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各地の別院と教務所

全国の別院・教務所では、今・・・。

真宗大谷派四日市別院のある町は、大分県宇佐市四日市です。

2021-12-12
東(真宗大谷派)西(浄土真宗本願寺派)の二つの別院が隣接して建っています。写真の左が東別院、右が西別院です。
東別院の正式名称は、真宗大谷派四日市別院です。
本堂の内陣です。
西別院の正式名称は、本願寺四日市別院です。

【御遠忌, 連絡事項】御遠忌法要の期日及び基本日程について 2021年8月30日

2021-11-08
宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌 | 金沢教区・金沢別院(金沢東別院)

金沢教区 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要の期日及び基本日程について

教区御遠忌法要の期日及び基本日程について、教区会(7月28日)及び教区門徒会(7月29日)にて決定しましたのでお知らせいたします。

(1)教区御遠忌法要の期日

  1. 鶴来別院 2023年5月13日(土)~14日(日)
  2. 金沢別院 2023年5月19日(金)~21日(日)

(2)教区御遠忌法要の基本日程

1.鶴来別院御遠忌法要

2023年 5月13日(土)結願逮夜御参修(鍵役)
14日(日)結願晨朝
帰敬式御参修(鍵役)
結願日中御参修(鍵役)

2.金沢別院御遠忌法要

2023年 5月19日(金)初逮夜
20日(土)初晨朝
初日中御参修(鍵役)
結願逮夜御参修(鍵役)
帰敬式御親修(門首)
21日(日)結願晨朝
結願日中御親修(門首)

(3)教区御遠忌法要の期日については、再延期を行わない。

吉崎御坊開創550年 蓮如像前で法要 東西合同でお待ち受け

2021-09-30
2021年9月30日 09時23分
2021年9月30日 09時23分
浄土真宗中興の祖・蓮如上人(1415~99)が北陸地方での布教拠点として1471年に吉崎御坊(福井県あわら市)を建立してから今年で550年。本願寺派と大谷派の若手僧侶らは記念法要実行委員会を結成して記念法要を企画した。新型コロナウイルスの感染拡大で来年に延期せざるを得なくなったが、19日に御坊跡地の吉崎山上(東西両派共有地)で東西合同のお待ち受け法要を修行した。

東西本願寺、初の合同法要  

2021-08-29
両派の僧侶で実行委 9月19日に「お待ち受け」御開創550年記念 福井・吉崎御坊跡地 
初の東西合同法要が営まれる吉崎御坊跡地(中央は高村光雲作の蓮如上人銅像)
中外日報 2021年8月27日 11時36分
浄土真宗中興の祖・蓮如上人(1415~99)が北陸での布教拠点とした吉崎御坊跡地の吉崎山上(福井県あわら市)で9月19日、御開創550年記念法要お待ち受け法要が本願寺派、大谷派の僧侶合同で営まれる。関ケ原の合戦後に本願寺が東西に分かれて以降、吉崎山上の所有を巡る両派の争いを経て山上は両派共有地となった。両派の僧侶有志から成る記念法要実行委員会によると、山上で両派の僧侶が出仕しての合同法要は初めてという。

<加賀一向一揆>

2021-08-02
Facebook 佐々木信雄さん曰く
【15th Century Chronicle 1481-1500年】
<加賀一向一揆>
 本願寺中興の祖と呼ばれる真宗大谷派第8代門首蓮如は、1471(文明3)年、比叡山延暦寺などの迫害を受けて京から逃れて、越前吉崎に吉崎御坊を設け、ここを北陸における布教拠点とした。文明6(1474)年から文明7(1475)年の間、蓮如は吉崎御坊(福井県あわら市)に滞在し、親鸞以来の血脈相承を根拠として、北陸の浄土系諸門を次々と統合していった。
 文明5(1473)年には、富樫政親の要請を受けて守護家の内紛に介入し、翌年には弟の富樫幸千代を倒した。しかし、政親は本願寺門徒の団結の強さに不安を感じ、逆に弾圧を始めた。蓮如は吉崎御坊を退去し、加賀の門徒は追われて越中に逃れた。
 ところが今度は越中の門徒宗が、政親と結んだ石黒光義を打ち破る越中一向一揆が起こり、元気づいた一向宗は加賀に集って国人層とも合流、長享2(1488)年、政親を高尾城に攻めて討ち取った(長享の一揆)。
 蓮如は消息を送って一揆を諌めるが、加賀の門徒宗は、宗主代理の一門衆(松岡寺住持蓮綱・光教寺住持蓮誓・本泉寺住持蓮悟)のもとで自治を始め、次第に国人層から本願寺門徒宗による支配に移行していった。
 その後、周辺諸国への進撃に失敗し、内部の動揺が広がったり、本願寺中央による抑圧があったり、勢力の弱まる時期もあったが、天文15(1546)年に尾山御坊(金沢御堂)が建設されると、それを拠点として北陸全体に一向一揆を拡大させたりした。
 さらに、朝倉義景・上杉謙信・織田信長など、本格的な戦国大名とも対立し、一時は一揆勢が上杉軍を各地で破るなど猛威を振るった。しかし謙信率いる上杉本隊により大敗を喫すると、さしもの一揆の勢いにも陰りが見え始める。
 天正8(1580)年、織田信長軍により石山本願寺が陥落、天正10(1582)年、加賀鳥越城の陥落により、100年近く続いた加賀一向一揆も終焉を迎える。
(この時期の出来事)
*1482.11.27/ 足利義政が古川公方足利成氏と和睦する。(都鄙の合体)
*1483.6.27/ 足利義政が創設した東山山荘の常御所(のちの慈照寺)が完成する。
*1485.6.15/ 足利義政が出家する。
*1487.9.12/ 将軍義尚が、六角高頼討伐のため近江坂本に出陣するも、戦果が上がらず2年後に陣中で死去する。
*1489.2.23/ 東山山荘の観音堂(銀閣)の上棟が行われる。
*1489.3.26/ 将軍義尚(義照/25)が、近江の陣中で病死する。
*1490.1.7/ 足利義政(56)没。
*1490.7.5/ 足利義稙(義材)が10代将軍となる。
*1491.1.7/ 足利義視(53)没。
*1493.4.22/ 細川政元が将軍足利義稙(義材)に背き、足利義澄(義高/14)を擁立して挙兵する。(明応の政変)
*1493.閏4.25/ 細川政元の軍勢が正覚寺を攻め、畠山政長は自刃、将軍義稙は龍安寺に幽閉される。
*1494.12.27/ 足利義澄(義高)が、11代将軍に任命される。
*1496.5.20/ 日野富子(57)没。
*1500.6.7/ 応仁の乱により中断していた祇園会(祇園祭)が、30年ぶりに復興する。
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