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「デヴィ・スカルノ」第三夫人の誕生
2020-11-13
Facebook佐々木信雄さんの投稿
インドネシア初代大統領スカルノは、この時期絶頂期でインドネシア建国の父と称えられた。スカルノはその後、容共路線を取り自由主義諸国と疎遠になったが、日本とだけは良好な関係を保ち、何度も来日した。日本からインドネシアへの莫大な戦後開発援助は、日本からそれに対応した輸入をするという紐付き多く、その裁量権はスカルノが握っていたため、それをあてにした日本の商社が、スカルノ来日時の夜の接待をすることが多かった。
そのような流れの中で、赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」で働く根本七保子を、貿易商社「東日貿易」の社員が斡旋して、スカルノ大統領のもとに送り込んだと言われている。それがのちの「デヴィ・スカルノ」第三夫人ということである。ちなみにインドネシアはイスラム教国で、複数の妻が認められており、スカルノも「正妻多数」となっている。