大谷派の装束
御門首の装束について
真宗大谷派の衣体(ころも)等について
装束雛形 雛形1部 / 紙本墨書 / 天保6(1835)年頃
御装束師の時代
御装束師とは衣服や打敷などの調度品の調進する者です。初代・貞喜の曾孫の千切屋惣左衛門は、寛文9(1669)年から法衣商を始めて以来、御装束師として様々な寺社、公家、武家に出入りしました。御装束師は、単に商品を作り売るだけでなく、有職故実に基づく公の儀式、装束、文芸、料理などに精通した上で、適切な衣や調度品を企画して提供しました。例えるなら、ファッションデザイナーとスタイリストを併せた職業です。西村家はいかに教養を高め、顧客と信頼関係を築いたのでしょうか。
下図 雲鶴文様打敷
下図 雲鶴文様打敷 今尾景年筆 / 地紙・まくり1枚 / 紙本墨画淡彩 / 明治34(1901)年 / 489.9×186.0 (cm) 今尾景年が描いたと伝えられる刺繍打敷の下図。右上には日付、落款とともに描き印が記される。長辺が約5m弱もある本紙に、雲の間を舞う3羽のタンチョウが的確な輪郭線でもって描かれている。背景の雲のひとつひとつに、青、紫、赭(赤)など、色指示のための紙片が貼付されている。本図を下図にした打敷は、東本願寺300年紀念法要に向けて明治34(1901)年4月に新しく製作された。現在も修繕を繰り返しながらも、〈緋塩瀬五色雲白三羽鶴之縫〉として東本願寺御影堂内陣で使用されている。 [備考] [款]繍下絵/明治三十四年三月/景年繪此図/「景年」(朱文描方印) 有形文化財 – 近代化を支えた画家 - 千總文化研究所 / Institute for Chiso Arts and Culture (icac.or.jp) / Institute for Chiso Arts and C |
法衣装束の共同研究 - 千總文化研究所
千總文化研究所は、中世日本研究所、京都府京都文化博物館と共に法衣装束の調査を進めています。千總が「御装束師千切屋惣左衛門」として真宗大谷派宗務所(東本願寺)をはじめとする寺院の御用を務めていた歴史とともに、寺院の豊かな装束文化を研究するためです。
千總には、図案や雛形、見本裂は遺されていますが、実際にどのような法衣装束を制作していたのかはほとんど分かっていませんでした。
最初の手がかりは、2010年に同朋大学安藤弥教授の研究チームが調査をし、千切屋惣左衛門が手がけた装束が残されていることが知られていた真宗大谷派姫路船場別院本徳寺でした。
附裳、袍裳、道服、小道服、七條袈裟、五條袈裟、前五條袈裟、修多羅、畳袈裟、輪袈裟など多種多様な装束から、千總が手がけたと思われるもの13点が確認されました。(参照:『千總文化研究所 年報』第2号「京都の装束文化を再発見プロジェクト」)
調査は2019年10月から2020年11月まで延べ5回にわたりました。法衣装束の他に打敷を含め155点の染織品の全体、織文様、織組織の撮影、墨書などの記録を終えました。また一方で千切屋惣左衛門以外にも御用を務めた京都の装束師の名前がいくつも確認され、寺院の装束文化をとりまく御用商人の様相も今後の研究課題となりそうです。
本徳寺の調査に続き、2020年12月から京都の真宗大谷派に伝わる装束の調査を実施しています。