聖徳太子1400回忌
聖徳太子1400年忌法要のベージ
師の慧慈和尚偲ぶ 聖徳太子1400年御聖忌御正當法要 宝前に両像、功績たたえる
2022-02-25
中外日報 2022年2月25日 13時59分
聖徳太子1400年御聖忌慶讃大法会が営まれている和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)で22日、御正當報恩慶讃法要が厳修された。法要では太子に仏法を教えたとされる慧慈和尚の千四百回忌報恩法要を併せて奉修し、遺徳を偲んだ。(詳細は2022年2月25日号をご覧ください
◎飛鳥の王権と聖徳太子
2021-05-24
6th Century Chronicle 581-600年】
6th Century Chronicle 581-600年】
◎飛鳥の王権と聖徳太子
*585/ 敏達天皇が没し、用明天皇が即位する。
*587/ 用明天皇が没し、崇峻天皇が即位する。
*587/ 蘇我馬子が穴穂部皇子を殺害し、さらに物部守屋を滅ぼす。
*592.12.8/ 蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇に代わって、推古天皇が即位する。
*593.4.10/ 聖徳太子(厩戸皇子)が国政に参画する。
585年、「敏達天皇」崩御を受け「用明天皇」が即位する。蘇我稲目の孫でもある用明天皇は崇仏派であり仏法を重んじたが、在位2年足らずの587年に、用明天皇は崩御した。後継問題で、大連の物部守屋は「穴穂部皇子」を即位させようとはかるが、蘇我馬子は穴穂部皇子を殺害し、さらに物部守屋をも射ころさせ、物部氏を滅亡に追い込む(丁未の乱)。
蘇我馬子によって「崇峻天皇」が即位するが、実権を馬子が握られている不満から反発しだすと、馬子は計略で暗殺してしまった。その馬子に請われて、先々代敏達天皇の皇后であった額田部皇女が、592年、史上初の女帝として即位、「推古天皇」(39歳)となる。
593年、用明天皇の子で甥の厩戸皇子(聖徳太子)を、皇太子として国政を補佐させる。推古天皇は、皇太子厩戸皇子と大臣蘇我馬子の勢力の均衡を保ち、馬子が葛城県の支配権を望んだ時も、毅然とこの要求を拒絶したという。
推古女帝のもと、聖徳太子は蘇我馬子と協調して、冠位十二階(603年)・十七条憲法(604年)を次々に制定し、法令や組織の整備を進めた。また607年には、小野妹子を隋に派遣(遣隋使)し、中国皇帝に日本の独立性を示した。
594年推古天皇は、三宝(仏・法・僧)を敬うべしという詔勅(三宝興隆の詔)を示し、太子や馬子と共に仏法興隆に努め、斑鳩に法隆寺を建立させるなど仏教を奨励した。620年、聖徳太子と馬子は「天皇記」「国記」を編纂して、国の歴史を記した。
622年に太子が49歳で薨去し、更に4年後の626年、蘇我馬子も亡くなる。そして628年、推古天皇は75歳で崩御した。推古天皇は継嗣を定めていなかったため、馬子の後を受けた蘇我蝦夷は、後継候補の田村皇子と山背大兄王から、田村皇子を擁立して「舒明天皇」とした。
こうして政治の実権は、蘇我蝦夷・入鹿父子に握られ、入鹿は聖徳太子の子「山背大兄王」を攻めほろぼしてしまう。これを皇統政治の危機と見た中大兄皇子や中臣鎌足は、入鹿を殺し「大化の改新」を開始する。ここに飛鳥のヤマト政権は、大きな転換期をむかえることになる。
(この時期の出来事)
*598/ 蘇我馬子が飛鳥寺(法興寺)を発願して建立をはじめ、593年塔の心礎に仏舎利を納める。
*593/ 難波に四天王寺が建立される。
*594/ 三宝興隆の詔が出され、諸氏が競って寺を建立する。
真宗大谷派善重寺(茨城県水戸市・二十四輩旧蹟)の聖徳太子立像
2022-01-31
岡倉天心がほれ込んだ名刹・善重寺の太子像
聖徳太子の恩師である慧慈、慧聡の為に創建されたと言われています。
2021-11-29
一昨々日に坂本にある西教寺へいきましたが、日吉大社の手前にある看板を見る限りにはそんな遠そうな雰囲気は醸し出してなかったのだが、まぁ~行ってみると遠い遠い、20分近くかかるやないか。詐欺に等しい看板でした(^-^;とここまで、私のぼやきであるが、頑張って坂を登った先にお寺があったのだが、門を入ると紅葉で真っ赤に染まった風景で歩き疲れた疲れも吹き飛びました。
西教寺は天台真盛宗の本山で正式には戒光山兼法勝西教寺と言うそうです。
聖徳太子の恩師である慧慈、慧聡の為に創建されたと言われています。その後、お寺が荒廃しましたが良源さんが復興し、恵心さんも入寺し念仏の道場と栄えました。文明の頃には真盛さんが入寺し、不断念仏の道場として整備されたそうです。
こちらのお寺は明智光秀や高田派の真慧さんもゆかりがあり境内にお墓もあるそうです。
聖徳太子1400年御聖忌 四天王寺で大法会始まる 半年にわたり遺徳偲ぶ
2021-10-20
2021年10月20日 13時20分
日本仏法最初の官寺として聖徳太子が創建した和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)で18日、聖徳太子1400年御聖忌慶讃大法会が始まり、同日午前に開闢奉告法要が厳修された。
22日に経供養、来年4月22日に結願の聖霊会を執り行うほか、22の教宗派が慶讃法要を営み、半年にわたり太子の遺徳を偲ぶ。(詳細は2021年10月20日号をご覧ください。中外日報購読申し込み)
22日に経供養、来年4月22日に結願の聖霊会を執り行うほか、22の教宗派が慶讃法要を営み、半年にわたり太子の遺徳を偲ぶ。(詳細は2021年10月20日号をご覧ください。中外日報購読申し込み)