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大谷派の装束

真宗大谷派の衣体(ころも)等について

宗祖が着用しておられたのは麻の生地を墨で染めた衣で、墨染めの色なんです。

2022-09-13
黒が喪の色とされるようになったのは、明治時代に西欧の風習が入ってからです。
facebook 岩谷 圓祐さん曰く
黒は、今でこそ化学染料ですぐに染められますが、もとはとても貴重な色で、何回も何回も染めを繰り返してやっと黒くなって行ったので、手間暇が凄くかかり、だから経済力がないと黒は着れないのです。
よく、宗祖にちなんで黒色を着てなんて言う人がいますが、宗祖が着用しておられたのは麻の生地を墨で染めた衣で、墨染めの色なんです。
また、黒が喪の色とされるようになったのは、明治時代に西欧の風習が入ってからです。
間衣は装束ではなく、
間衣で法要を務めることはできません。移動の時なんかに着るもので、お西さんでは「布袍」と言い、他の宗派では「改良衣」と言います。
装束は、色々な色(本来ははっきりした色は無いのと、混ざりあった色あいでないとならないのですが)なので、道中着、普段着である間衣は、色々な色でなくても良いのではと思います。
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