各地の別院と教務所
全国の別院・教務所では、今・・・。
人事異動です。
このたび、2022年6月29日付で九州教務所長を拝命しました信國眞一と申します。出身は、大分県宇佐市、四日市別院の近くのお寺をおあずかりしております。また前任地は研修部でありました。このたび初めての教務所長の任でありますので、皆さま方には何かとご迷惑をおかけすることかと思いますが、九州教区のために力を尽くし、職務を全うさせていただく所存でございますので、教区の皆さま方には、何卒ご指導ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申しあげます。
さて、ここ数年、新型コロナウイルス感染症の影響によって、あらゆる仏事が簡素化され、また中止されるなど、寺院・御門徒を取り巻く環境は著しく変化しました。そして現在、コロナに対する恐怖心や緊張感は和らいだものの、時に感染者が急増するなど、今もなお収束することなくマスク生活を余儀なくされています。
そのような中で、更に、ロシアのウクライナへの侵攻の長期化による円安・物価上昇・労働賃金の据え置きなどにより、日本の経済状況は厳しいものとなっています。
しかし、このような状況下にあっても、如何に仏法聴聞の場を確保し、一人の念仏者の誕生を願う取り組みが出来得るのか。自らの求道の歩みを確かめつつ、深く憶念し行動しなければならないと感じております。
いよいよ明年には、真宗本廟において「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要」が厳修されます。九州教区の皆さま方と共に、このたびの法縁にお遇いしてまいりたいと存じます。
今後、九州教区・組・寺院の課題を皆さま方からお聞かせいただき、焦らず諦めず、一つひとつ丁寧に取り組みを進めてまいりたいと考えておりますので、何卒よろしくお願い申しあげます。
東本願寺に井波彫刻のサイン看板がまもなく登場! ~井波別院瑞泉寺活性化プロジェクト~
富山県南砺市井波は、「宮大工の鑿(のみ)一丁から生まれた木彫刻美術館」として、日本遺産にも選定されています。
井波彫刻の歴史と東本願寺のつながりは深く、そのはじまりは江戸時代に遡ります。
江戸時代(宝暦年間・1762年)に井波別院瑞泉寺が焼失し、その再建事業において、京都の東本願寺より前川三四郎をはじめとする東本願寺の御用彫刻師が井波へ派遣されます。
その時、井波の宮大工四人が東本願寺御用彫刻師・前川三四郎に弟子入りしたことが源流となり、彫刻のまち・井波は発展していきました。
さらに、現在の東本願寺御影堂・阿弥陀堂・御影堂門等(共に国指定の重要文化財)の明治期の再建事業においては、今度は逆に井波から彫刻師が東本願寺に駆け付け、井波彫刻師・岩倉理八が再建事業の彫刻主任を務めるなど、井波の彫刻師が世界最大級の木造建築の建立にあたり大活躍します。