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ちょい話【掲示板】

ちょっと気になる言葉(お寺の掲示板等より)

当たり前

2021-12-13
Facebook 藤岡教顕さん曰く、浄土真宗本願寺派 慈願寺さまです! (熊本県球磨郡多良木町)

真城 義麿氏 真宗大谷派 善照寺住職(愛媛県)

2021-12-10
『仏教なるほど相談室』(東本願寺出版)より 法話 2021 12

Facebook 松井 聰さん曰く

2021-12-04
誰の言葉かわかりませんが、法然上人や親鸞聖人が、自分のことを"愚か"だとおっしゃった、その教えを聞かないことには、自分が愚かだとは気づかないでしょう。

「地図は現地そのものではない。」 S.I.ハヤカワ

2021-11-30
きょうのことば 2021年3月 大谷大学掲示板より 『思考と行動における言語』原書第4版 岩波書店30頁

地図は現地そのものではない。

 SNSで知り合った人とのやりとりで、その人の「言葉」からいい人柄だと思っていたのに、実際に会うと全然違っていてガッカリした・・・そんな経験ってないでしょうか。

 この「言葉」は「現実」ではありません。また言葉からつくられた「イメージ」も「現実」ではありません。この「言葉やイメージ」と「現実」の関係を日系アメリカ人の言語学者ハヤカワ(Samuel Ichiye Hayakawa, 1906-1992)は、「地図は現地そのものではない」と喩えました(この言葉自体は、ハヤカワの師コージブスキーが提唱した学問「一般意味論」(General Semantics)の教育的規範として使われてきた)。
 
 言葉で全てを言いつくすことはできないし、全てを計算しつくすこともできません。どんな情報にも漏れ落ちがあります。この簡単な常識を忘れることから、困ったことが色々でてきます。私たちがこの世界で直接知り得るものは、ごく限られています。ほとんどは友人や身内、同僚からの情報、マスメディアなどからの情報です。この情報の大部分は「言葉」で受け取ります。それを私たちは「現実」と思い込み、鵜呑みにしてしまい、対象にレッテルをはる、外見だけで人柄を判断する、あるいは反対に自分がそう見られてしまう等々が生じます。

 20世紀になって情報化や国際交流が進む一方で、紛争や戦争なども絶えません。人間は言語という高度に発達したコミュニケーションツールを持ちながら、中々分かり合うことができず、すれ違い続けてしまいます。そんな情勢を憂い、ハヤカワは『思考と行動における言語』で、争いや誤解が絶えないのは「地図は現地そのものではない」という規範が、頭では理解できても実践的には出来ていないからだと主張したのです。

 そこでハヤカワは、ソクラテスの言葉「汝自身を知れ」を引き、他人との円滑な関係や対象の適切な価値づけのためには、まずは自分を賢明に評価できることが必要だと言います。例えば人は誰でも自分に対して「私は魅力がないからモテない」「私は音楽の才能がある」など、否定的・肯定的イメージをもっています。心理学者カール・ロジャース(Carl R.Rogers)が言う「自己概念(self-concept)」です。そしてその自己概念こそがハヤカワが言う「地図」であり、「現地」(本当の自分)ではないのです。

 ハヤカワは、その「地図」は自分の実際の能力や限界によって決まるのではなく、自分の力はこれくらいだと“信じる”ことで決まると言います。つまり自信のない人は、彼自身がもつ「地図」がその成功を妨げているのだと。周りができるはずと可能性を示唆しても、本人は「いや、親も語学は苦手だったんだ。これは遺伝なんだ」などと合理化さえする。ハヤカワは、「地図」(自分自身の見方)がより「現実」(本当の自分)に近いほど、実のある行動、健全な決断をとることができ、自分自身に対して現実的ではない人は他人との関係においても現実的ではあり得ないと言います。

 このようにハヤカワの「地図は現地そのものではない」という言葉は、自分がもつ「地図」(言葉やイメージ)と「現地」(現実)との乖離を常に自覚しつつ、自分自身の可能性を拡げ、他者とよき関係を築くためのテーゼと言えるでしょう。

「習をはなれて習にたがはず、何事もするわざ自由也。」 柳生宗矩

2021-11-30
きょうのことば 2021年2月 大谷大学掲示板より 『兵法家伝書 付・新陰流兵法目録事』岩波文庫 30頁

習をはなれて習にたがはず、何事もするわざ自由也。

 江戸時代初期の剣術家で、幕府の行政官僚をも務めた柳生宗矩(やぎゅうむねのり)(1571–1646)が、家伝(かでん)の新陰流兵法(しんかげりゅうへいほう)(剣術)の技法と理論を体系化し、寛永9年(1632)にまとめたものが『兵法家伝書』です。標記のことばは、新陰流の具体的な技法と理論に先立つ総論に当たる部分に記されています。教えられた形から離れていながらも、あらゆる技を、流儀の理法と矛盾することなく自由自在に使うことができる境地——剣術で目指される究極的な境地——を表していることばです。そうした境地を目指すのは、勝ちを得るためではありません。『兵法家伝書』に先立ってまとめられた『新陰流兵法心持(こころもち)』に「当流は、勝(かつ)べき習(ならい)をよくきわめ勝べきにあらず。まけあたらざる所をもとゝ仕也(つかまつるなり)」と、新陰流兵法の本質は「負けない」ところにあると述べられています。

 さて宗矩は、標記のことばの後に「是が諸道の極意向上也(ごくいこうじょうなり)」と述べています。つまり、標記のことばで表されている境地とそこに到る学びの道程は、兵法だけでなく芸能や学問など、あらゆる学びとも共通する極意であると言うのです。

 彼は、学びの目的を「よろづの道を学ぶは、胸にある物をはらひつくさむ為」すなわち、心にある不審や疑問を徹底的に取り除くこと、換言すれば、心の自由を得ることにあると述べます。そうなることにより、万事うまくゆくようになると言うのです。

 何かの技法を会得しようと学べば学ぶほど、学び得られたものによって不審や疑問が湧いてきて、それに心がとらわれ、目指すべき自由とは逆の不自由な状態へと陥って行きます。ではどうすればいいのでしょうか。宗矩によれば、学び得られたものを「さりきれば」、つまり捨て去れば、不審や疑問も消え、学んだ技法を無意識のうちに使うことができるというのです。

 学び得られたものを捨てるのであれば、そもそも学ぶ必要などあるのでしょうか。宗矩の息子・十兵衛三厳(みつよし)(1607–1650)は、その印可(いんか)申請論文というべき『月(つき)の抄(しょう)』に、父・宗矩のことばを数多く引用しています。その中に「習はいづれも非なり。あしし口なり。あしきと知りながら、高(たかみ)に望(のぞむ)たよりは、あしし口なり。習也。捨て捨てられぬ習也」とのことばが見られます。学ぶということは、否定すべきことで、悪い方法だが、高みに至るための道標(みちしるべ)は、この悪い方法である学びしかない。つまり、学び得たものを捨て去るには、学ぶ以外にないと言うのです。

 では、学び得られたものをいつ捨て去るべきなのでしょうか。少し学んだだけでも、不審や疑問が芽生えたら、そうするべきなのでしょうか。宗矩は、標記のことばに至るまでに、「ならひつくす」という言葉を多用しています。学び尽くした果てにこそ、捨てる機会が訪れると言うわけです。

 そもそも、捨てられるものがなければ、捨てることはできません。学びの蓄積がなければ、さらに高い段階へと向かうために、不審や疑問を抱き、否定し捨てることもできません。わたしたちは、今、学びの過程の中で、将来捨て去られる運命にあるものを蓄積していると言えるでしょう。そして、不審や疑問を解決しようと格闘し尽くしたならば、それまでに学び得たものは、たとえ捨てられたとしても、芯となって私たちの内に残るでしょう。そうした時にこそ、新たな学びの世界が広がって来るのかも知れません。その意味で言えば、将来役に立たない、あるいはいらないと思えることでも、今、どん欲に学んでおく必要があるのではないでしょうか。

【 Facebook学事関係のページ】のページ、管理者は当山住職です。

大谷派関係学校等のページ

「人」として生きる「よりどころ」

2022-02-02

講師: 三木 彰円 教授
テーマ: 「人」として生きる「よりどころ」

真宗学ってなにを学ぶの?
そもそも真宗ってどういう意味?
私たちの生活に何か関係があるの?
みなさんが生きていくうえで、
「なにを大事にしたいか」に思いをはせれば、
真宗学はみなさんの生き方に大切なことを与えてくれるでしょう。

大谷大学キャンパスツアー/第5回親鸞フォーラム-親鸞仏教が開く世界-

2022-02-02

本学の設置母体である真宗大谷派(東本願寺)では、2011年3月19日(土)~5月28日(土)で厳修される「宗祖親鸞聖人750回御遠忌」に向け、「親鸞フォーラム」を開催しています。 
今回で第5回を数える「親鸞フォーラム」では、「仏教と生命-いのちのゆくえ-」をテーマとして以下の概要でシンポジウムが開催され、本学より織田顕祐【パネリスト】、木越康【コーディネーター】が参加しましたので、動画でご紹介します。
▼日時 2011年2月6日(日)14:00~16:00 
▼会場 六本木アカデミーヒルズ40 キャラントA 
▼全体テーマ 親鸞仏教が開く世界 
▼シンポジウムテーマ 仏教と生命-いのちのゆくえ- 
▼パネリスト 
養老 孟司(解剖学者・東京大学名誉教授) 福岡 伸一(青山学院大学教授) 織田 顕祐(大谷大学教授) 
▼コーディネーター
 木越 康(大谷大学准教授)
養老孟司さんと考える これからの時代に必要な学びとは? 長野県 学びの県づくりフォーラム Vol.2

2019/04/25 
• これからの時代に必要な「学び」とは?
解剖学者の養老孟司さんと、
阿部長野県知事が語り合うフォーラムです。
平成31年3月23日(土)開催  
長野県岡谷市 カノラホール 
主催 長野県 長野県教育委員会 
「長野県_学びと自治」公式ツイッターもフォローしてね!

わが校の願い

2021-12-27
真宗大谷派の関係学校である昭和学園高等学校(大分県日田市に設置されています)の講堂には、この言葉が銘木に扁額仕様で掲げられています。
学園建学の精神を明らかにする言葉です。
本願寺24代闡如上人(号愚邨)の御染筆です。

大谷大学第29代学長に一楽 真(いちらく まこと)文学部教授を選任

2021-12-17
現学長の任期満了に伴う学長候補者選挙において、最終候補者として選出した 一楽 真 文学部教授(真宗学科)を、2021年12月16日(木)に開催した真宗大谷学園理事会において、大谷大学第29代学長に選任いたしました。

任期は、2022年4月1日~2026年3月31日までの4年間です。


10月13日は、大谷大学において近代化120年の創立記念式典が行われました。

2021-10-16
Facebook 速水 馨さん曰く
10月13日は、大谷大学において近代化120年の創立記念式典が行われました。
この日は東京巣鴨に真宗大学(現在の大谷大学)が移転開校し、学監(学長)清沢満之が「開校の辞」として宗教的信念の確立が大学の使命であると述べた日。
コロナ対応のため出席者を限定しクローズドで行われましたが、記念講演の姜尚中さんの、ホブズボーム『20世紀の歴史ー極端な時代ー』を引用しながらのお話に引き込まれました。
20世紀はグローバル化による人々の移動がパンデミックを引き起こし、それは同時に移民による憎悪、ファシズムも生み出した時代でありました。世界大戦に始まった20世紀の問題は未だ解決をもたらさず、同じ構造をもったまま今に至っている。
和解と共生を導く役割を担う政治を人々は手放し、これを政治屋が占有するのであるが、メディアはあてにならない世論(せろん)を煽り、政治はこれを無視できずに判断を下していく。民衆主義とポピュリズムなくして大衆の動員は生まれなかった。
自立した個人を求めてきた近代の行き着いた危うさ、強さや速さの呪縛から離れるべきことが世紀の歴史を通して語られました。
その中にあって希望として最後に出されたのが、シューマッハが60年代に提唱した仏教経済学『small is beautiful』であったことは、少しばかり驚きましたが、長期思考で俯瞰的に物事を見る大切さを教えていただきました。
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