本文へ移動

ちょい話【釈尊編】

お釈迦様の生涯と教え

邦画「釈迦」です。

2021-02-10
釈迦に本郷功次郎 勝新太郎がライバルの悪党 永田雅一此処に有りの大作   Facebook小林知茂さんより
悪党 →提婆達多

【公式】悟空の 大冒険 第1話『悟空誕生

2021-04-23
原作は、玄奘三蔵の著した『大唐西域』
悟空の著作権入門

天竺への旅を終え、悟空・八戒・沙悟浄は自らの冒険をマンガにし、それを売って生活していました。ところが……。
「悟空の大冒険」をベースに、悟空たちが冒険しながら「著作権法」を説明してくれる痛快アニメーション。
 ※2008改訂、2017年現在の著作権法に基づく内容です。

求道の途

2021-01-28
Facebook平野めぐみさんより

『スッタニパータ』(原始仏典) 大谷大学HP「きょうのことば」2019年2月より

2020-09-03
 言葉の力は絶大です。言語が文化を形成し、言論が歴史を動かした事実もさることながら、私たちの日常においても、言葉の力はあらゆるところに見受けられます。誰かの言動に深く傷ついた経験のない人はいないでしょう。無作為に放たれた言葉が私に刺さり、生きる気力まで奪われてしまうこともあります。その一方で、確かな言葉に勇気を与えられることもあります。つまり、言葉には言葉以上のものが宿るのです。
 仏教は古来より、言葉の力に細心の注意を払ってきました。言葉が私にもたらす作用を注視し、「行動」や「思考」と並んで、「言葉」が自分を作り上げると考えてきました(身(しん)口(く)意(い)の三業)。なぜなら、この三者は相互に深く結びつき、私が考えること、話すこと、行動することが一体となって、「自分」という存在を練り上げるからです。また、発話行為というものは当人の内的な成熟度を如実に表しますが、言葉は私の内面から表出したものであるにもかかわらず、私にはその力を制御することができません。言葉は、発話者の予想を超えたはたらきをするのです。

 したがって、このことばは「言葉づかいに気をつけよう」という道徳の話に留まるものではありません。同じ経典に「ひとは生まれると口に斧(おの)が生える」とも説かれるように、悪意ある言葉は文字通り他人を傷つけます。そうした言葉は、発言した後に「しまった」と後悔をもたらし舌禍(ぜっか)を招くだけでなく、やがて内側から自己を侵食し(思考と行動に影響を及ぼし)、少しずつ自己を苦しめます。そして何より、悪意ある言葉は人に刺さったまま容易には抜けず(消えず)、人の尊厳を踏みにじり続けるのです。
 特定の人を攻撃することで耳目を引こうとする近年の言論活動を見る限り、この社会には暴言や罵詈雑言(ばりぞうごん)を求める気分があると言えます。また、言葉が次々と消費される流れに比例し、たったひとつの失言からその発言者の人格までを否定しようとする態度も見受けられます。相手の言葉尻をあげつらい、その言葉の背後にいる人間の姿を見ようとしない傾向のことです。何事につけ社会に向けて発言することが容易になると同時に、言葉が軽視され、言葉の重みが見失われつつある状況の只中に、私たちは立っています。
 こうした点から、自身が語ろうとするその言葉に、より一層の注意を払う必要があることは間違いありません。今一度、「私は私が語る言葉の力を完全には制御できない」という事実を思い起こす時が来たのではないでしょうか。

「降魔」とは、

2020-10-07
京都市左京区 一乗寺降魔不動明王
Facebook塚本光榮さんの投稿
「降魔」とは、マ―ラ(悪魔)を降参させる、または、マ―ラ(悪魔)を退け勝利するという意味を持つのだそうです。お釈迦様が悟りを開くのを邪魔するために、マ―ラ(悪魔)の軍勢が攻撃してきた時、お釈迦様は、マ―ラの軍勢を退け、勝利し悟りを開かれたそうです。不動明王様の右手に持っておられる「俱利伽羅剣」は、仏の叡智によって、迷いや邪悪な心を断ち切ることを表す密教の法具だそうです。後光のように彫られている炎は「迦楼羅焔」といい、「迦楼羅天(仏教の守護神)」の吐き出す火炎であり、毒になるものをすべて焼きつくすのだそうです。私の悩みを焼き尽くして救済してくれそうです
TOPへ戻る