本文へ移動

池田先生のページ

法話

近代教学と伝統教学の接点 2022.02.092022.02.12

2025-10-31
念仏寺公式HPより

真宗大谷派教団の機関紙「真宗」の平成二十八年六月号に載せられた池田勇諦師の『御本尊還座式』での記念講演(平成二十八年三月三十一日)の内容は、今後の大谷派真宗教学の展望を示唆する講演であった。

●伝統教学の核
まず池田師は、香樹院徳龍講師の言葉である「南無阿弥陀仏は百千音聲の法なり」(注一)を引用し、南無阿弥陀仏は音声の法であり、阿弥陀仏は音声仏であるといわれる。すなわち称えられる南無阿弥陀仏は「仏が私たちの上に名告り、現れてくださるお姿だということ。つまり呼び声である」。
また「呼び声としての称名は、それ自身のうちに聞くこころをまで成就されている呼び声であり、称名はすなわち聞名ですから、称名の主体は仏です」、そして「称名念仏は、いつでも・どこでも・誰にあっても、すべて所行の法、音聲仏のお出まし、この身に仏が来てくださった!事実」と仰せられる。
そして「ここにこそ私たちの真実の生き方、それが開かれる一大転換が孕まれている」と。
これが講演前半の内容の要点である。これは大事な点で、このことはすでに伝統教学によって説かれ続けてきた内容である。

●近代教学の核
そして師はさらに続けて、後半で次のように話される。
「私たちは私たちの思いを超えて阿弥陀仏につかまれている。仏願が私たちに願ってくださっていることは、〈汝の本座に帰れ。あんたのおり場に帰れ〉、この一点ではないでしょうか。私たちは自分の本当のおり場を離れ、自我に生きているから、孤独や不満や不安が起こるのである。音声の法を聞き続けていく、そこに真実の生き方がある。私の思いを超えて、この身を突き動かしている如来に、すでにつかまれている、これがこの身の事実であったと、そこに気づかせていただく、この一点が大事である。
そしてそこには当然、仏に背いている私、仏に背いている世の中の在り方を問わずにはおれない歩みとなる」 と。この短い講演の中に、真宗の伝統教学の核と大谷派近代教学(あえていえば清沢教学)の中心的な核が表示されている。

●聞名に誓いを聞く
ただ、大谷派の現代教学はこの二つの核の関係がなお不統合なまま今日に到っている。この核が不統一のため、門信徒は聴聞してもうろうろしてしまう、これが大谷派の現状だと思われる。
今回の講演ではこの二つの中心点(核)が提示されているが、二つの核の内容がなお不透明であるとともに、この二つの核の間にどういう関係があるのかが示されないままであった。
そこでこの問題を宗祖の教えを通して考えてみたい。
同じ講演で池田師は宗祖の『一念多念文意』の

「名号を称すること、とこえ(十声)、ひとこえ(一声)きくひと」(聖典。五四五頁)

を引用し、十声一声の称名を聞く、称名はそのまま聞名であると言われる。
その通りであろう。称名の主体は阿弥陀仏であり、阿弥陀仏は衆生の称名の場において南無阿弥陀仏の名号となって喚びかけたもう音声仏(音声法)である。

さて問題は、如来は南無阿弥陀仏となって喚びかけたもう、その喚びかけの内容が何なのかということである。それはこの講演では示されないままであった。
これは非常に大事な点で、それはいうまでもなく第十八願であり、念仏往生の願である。
称えているお念仏の声は、念仏往生の誓いの名号(喚び声)である。
宗祖の『唯信鈔文意』(聖典。五五一頁)に、

「聞名念我というは、聞というは、きくという。信心をあらわす御のりなり。名というは御なともうすなり。如来のちかいの名号なり」

とあって、〈聞名〉とは単に名を聞くのではなく如来の誓いの名号を聞く。名を聞くは誓いを聞くのである。誓いとは念仏往生の誓願であり、〈聞く〉とは念仏往生の誓願を聞くのである。
ところで、念仏往生の願とは大経の第十八願であるが、しかしそれは『歎異抄』第二章に「善導の御釈」とあるように善導大師の第十八願の解釈、すなわち、

「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚」 (もし我成仏せんに、十方の衆生我が名号を称せん、下十声に至るまで、もし生まれずは正覚を取らじ)(聖典。一七五頁)

に明かされている内容である。大経の第十八願文で言えば、

「乃至十念 若不生者 不取正覚」 (乃至十念せん、もし生まれざれば正覚を取らじ)(聖典。十八頁)

の願文が念仏往生の誓いである。  宗祖の『ご消息』でいうと、

「弥陀の本願ともうすは、名号をとなえんものをば極楽へむかえん](聖典。六〇六頁)

との願である。それを、称名念仏の声において聞くのである。

●法然の場合
こうした宗祖の了解は、宗祖が法然聖人の法語等を編輯された『西方指南鈔』の中にすでに示唆されている。

「阿弥陀佛は、〈乃至十念 若不生者 不取正覚〉とちかひて、この願成就せしめむがために、兆載永劫の修行をおくりて、今已に成佛したまへり。この本願業力のそひたるがゆへに、諸佛の名号にもすぐれ、となふれば、かの願力によりて決定往生おもするなり。かるがゆへに如來の本誓をきくに、うたがひなく往生すべき道理に住して、南無阿弥陀佛と唱てむ上には、決定往生とおもひをなすべきなり」(真宗聖教全書四の一七九頁。大八木興文堂)

「しかれば、たれだれも、煩惱のうすくこきおもかへりみず、罪のかろきおもきおもさたせず、たゞくちにて南無阿弥陀佛ととなえば、こえにつきて決定往生のおもひをなすべし。決定心をすなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生する也」(真宗聖教全書四の一九一頁)

とある。ここで〈如來の本誓をきく〉というのは〈乃至十念 若不生者 不取正覚〉という、いわば〈称えるばかりで助ける〉という誓いを聞くのである。

〈南無阿弥陀仏ととなえば、こえにつきて決定往生のおもひをなすべし〉で、この誓いを口に称えるお念仏の声において聞き〈往生間違いなし〉と受けとるのだと仰せになっている。それが素直に聞き受けている姿である。
なぜなら口に南無阿弥陀仏と称えると、称える念仏の声について〈乃至十念 若不生者 不取正覚〉の誓いを聞く。すなわち「称えるばかりで助ける」の大悲の本願業力を、称えているお念仏において聞くのだから、おのずとそこに「助けて下さる」との「決定往生のおもひをなす」ことになるのである。

この法然聖人の二つのご法話は同意趣であり、これを編集された親鸞聖人は、自らの称名において〈聞其名号〉し、名号に表されている念仏往生の誓いを聞信するところに不退転に住するという意義を大経の本願成就文の上に明らかにされたのである。
池田師の言われるように、一人一人に称名として現れたもう南無阿弥陀仏は「仏が私たちの上に名告り、現れてくださるお姿だということ。つまり呼び声である」。ただその喚び声は私たちにどう喚んで下さっているのか。それは〈乃至十念 若不生者 不取正覚〉という誓いの喚び声である。
称名において念仏往生の誓いを聞く信心、その信心一つで往生が定まるのである。ここに伝統教学の核がある。

●金子大栄師の領解
金子大栄師は、

「〈我が名を称えよ〉の一句こそ、人間の生活をいたみ、人間のために祈り、人間のために根本的な救いを与えたい慈悲からの言葉である。だから〈我が名を称えよ〉という一句を聞くこと、それを念仏というのである。念仏というは何であるか。念仏というは他にあるのでない。〈我が名を称えよ〉という言葉を聞くことである。で、南無阿弥陀仏を称えるのであるが、その南無阿弥陀仏を称えるということは、最も純粋な意味では〈我が名を称えよ〉というその声を聞くことよりほかにない、それを本願の名号と呼んで、親鸞聖人は〈本願の名号は正定の業である〉とおっしゃっている。吾々は仏の名前によって救われるのである、という道が開けたのが念仏の教えである」(『教行信證講話』七二頁。文栄堂)

と仰せられているが、全くその通りであると思う。

●清沢満之と近代教学
さてもう一つの核、それは近代大谷派教学の要点で、それを今回の講演では「すでに思いを超えて阿弥陀仏につかまれている事実に気づかせていただき、そのおり場に帰る」と話されている。いわゆる大谷派の教化の中でしばしば申される「思いは自力であり、事実は他力である。思いを超えている事実に帰れ」とのことである。安田理深師の言葉でいえば「思いに死んで事実に生きる」である。
以上のことはもと清沢満之師が、  自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗托して任運に法爾に、此の現前の境遇に落在せるもの、即ち是なり。 (池田師訳――自己とは他でもない、人間の考えや言葉を超えた阿弥陀のはたらきに運ばれ、自然のままに道理に随って在る現前の事実こそ、真の自己である) と表現された内容に基づいている。

現前の境遇、それが今ここの事実である。この現前の事実こそ私のはからいに先だって与えられている私の真の居り場である。
この居り場を離れて、自らの思いを中心にしていわゆる(自分の思いを叶えようと計らう)立場に固執するところに苦しみがある。自分の思いを叶えたいという自我の欲求とか「こうあらねばならない」という自分の信条(思い)に固執して苦しむのである。

それゆえ〈自分のあらゆる思いを超えて、すでに与えられている今の事実そのものに帰れ〉と説いてきたのが近代大谷派教学の核である。そしてこの教説は多くの人をうなずかしめたのである。

●事実はつかまえられぬ
だが、では〈どうしたら今ここの事実に帰ることができるのか〉という点がはっきりしなかったのと、近代教学が、伝統教学に於ける本願念仏の信心(本願の行信)とどういう関係があるのかが不透明なままなので、近代教学の話にうなずくことはできても、そこからは道がつかずうろうろとしてしまうというのが教化の現場の実状ではなかったか。
その点、池田師の講演はその問題に少し触れておられ「音声の法を聞く」ところにその道があることを示唆しておられる。

本願念仏を聞く信心という伝統教学の核と、思いを超えてすでに私をつかんでいる事実に帰るという近代教学の核は、どうつながっているのか。
実は、思いを超えた事実いわゆる〈純粋事実〉というものは、今ここにすでに全面的に働いている事実であり、私たちの存在もそれに於いてあり、今・今と流動しつつある事実である。しかもこの事実は私たちの思惟分別で対象的につかむことはできない。

これを教化の現場の事例でいうと、 例えば、仏法聴聞して「他者や人生を自分の思い通りにしたいという自分の思いで苦しんでいた」と自己批判するが、やがて又自我の思い中心の生活に引き戻されてしまう。そして又聴聞して自己批判するという、自己批判(思い)の繰り返しから出られない。
あるいは、「自分の思いではなかなか引き受けられないけれども、どんなことが起こっても身の事実は引き受けている」と聞いても、その〈身の事実そのもの〉に帰ることができない。ただ「身の事実はすでに引き受けているんだなあ」と考えている〈思い〉から出られない。それは〈事実〉をなお対象化して考えているのであって、考えてつかんだものは事実ではなくて、事実に対する新たな〈思い〉いわば概念に過ぎない。

こうしたことは、禅の言葉で「向かわんと擬すればすなわち反く」とか、ある女同行が「阿弥陀様は袖つかまえにかかると逃げなさる」と言っている事柄である。純粋事実(阿弥陀仏)は私の側からつかめるものではない。つかまえようと計らうとそれは逃げてしまう。
むしろつかまえんとする主体の側にすでにそこに働いているのであって、あまりにも身近すぎて対象的に捉えられないのである。そしてこちらからそれをつかまえにかかることを〈計らい〉という。

計らいでは捉えられない、如何にしても阿弥陀仏はつかまえることはできない、こちらから一指も触れることはできない。いわゆる我が力にては力およばず、「いずれの行もおよびがたき身」なのである。

●本願念仏の救い
事実(阿弥陀仏)はつかまえられぬが、事実はすでに私とともにあって私を成り立たしめ、私をつかんでいる。ただ私たちはそれに気づかない。  気づかないゆえに、阿弥陀仏の功徳は私の上に活性化しない。
たとえ「阿弥陀仏は私を生かしている」などと頭で分かっても、それは〈事実〉をどこまでも対象化して〈そう思っている〉にすぎないのである。生ける阿弥陀仏にふれていない。そしてどこまでも思い計らいから離れられないのである。

こうしてみずからの力(計らい)では如何ともしがたく、「できない なれない わからない」という壁にぶつかるのである。いわば「往(ゆ)くも死せん、回(かえ)るも死せん、住(とど)まるも死せん」という三定死の場に出さしめられる。
しかるに、その捉えんとする私をすでにつかんでいるのが純粋事実、つまり阿弥陀仏である。有難いことに阿弥陀仏は、計らいどうしの私に背後から喚びづめに喚んでいて下さっているのである。「お前の力では阿弥陀仏はつかまえられぬ。助からぬ汝である。けれどもそんなお前をどこまでも離さない。引き受けている」と。いわば「助ける」「引き受ける」と背後から喚びかけて下さっているのである。その喚び声が南無阿弥陀仏の名号である。

そこにはからずも称える南無阿弥陀仏において「我が名を称えよ」「まるまる引き受ける」「助ける」の驚くべき大悲のお心が知らされるのである。お念仏に於いて南無阿弥陀仏の喚び声を聞き、この仰せに喚び覚まされて「ああ、阿弥陀仏が全面的に引き受けて下さるのであった」と知らされるのである。
そこに不思議にも阿弥陀仏の大慈大悲の心は助からぬ我が心に届いて下さり、凡心に離れなくなりたもうのである。これを「摂取不捨の利益」という。宗祖は『正像末和讚』に

「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」(聖典・五八八頁)

と仰せられている。如来大悲の誓願を信受する時、摂取不捨の利益に預かるのである。

●信心に弥陀の実在を知る
こうして私に離れざる摂取の大悲心を知るのである。そこに、「助けるでタノメ」と喚びかけたもう阿弥陀仏は〈今ここにまします〉ことをほのかながらも感知せしめられるのである。
南無阿弥陀仏の名声は「〈我は〉ここにいる。汝とともにいる」と仰せ下さる阿弥陀仏のましますことを感知せしめられるのである。  そうすると、「今ここ、我ならざる、我を超えたはたらき(阿弥陀仏)」に私は置かれていることを知る。すなわち「現前の境遇に落在している身」であることを知るのである。私に離れず、私を受けとっている大いなるいのちの用き(阿弥陀仏)をほのかながらも知るのである。

この量りなき用きはいつでもどこでも、今ここにまします。今ここにいる刻々の自己存在の事実、それが「生かされている事実」であり、生かしめたもう用きが阿弥陀仏すなわち寿命無量である。
無量寿は、一切の存在(個物)の場所を成立せしめている〈場所の場所〉、いわゆる「絶対無の場所」(注二)として活動したまう。
この万人に共通する普遍の事実、これに目覚めるのが宗教の根本目的であるが、このことを清沢満之師は強調し、その影響下に大谷派近代教学は形成されてきたのである。

●念仏が無ければ難行道
お念仏なくして純粋事実〈如来〉にあうこと、それは可能ではあろう。自己批判を尽くし思惟を尽くして、その極、であうこともあろう。あるいは禅定に依る方法もあろう。しかしそれは人間の側からの行(修習なり訓練なり)であって難行である。愚悪の衆生が容易に近づける道ではない。
しかるにお念仏は、人間の側の修行ではなくて、如来から与えられる行である。しかも極めて行じ易き行である。如来は称名念仏という易行を選択し、これを衆生に与え称えしめ聞かしめて、そこに大悲の願心を表現したもう。この如来選択の易行を受行(注三)し、行に表現されている本願の思召しを聞く。

もしも、「今ここの身の事実に帰れ」とか「生かされているいのちに目覚めよ」とか「思いを超えて、一切を引き受けている身の事実に気がつけよ」とか言うだけで本願の念仏がないなら、知性による教義理解(思い)の中を空転するばかりとなる。こうして「目覚められない」「帰れない」「分からない」という現実にぶつかり、その前でただうろうろしてしまうのである。

●弥陀をタノムが事実に帰る
しかるに本願念仏の仏言(仰せ)は、凡夫の力では純粋な事実に帰ることも目覚めることも到底不可能であることを知らせる。いわゆる「助からぬ身」であると知らせたもう。  と同時に、その助からぬ身に「そのままなりで引き受ける、マカセヨ」と仰せ下さるのである。その「助からぬ者を助ける」と喚びかけたもう大慈大悲の仰せが南無阿弥陀仏の名号であり、お念仏の声である。

助からぬ身に南無阿弥陀仏の大悲の言葉を聞く、そこにはからずも大悲心が届いて下さる。お念仏を聞くという〈聞其名号〉において、「至心廻向したまえり」で、仏心は凡心に届いて救いが現実化するのである。
ここに〈愚鈍の凡夫〉にも開かれている道がある。

これを一言にて言えば、南無阿弥陀仏は、どこまでも得ようつかもうと計らう自我を全面的に否定し、そこに如来ご自身を真実主体として露わにしたもう真実の言葉である。  南無阿弥陀仏を聞き南無阿弥陀仏とたのむ、そこに阿弥陀仏なる純粋事実におのずから帰せしめられるのである。
そこを『自然法爾章』では、

「弥陀仏の御ちかいの、もとより行者のはからいにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまいて、むかえんとはからわせたまいたるによりて、行者のよからんともあしからんともおもわぬを、自然とはもうすぞとききてそうろう」(聖典。五一一頁)

と仰せ下さっている。南無阿弥陀仏と聞かせ南無阿弥陀仏とたのましめて、阿弥陀仏に〈むかえ〉取られるのである。いわゆる帰せしめられるのである。
こういう無上の方便が本願念仏の法である。この本願念仏という大悲の真実の言葉を通して、阿弥陀仏につかまれている身の事実に〈帰る〉のである。
こうして、本願念仏を聞く信心で助かるという伝統教学と、思いを超えている今ここの事実に帰るところに救いがあると説く近代教学が、〈聞其名号〉の信心一つにおさまるのである。

●終わりに
近代教学の特色は人間存在の普遍的な事実(真実)を開示し、自我の思いを破って純粋な今ここのいのちの事実に帰するところに人間の真の救いがあることを表示してきた。この救いは同時に真実の自己発見であるという普遍的価値を表した救済論であった。
こうした近代教学がもっている現代的意義が、『教行証文類』等に構築されている浄土真宗の伝統教学の上に統合されてこそ、現代に応答する豊かな真宗教学(注四)が可能であろう。
今回の池田師の講演は、伝統教学の核である本願念仏の仏法と近代教学の「自己存在の事実に帰する」という核とが提示された講演として大変に示唆的であった。

(了)

 注一。禿 義峰編「安心小話」(一六三頁。無我山房) 
注二。西田哲学でどう意味づけられているかは正確には知らないが、この言葉そのものが言い得て妙であるので用いた。 
注三。『淨土文類聚鈔』に「最勝の弘誓を受行して」(聖典。四〇二)とある。 
注四。本願念仏に統合されない近代教学に留まるなら、本願寺派の教学とは齟齬をきたしかねないし、きたしたままであり続けるであろう。
御本尊還座式記念講演(2016年3月31日 池田勇諦氏)

西恩寺様からお電話を賜りました。

2025-07-17
facebook 真宗大谷派 西恩寺(住職 池田徹)さん曰く
この度の、池田勇諦西帰に際しまして、ご縁の方々が、北海道から九州まで、韓国からもお参りくださいました。沢山の方が、FBからのお知らせを「シェア」いただきました。お悔やみのコメントも有り難うございました m(__)m
門徒の役員、教区の方々、教務所員、別院の皆さんにもお手伝いいただき、お勤めすることができました。暑い中、ご協力ありがとうございました。ご参列にあたり多々、ご迷惑おかけしたことはお許しください。
2017年自坊の宗祖御遠忌法要の中、「本堂修復奉告法要」の「表白」に、西恩寺の歴史を語り、その歴史が池田勇諦の歩みそのものでした。
【顧みるに、当山西恩寺は、開基喜受法師、俗名池田喜一の並なみならぬ「仏法ひろまれかし」の志願から創建された聞法の道場であります。そもそも喜一の、そのような願いはその父市松、法名〈諦受〉の篤い聞法心によって育まれたものであり、そのまた感化を受けた市松の妻「いよ」は、病弱の身が強縁となり、聞法に生き甲斐を見いだす人となりました。喜一はそうした両親の念仏により自然に念仏を喜び、その喜びを伝える責任を感ずる生活者となっていきました。
 時に大正11年(1922年)、当時は一年の半ば近くは雪に埋もれる加賀の山村(現・石川県小松市瀬領町)から、年間通して労働に從事することができる三重のここ、桑名を有縁の地と選び移住したのでありました。
喜一の聞法相続心は新しいこの地に来って弥増すこととなったのは、当地の桑名別院本統寺における法座に詣でる縁ができたからでした。そのころ老母いよは、桑名別院での聞法を日課としていましたが、視力を失っていたため誰かの手引きが必要でした。それが思いもよらぬ新しい仏縁をひらくことになるとはまことに不可思議であります。それは喜一の五男、勇 のちに西恩寺第二代住職となった私が、数え五歳の春から祖母の手を引いて別院への聞法の日々が始まったのでした。宿縁の然らしむるところであろう。私は祖母の強い感化をうけ、「後生の一大事の解決は、僧侶になるほかなし」との思いに至り、昭和15年9月7日、満6歳(翌年から現行の9歳に)で、桑名組長願寺の衆徒として大谷派僧侶、勇諦の度牒を拝受したことであります。
父喜一の「仏法ひろまれかし」の志願は、私の得度によって、いよいよ熾盛となり、自宅を昭和22年4月に私設「八幡説教場」として開放し法座を開き、遂に有縁の人びとの篤い支援により、昭和24年6月自ら開基住職、代表役員となって宗教法人西恩寺を創立し、昭和32年2月、現在の本堂建立の難業を果たして、3年後の昭和35年8月20日、行年70歳を一期として浄土に還帰したのでありました。
それに先だって、開基喜受は勇諦を第二代住職に就かせ、昭和30年6月真宗大谷派に所属することの承認認可を得て新しく「真宗大谷派西恩寺」として出発することとなったのでありました。
思えばこれまでの紆余曲折の歩みにも、多くの先輩諸師のご慈育と励ましがあったればこそであり、憶念して今も熱いものがこみあげるのを覚えます。】
祖父母のご縁から、この道一つを歩ませていただいた人でありました。
たくさん、ご迷惑もお掛けしたと思います。
永い間、お世話になりまして、有り難うございましたm(__)m
ご縁の方々から、お志ご香儀、もったいないことでありました。
おあげいただいたお志の返礼分を真宗大谷派本山、桑名別院本統寺、同朋大学に納めさせていただきました。本人の願いでありましたので、お許し下さい、すみません。
有り難うございました、
御礼まで。

【葬儀の様子 了善寺公式HP】
差し上げた賀状に、こんな返信を賜りました!!

池田勇諦(前住職)のプロフィール

2025-10-12
facebook 真宗大谷派 西恩寺(住職 池田徹)さん曰く

真宗大谷派「講師」。東海同朋大学(現・同朋大学)卒業。

池田 勇諦(いけだ ゆうたい)

1934(昭和9)年、8月22日 三重県桑名市生まれ。

2025年6月29日(日)23:20分 命終

現在、同朋大学名誉教授。

著書に『教行信証に学ぶ』全九巻(東京教区)、

『仏教の救い―アジャセの帰仏に学ぶ―』全五巻(北國新聞社)、

『真宗の実践』『浄土真宗入門―親鸞の教え―』

『親鸞から蓮如へ―真宗創造―『御文』の発遣―』(東本願寺出版)ほか。

池田勇諦(前住職)の話
ただこのことひとつ ― 池田勇諦師ご西帰

真宗三門徒派の平光慈門主の通夜説教、葬儀における木越宗務総長自作の弔詞、西恩寺門徒会熊田光男会長、そして和田清一葬儀委員長(総代)のお言葉、池田徹ご住職の謝辞、 堂内を揺るがすような念仏の声、それらすべてが「仏法聴聞せよ、聞き破れ!」とのご催促であり、まさに池田先生ならではの僧伽の仏事でした。深く感銘を受けました。
「教学教化といっても、要は人が生れるかどうかだ」と仰っていたことを憶います。浄土の真宗を共有する―ただこのことひとつ―に全てをかけた、見事なご一生をまのあたりにさせていただいた感銘が湧きあがります。

『蓮如上人御往生御葬式之事』(『真宗史料集成』2巻706頁)には「兼て御遺言候いて、定めおかせらるる御事共、あまた候」と、蓮如上人が自らのご葬儀について細々とご遺言されたことが詳しく記されています。上人は、自らのご葬儀が仏法相続の始まりとして実りゆくことを念願されていたのでした。
池田先生の立脚地も同一です。回向された念願なればこそ、同一です。世間の終活セミナーとは異質な、生まれがいを果たしきる真実の終活と仰ぎます。

6月29日池田勇諦師(満90歳)がご逝去されました

2025-10-12
6月29日池田勇諦師(満90歳)がご逝去されました。

東本願寺出版では、真宗・同朋新聞・月刊同朋をはじめ、数々の書籍の制作にご協力いただきました。
ここに謹んでお悔やみ申し上げます。

※お亡くなりになった日に誤りがありましたので、お詫びさせていただくとともに再掲させていただきます。

池田勇諦師の書籍『供養のこころ』ほか
書籍一覧は
こちら

【東本願寺出版部 掲載日:2025/07/04 15:42 カテゴリー:メイン】

訃報です!!

2025-07-01
1時間33分~から、先生の法話が始まります。
池田勇諦先生が、亡くなられました。
3日の通夜、4日の葬儀とのお知らせが、藤原千佳子先生から届きました。
真宗大谷派大谷婦人会 慶讃法要(音楽法要) 2時間30分~、先生の法話が始まります。
【ライブ配信】真宗本廟お待ち受け大会・本廟創立七百五十年記念大会(2021年4月5日 1時間31分後~)
御本尊還座式記念講演(2016年3月31日 池田勇諦氏)
真宗本廟春の法要 親鸞聖人御誕生記念講演(2016年4月1日)
TOPへ戻る