モンスター井上
【 ボクシング編 】
PFP1位返り咲き
プロボクシングのWBA、WBC、IBF、WBO世界スーパーバンタム級王座統一戦(26日、東京・有明アリーナ)の前日計量が25日、横浜ベイシェラトンホテル&タワーズで行われた。WBC、WBO王者の井上尚弥(30)=大橋=はリミットより100グラム軽い55・2キロ、WBA、IBF統一王者のマーロン・タパレス(31)=フィリピン=は55・0でともに1回でパス。井上が勝てば男子史上2人目となる2階級目の4団体統一王者となる。
先に体重計に乗った井上は一発クリアすると、両腕でマッスルポーズ。バキバキの肉体をアピールした。恒例のフェースオフでは少し離れて7秒間にらみ合ったところで、井上から右手を差し出す。タパレスと笑顔でがっちりと握手を交わす友好ムードに、計量会場からは大きな拍手が起こった。
生誕100年 日本初のボクシング世界王者・白井義男の功績と、井上尚弥との共通点
産声を上げたのは、1923年(大12)9月1日に発生した関東大震災の約2カ月半後。震災による火災で一家は墨田区錦糸公園近くの自宅を焼け出され、当時の荒川区三河島町に身を寄せていた。それが母体に影響したのか、予定より1カ月も早い早産で、体重は700匁(もんめ=2625グラム)にも満たなかった。
幼少期は弱虫だった。いつも同じクラスのガキ大将に文房具などの貢ぎ物を要求された。転機は小学5年生の時。たまりかねて担任に窮状を訴えたら「男なら堂々と闘ってみろ」とけしかけられた。放課後、意を決してガキ大将に「決闘」を申し入れた。
場所は学校近くの野原。無我夢中で取っ組み合った。「やあ」と声を上げて腕に力を込めたら、相手が足元に倒れていた。「自信が生まれた瞬間でした。それから運動嫌いだった僕が、相撲や剣道を始め、一番になるようになりました」。生前、ご本人から伺った。
少年はやがてボクシングを始め、戦時下の1943年(昭18)11月、1回KO勝利でプロデビューを果たす。日本人初のプロボクシング世界王者・白井義男さんである。
井上尚弥に敗れたボクサーに「佐野君、ごめんな」…
『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』
世界ウェルター級4団体王座統一戦12回戦
ボクシングの世界ウェルター級4団体王座統一戦12回戦は29日(日本時間30日)に米ネバダ州ラスベガスのT-モバイル・アリーナで行われ、3団体統一王者エロール・スペンスJr.(米国)とWBOスーパー王者のテレンス・クロフォード(米国)が激突。クロフォードが9回TKOで勝利し、世界初の2階級4団体統一を達成した。ダウンを3度奪取する衝撃のワンサイド決着。通算40戦40勝(31KO)。海外メディアからは25日に4階級制覇を達成した井上尚弥(大橋)を上回り、パウンド・フォー・パウンド(PFP)1位に推す声が多数浮上した。