登場しています。対ゴジラ用に改造されたとはいえ、「雪風」の船体やブリッジが現代の映像技術で登場する貴重な作品。日本屈指の知名度を誇る駆逐艦がどのような戦歴を歩んだのか改めて振り返ってみましょう。
大ヒット中の映画『ゴジラ-1.0』。この作品では、20.3cm主砲を持つ重巡洋艦「高雄」が大怪獣「ゴジラ」と交戦します。では「ゴジラ」と戦うのが、世界最大の46cm主砲を備えた戦艦「大和」だったらどうなったでしょうか。
魚雷ならダメージ与えられた!?
1947(昭和22)年を舞台とし、太平洋戦争に敗れて疲弊した日本が大怪獣と戦う映画『ゴジラ-1.0』。敗戦によって陸海軍が解体され、一方で自衛隊も発足前の日本ですが、旧軍の各種兵器が残されているという想定ゆえに、さまざまな兵器が「ゴジラ」に対して火を噴いています。
大戸島の兵士以外で最初に交戦したのは、機雷を処理する木製船舶「新生丸」です。新生丸は、機雷処理用の13.2mm機銃と、船上に引き上げた機雷を武器に、迫りくるゴジラと応戦しました。
機銃はほとんど効き目がありませんでしたが、機雷については「ゴジラ」の口内で爆破させることで、顔の一部を吹き飛ばし、ある程度ダメージを負わせることに成功しています。この機雷は丸い形状だったことから、旧日本海軍の六号機雷二型に類似しています。もし、この六号二型だったとすると、炸薬量は下瀬火薬200kgです。
大ヒット中の映画『ゴジラ-1.0』。このシリーズの第1作『ゴジラ』が封切られた1954年に自衛隊も発足しています。以来、「ゴジラ」と自衛隊は何度も戦ってきました。では、最も同シリーズに出演した自衛隊戦車は何なのでしょうか。
ゴジラと自衛隊は同い年
日本が生んだ世界的に有名な怪獣「ゴジラ」、それが生まれたのは1954(昭和29)年のこと。同じ年に自衛隊も産声をあげています。
自衛隊は同年7月1日に、それまであった保安隊を発展改組する形で誕生し、それから約4か月後の11月3日にゴジラシリーズの第1作『ゴジラ』が封切となりました。
その第1作から自衛隊(撮影当時は保安隊)はゴジラシリーズに協力し続け、以後市井で上映された約30の作品に協力しています。劇中では、「ゴジラ」を始めとしたさまざまな怪獣の圧倒的な強さをわかりやすく見せるため、「やられ役」として使われてきた自衛隊。とうぜん、戦車もその一つとして数多く破壊されてきました。
ある意味、ゴジラシリーズになくてはならないといえる陸上自衛隊の戦車ですが、70年のあいだに登場した車種は作品によってさまざまです。では、一体ゴジラシリーズのなかで「最多出演」した戦車はいったい何なのでしょうか。