スポーツの世界
相撲の世界
平安時代の「古式大相撲」を再現
「日本相撲協会財団法人設立100周年記念 百周年場所 古式大相撲と現代大相撲」(7日、両国国技館)
奈良・平安時代の宮中行事である相撲節会(すまいのせちえ)の形式にのっとった古式大相撲が30年ぶりに行われ、豊昇龍(立浪)が横綱五人掛かりを披露した。
豊昇龍が東の花道から土俵に立ち、西から豪ノ山、平戸海、宇良、狼雅、明生が入場。5対1で同時に四股を踏み、仕切りを行った。
5人は土俵周りを等間隔の距離で囲むように位置取りした。豊昇龍は最初に立った明生を投げ捨てると、狼雅、宇良、平戸海、豪ノ山の順に次々相撲を取った。最後は豪ノ山を寄り切って、五人掛かりを演じ終えた。
立行司が入れ替わったのはなぜか?
<大相撲秋場所>◇千秋楽◇28日◇東京・両国国技館
横綱大の里が、2場所ぶり5度目の優勝を果たした。本割で横綱豊昇龍に敗れたが、優勝決定戦を制した。この2番、本割は39代木村庄之助(63=九重)が、決定戦は43代式守伊之助(62=春日野)が、それぞれ合わせた。
本割では通常、庄之助は結びの1番のみ、伊之助は結び前の2番を裁く。今回、立行司の2人が本割と決定戦で代わったのはなぜか?
伊之助は「順番なんです。1月の決定戦(ともえ戦)は私がやりました。ともえ戦が2番で終わりましたが、3番目があったら庄之助親方に代わっていました。3月の決定戦は庄之助親方がやりました。5、7月は決定戦がなく、9月は私の順番だったんです」と説明した。
優勝決定戦で物言いがついたが、行司軍配通りに大の里の勝ち。物言いについて、伊之助は「何でだろうと思っていました。(軍配は)迷わなかったです」と振り返った。
横綱披露
大相撲の第75代横綱に昇進した大の里(24)=二所ノ関=が29日、初めての綱打ちと土俵入りの稽古を茨城・阿見町の部屋で行った。完成した重さ7・2キロ、長さ4・2メートルの綱を締め、師匠の二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)から雲竜型の土俵入りを指導された。30日には東京・明治神宮で横綱推挙式と奉納土俵入りを行う。同親方が新横綱だった17年春場所で15日間着けて優勝した「赤富士」の三つぞろいをつけ、名古屋場所(7月13日初日・IGアリーナ)での3場所連続Vに挑む。
2人で幸せをかみしめた。真新しい綱を締めた大の里の真横に、白いワイシャツを腕まくりした二所ノ関親方が並び立った。神聖な土俵入りの立ち位置を細かく指摘。大の里も「はい」と返事をし、動きを確認した。太い両腕で拍手を打つ際には、身ぶり手ぶりを交えて修正を指示した。「形や目線を補足した」と同親方。大関・琴桜(27)=佐渡ケ嶽=ら二所ノ関一門の関取約20人が見守る中、約10分間、直接指導した。
【詳報】新横綱大の里が土俵入り 恒例の熱田神宮 豊昇龍も
【大相撲】第74代横綱・豊昇龍 横綱推挙状授与式/奉納土俵入り
大学の伝統
早慶戦2025春、試合後のちょっといい光景
早慶戦後のエール交換。慶大応援席による「慶應義塾塾歌」斉唱を一塁ベンチ前、一列に並び、直立不動で聞く小宮山悟監督以下、早大ナインの姿を映したものである。
優勝が決まった後なのだ。「塾歌」の斉唱中、早大側がお祭り騒ぎになったとしても、それはそれであり得ることかもしれない。過去にはそんな光景もあった。だが、今春の早大ナインは違った。好敵手の荘重なメロディーを聴き入った。














