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食堂車(昔&今)

【アーカイブス】食堂車

列車食堂車

2021-03-18
Facebook永井由紀夫さん曰く

昭和20年代の食堂車厨房。
氷冷却の冷蔵庫
1933年(昭和8年)東海道線食堂車
0系新幹線の食堂車内部=1987年ごろ

新幹線食堂車

2025-02-21
【0系新幹線】日本食堂 食堂車 ビュッフェ 車内販売 ひかり号16輌編成
2000年 グランドひかり食堂車廃止ニュース

食べたことある?---日本の食堂車:明治・大正・昭和

2025-02-21
「特急つばめ 食堂車」No.CFSK-0059
寝台特急さくら号ドキュメント 食堂車車内販売の様子 Japanese express SAKURA documentary
5月25日は「食堂車の日」・・・懐かしメニュー“復刻”(18/05/26)
懐かしい新幹線の食堂車
【新幹線 2階食堂車 昭和63年】Dining car of the Shinkansen, or Japanese Bullet train in 1988
昭和の光景・一コマ スマイル88 東海道・山陽新幹線食堂車・車内販売営業 0系・100系
1960年代 東海道新幹線列車供食サービス スタッフ研修ビデオ今はなき帝国ホテル列車食堂
廃止直前 新幹線の食堂車

電車急 行列車「なにわ」号にあったビュッフェの「お寿司屋」さん

2024-11-10
facebook 昭和の想い出さん曰く
昭和36年3月に東海道本線東京ー大阪間で運転された電車急 行列車「なにわ」号にあったビュッフェの「お寿司屋」さん。
ビュッフェというと軽食と飲み物主体で変わり映えがしないという事で登場したそうです。
本職の寿司職人が握ったお寿司を食べながら東海道を行き交うという「イキ」な旅が楽しめたそうですが、人気が高くて千客万来だったそうです。
しかし本職の寿司職人の人件費が高くて採算割れがあったそうで数年で店じまいして、他の路線のビュッフェでは素人でも簡単に扱える「そば、うどん」コーナーに変わったそうです。
ちなみに当時のメニューで運営は「新大阪ホテル」になっていて、同社は現在の「リーガロイヤル大阪ホテル」で東海道新幹線開業の頃に食堂車の経営から撤退したそうです。

「儲からない、撤退したい」な食堂車に“復活”の兆し

2024-11-04
リニア・鉄道館の100系新幹線2階建て食堂車168形(安藤昌季撮影)。

鉄道車両の中に調理設備を設け、料理を提供する食堂車。一時期は全廃も危惧されましたが、現在では豪華列車の目玉として復活傾向にあります。

 鉄道で初めて食堂車が登場したのはアメリカで、1868(明治元)年のこと。高級レストラン並みのサービスを提供する車両として登場しました。当時は列車が駅に停車中、慌てて駅のレストランで食事をして飛び乗る時代でしたから、食堂車は歓迎されたのです。

 日本では私鉄の山陽鉄道(現・JR山陽本線)が1899(明治32)年に導入した、一等・食堂合造車1227~1229号が最初の食堂車です。この車両の一等室は9区画に区切られたロングシートで座席定員は26名。車両の半分は食堂室となっており、簡単な厨房も備えていました。当初、長いテーブルを囲む座席配置で定員10名でしたが、相席を出しにくい2+1列配置に改め、定員13名としました。

 これに対し、JRの前身である官設鉄道は「なぜ官鉄では食堂車がないのか」との批判を受け、1901(明治34)年に新橋~神戸間の急行へ二等食堂合造車を連結します。こちらは1+2列配置で定員12名の食堂室を備え、勾配区間では切り離していました。

 JR四国の路線の原型をつくった讃岐鉄道でも1900(明治33)年、喫茶室を設けた列車が登場します。各列車に特等車と同質の内装とした喫茶室が整備され、乗客の自由に立ち入ることができ、お茶やコーヒー、ビール、菓子、簡単な和洋食などが販売されました。画期的だったのは、少女を給仕として接客させたことです。当時の西洋料理は男性の料理人・給仕が従事するものでした。

 ただし、この喫茶室の利用は一等・二等車(現・グリーン車)の客に限られました。これは三等車(現・普通車)乗客のマナーを考慮したものとされていますが、山陽鉄道では1903(明治36)年より、「身なりを整え、一等・二等車内を通行しないこと」を条件に、閑散時間帯の三等車乗客による食堂車利用を認めました。そして1906(明治39)年からは、官鉄の三等車急行列車に和食堂車が連結されます。





食堂車の今

ふたつ星4047

2024-01-22
「ふたつ星4047」2022年9月23日 運行開始!
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