本文へ移動

青木玲の世界

当山の「五月の法要」の講師は、2021年から青木玲先生です。

青木先生から御本が送られてしました。

2025-09-19

2025年の法話風景です。

2025-05-26
『アマリリス』2025年号、掲載の法話は2022年の法話、キーワードは「永代経」です。

法話

2025-05-25
Old age, illness, and death all pose questions to me about my life. 二階堂行邦

 あれは、二〇〇九年の十二月も終わりの頃。当時、私は、妻と生後三ヵ月になる娘と京都で生活をしていました。ようやく首がすわった娘を連れて、初めて九州の実家に帰省する準備をしていた日のことです。

 その日の午前中から妻は買いものに出掛け、私は娘と留守番をしていました。娘をベビーベッドに寝かせながら、たまたま昼十二時前の短いニュースの映像に目がとまりました。ニュースは、深夜に起こった交通事故を伝えていました。警察官が、車にひかれて亡くなった、と。ニュースの最後に、亡くなられた方の名前と年齢が表示されました。そこに表示されたのは、学生時代の友人と同じ名前だったのです。しかも、同じ年齢。目を疑いました。驚いて別の友人に電話をすると、亡くなったという連絡を受けていたようで、間違いないとのことでした。友人の死を、しかも、テレビを通して知ったのは、あまりにも衝撃的な出来事でした。放心状態になり、言葉もわからない娘に「なぜこんなことになったのか」と何度も話しかけたことを、今でもはっきりと覚えています。

 彼とは、大学で四年間同じ部活に所属していました。人懐(ひとなつ)っこく、先輩・後輩を問わず、誰からも好かれていた彼は、いつも会話の中心にいて、みんなを笑顔にしていました。私のことを「れいちゃん」と呼び、事(こと)あるごとに「俺が死んだ時は、れいちゃんに葬式をたのむからよろしく」と冗談半分で言っていました。その彼が、急に亡くなったのです。数ヵ月前に結婚式を挙げ、これからと思っていた矢先の出来事でした。

 通夜・葬儀には、たくさんの方が参列されていました。曲がりなりにも仏教を学んでいたため、「僧侶として、ご家族に何か声をかけなければならない」と、どこか力(りき)みながら葬儀場に向かいました。しかし、その思いは、見事に打ちくだかれました。棺に入った彼の姿を見た途端、何も言えなくなってしまったのです。彼の死は、私の学びがどこまでも知識としての学びでしかないということを気づかせてくれました。

 お釈迦(しゃか)さまは、老病死を見て出家(しゅっけ)を決意されたと伝えられています。『大無量寿経』というお経の中には、次のように説かれています。
人間として生まれた限り、どんな人も老(お)い、病(や)み、死んでいくことは避けられません。そのことを、「世の非常」という言葉は教えています。他人事(ひとごと)ではなく、私の身の事実です。ただ、老病死を知っていることと、わが身の課題となることは違います。老病死がわが身の課題になった時に、初めてその身をどう生きていくかを問い尋ねていく歩みが始まることを、お釈迦さまの出家は教えているのです。

 できるだけ若く、健康で、長生きしたいというのは、多くの人が願っていることでしょう。しかし、誰も老病死を避けては通れません。ですから、私たち一人ひとりには、老病死の身の事実をどのように生きていくかという大きな課題があるのです。そのことを教えているのが、「老いが、病いが、死が、私の生を問いかけている」という言葉ではないでしょうか。

青木 玲(あおき れい)

1980年生まれ。九州大谷短期大学准教授。九州教区三潴組覺圓寺衆徒。

  • 東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載
  • ※ホームページ用に体裁を変更しております。
  • ※本文の著作権は作者本人に属しております。

コラム 宗祖としての親鸞聖人に遇う

2025-05-25
親鸞聖人と『観阿弥陀経』

親鸞聖人と『観阿弥陀経』

(青木 玲 教学研究所助手)

 『観阿弥陀経』とは、『観経阿弥陀経集註』、『観無量寿経註・阿弥陀経註』などとも呼ばれる親鸞聖人の著作である。この著作は、料紙に『観無量寿経』と『阿弥陀経』が書写され、その経文の行間、経文の上下の欄外、紙背に善導大師の著作を中心に、こと細かく註記が施された巻物仕立てのものである。
 昭和十八(一九四三)年二月に西本願寺より発見され、翌年影印本が刊行されている。影印本の解説には、「二経を分離して両巻とし」とあることから、もとは一巻であったと考えられる。高田派専修寺には存覚書写本が所蔵されているが、それには「観阿弥陀経」と題号が付され、奥書には「二経一巻」と記されている。ここから、「観阿弥陀経」が原題名ではなかったか、と指摘されている。
 もちろん、『観阿弥陀経』という経典が存在するわけではない。しかし、二経に註記が施された聖人の著作に「観阿弥陀経」という題号が付されるところには、『観経』と『阿弥陀経』を「二経一巻」として受け止めていかなければならない必然性があることが示唆されているのではないだろうか。その意味で、「観阿弥陀経」という題号に、重要な意味があるように思われる。
 『教行信証』「化身土巻」に、

愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。(聖典三九九頁)

と述べられるように、親鸞聖人は二十九歳の時、法然上人の本願念仏の教えとの出遇いを通して、阿弥陀如来の本願に帰依された。それから越後へ流罪となる三十五歳までの約六年間、法然上人のもとで多くの門弟と共に、本願念仏の教えを懸命に聞き続けられたのだろう。『観阿弥陀経』は、筆跡や引用文などから、吉水にいた頃にはほぼ完成していた、と先学によって推測されている。吉水時代に親鸞聖人がどのような学びをしていたのかを具体的に示す史料はほとんどないため、『観阿弥陀経』は、若き聖人の学びが窺える重要な著作と言えよう。
 『観経』の流通分に、

汝好くこの語を持て。この語を持てというは、すなわちこれ無量寿仏の名を持てとなり。(聖典一二二頁)

と説かれ、『阿弥陀経』には「名号を執持せよ」と勧め、そのことを六方の諸仏が証誠することが説かれている。『観経』と『阿弥陀経』に一貫して説かれていることこそ、本願念仏である。法然上人の本願念仏の教えを、この二つの経典の上に確かめようとした著作が『観阿弥陀経』ではないだろうか。このような親鸞聖人の学びは、主著『教行信証』にも展開するものと考えられる。その意味で、『観阿弥陀経』は、親鸞教学の原点を明らかにする著作と言えるだろう。
 「本願念仏の教えに出遇ってほしい」。『観阿弥陀経』は、私にそのように呼びかけているように感じる。

(『ともしび』2013年8月号掲載)

お問い合わせ先

〒600-8164 京都市下京区諏訪町通六条下る上柳町199
真宗大谷派教学研究所
TEL 075-371-8750 FAX 075-371-8723

「であい」の大切さ

「であい」の大切さ

(青木 玲 教学研究所助手)

 毎年、高校の恩師から年賀状をいただいている。高校を卒業してからであるから、もう十数年になる。今年の年賀状には、「この三月で高校教師を退職します」と記されていた。私には、高校時代にこの先生から言われた、いまだに忘れられない、大事な言葉がある。
 先生は、私が高校二年生の時の担任で、英語を担当される女性の方であった。何事にも非常に厳しく、豪快で、かつ生徒一人ひとりと真向かいになって相談にのってくれる方であった。高校の中で唯一寺院出身であった私に対しては、特に進路について大変心配をし、様々なアドバイスをして下さった。
 はっきりとは記憶していないが、進路を決める三者面談の時であったと思う。進路に悩む私に対して、先生は次のようなことを言われた。「偏差値や就職率で大学を選ぶことは大切なことだ。しかし、本当に大切なのは、大学に進学して、一人の先生、一人の友達にであうことだ」と。当時は、成績の悪い私に対するなぐさめの言葉としか思えなかった。しかし、大学に進学し、少しずつではあるが、親鸞聖人の言葉に触れていくにつれ、先生から言われた言葉の重みを感じるようになった。
 親鸞聖人は、『教行信証』「化身土巻」に、
 愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。(聖典三九九頁)
と記され、また『歎異抄異抄』第二条には、
 親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。(聖典六二七頁)
と述べられている。これは、聖人が二十九歳の時、「よきひと」法然上人の「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」という教えとのであいを通して、阿弥陀の本願に帰依されたことを表している。さらに、『高僧和讃』には、
 曠劫多生のあいだにも
 出離の強縁しらざりき
 本師源空いまさずは
 このたびむなしくすぎなまし(聖典四九八頁)
と記されている。曠劫多生という長い間、生死を離れる強縁である阿弥陀の本願を知らなかった、もし法然上人がおられなかったならば、一生涯をむなしく過ごしていただろう、と。親鸞聖人が生涯をかけて念仏者として生きていくことを決定できたのは、法然上人とのであいによってであった。
 また親鸞聖人は、流罪の地の越後や、その後身を置かれた関東でたくさんの方とであわれ、その方々と共に念仏の教えを聞き、仏道を歩んでいかれた。その意味で、親鸞聖人が歩まれた仏道は、法然上人を始めとするたくさんの方々とのであいを抜きには考えることは出来ないだろう。
 現在、全国各地の方々とであう場に身を置いて仕事をさせていただいている。先生ご自身がどのような意図で「であいが大切だ」と言われたのかは分からないが、ただ、今の私にとって「であい」が元気や勇気を与えてくれていることは間違いない。

(『ともしび』2012年6月号掲載)

お問い合わせ先

〒600-8164 京都市下京区諏訪町通六条下る上柳町199
真宗大谷派教学研究所
TEL 075-371-8750 FAX 075-371-8723

形は滅びても人は死なぬ

形は滅びても人は死なぬ

(青木 玲 教学研究所助手)

 今年の六月、母方の祖父が亡くなった。九十八歳であった。葬儀の時、様々な方から祖父の人生や人柄について教えていただいた。私の知らなかった祖父の姿に触れ、改めて祖父の存在の大きさを感じた。
 私は、祖父の法話を一度だけ聞いたことがある。今から八年前の盆法要の時だったと思う。全体の内容は覚えていないが、金子大栄先生の言葉を紹介して話をしていたことははっきりと覚えている。

 花びらは散っても花は散らない。
 形は滅びても人は死なぬ。(『意訳歎異抄』五六頁)

 これは、昭和二十四年に発行された『意訳歎異抄』の中の言葉である。当時の女子学生が、金子大栄先生の自宅を指して「ここが花びらの家だよ」と言っていた、というエピソードが残っているほど広く知られていたようである。
 花びらは散っても花は散らないのと同じように、形が滅びても人は死なない、というこの言葉は、親鸞聖人における法然上人との出遇いを想起させる。
 親鸞聖人は、師である法然上人との出遇いのよろこびを「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」(『歎異抄』第二条・聖典六二七頁)という表現で示され、また「愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」(『教行信証』「化身土巻」・聖典三九九頁)と自ら記されている。だから、聖人は、法然上人その人にだけ出遇ったのではない。「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」という法然上人の「おおせ」を通して如来の本願に出遇ったのである。
 この出遇いによって、親鸞聖人は、法然上人の「ただ念仏」の教えに生涯を尽くしていくことになる。法然上人との出遇いによって、何をよりどころとして生きていくべきかが決定したのである。時に、聖人二十九歳であった。
 そして、法然上人は聖人四十歳の時亡くなった。これによって、「法然」の姿形は消えてしまったが、「ただ念仏」する「よきひと」としての法然上人は、現にましますが如く親鸞聖人の中に生き続けていったのである。
 親鸞聖人は、晩年に、同朋への手紙の中で法然上人の教えをしばしば述べておられる。これは、決して過去の追憶ではなく、生涯を通じていよいよ深まりゆく法然上人の教えを通して開かれた本願との出遇いを示している。
 表題の「形は滅びても人は死なぬ」という言葉は、決して神秘的なことではなく、本当の意味での人との出遇いを表している。ここを出発点として,私たちはどのようないのちを生きているのかを考えていかなければならない。
(『ともしび』2010年12月号掲載)

お問い合わせ先

〒600-8164 京都市下京区諏訪町通六条下る上柳町199
真宗大谷派教学研究所
TEL 075-371-8750 FAX 075-371-8723

コラム 宗祖としての親鸞聖人に遇う

2011年に厳修された宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の基本理念「宗祖としての親鸞聖人に遇う」をテーマに執筆されたコラム集。
親鸞聖人の思想を深く学びたい方に特におすすめです。

青木先生の出講講座について

2025-05-25
久留米市の九州教務所での連続講座に出講しておられます。
2024年度 大谷会館聖典講座 開催について

このたび、「2024年度 大谷会館 聖典講座(全10回)」を開催いたします。

どなたでもご参加いただけますので、多くの方のご参加をお待ちしております。

TOPへ戻る