本文へ移動

家族のページ

思い出のページ【当代と家族が歩んだ時代】

パンチ・プレイボーイ・VAN・an-an・non-noの時代

2022-05-22

Facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1964(s39)年】-3
◎週刊「平凡パンチ」創刊
*1964.4.28/ 若者男性ターゲットに、週刊「平凡パンチ」創刊される。
 若者男性をターゲットにした週刊「平凡パンチ」は、またたくまに、ファッションから遊びなど、若者のライフスタイルを網羅したリーディング・マガジンとなった。 当時、美大の学生であった大槁歩は、7年間余りの390号まで表紙絵を担当し、その描くイラストに登場するアイビーファッションを真似する若者が多く登場した。
 「平凡パンチ」は平凡出版(現マガジンハウス)の発刊だったが、永遠のライバル集英社によって、1966年に「週刊プレイボーイ」が創刊された。当時のわたしは高校生だったが、もっぱらパンチのファンで、若者の新しい生き方をリードするそのスタイルを支持していた。後発のプレイボーイは、露骨に女・車・ギャンブルなどの欲望を露骨に刺激する路線で、ほとんど読むことはなかった。
 1945年、平凡出版が芸能月刊誌「平凡」を発刊すると、1952年、集英社は対抗する月刊芸能誌「明星」を発行、その後週刊誌時代になると「週刊平凡」と「週刊明星」に移行する。その後も1970年に、平凡出版が若い女性のファッション誌「an・an」を創刊すると、集英社は1971年に「non-no」で追随する。
 当時の国鉄(JR)が、個人旅行の需要を喚起するための「ディスカバー・ジャパンキャンペーン」を始めると、「an・an」や「non-no」も若い女性の旅行特集を展開し、これらの雑誌を片手に持った「アンノン族」と呼ばれる若い女性たちが、特集された観光地に押しかけるという現象が登場した。
 その後も両社は、特定の層をターゲットにした雑誌の創刊を競ったが、バブル崩壊とその後のデジタル文化隆盛の流れの中で、雑誌文化そのものの世界が消えて行きつつある。
(この年の出来事)
*1964.8.2/ 北ベトナム軍がトンキン湾で米軍艦を攻撃、米空軍が報復爆撃に出動、ベトナム戦争が急拡大する。(トンキン湾事件)
*1964.1014/ ソ連最高会議とソ連共産党中央委員会が、フルシチョフ首相兼党第1書記を解任する。
*1964.1016/ 中国が、初の原爆実験に成功する。
*1964.11.12/ 米原子力潜水艦の佐世保入港し、13日反対デモが警官隊
と衝突。
佐々木 信雄さん曰く
パンチとプレイボーイの創刊号表紙を比べれば、両者の編集方針の違いがあきらか。
パンチの大橋歩えがくアイビー若者群像に対して、プレイボーイの女のヌードをコラージュした動物写真。
新しい若者の生活スタイルをリードしようというパンチに対して、ガキの性意識を刺激してひたすら商業主義まるだしのプレイボーイ(笑)
TOPへ戻る