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逸品の世界

ちょっと気になる逸品の世界

\日本各地をきめ細かに結ぶ小型機/ 「ボーイング737-800型機」

2021-12-09
Facebook JAPAN AIRLINES (JAL)さん曰く
JALの国内線、国際線の主力小型機として導入された次世代航空機、ボーイング737-800型機。
機体の飛行経路を地形図と一緒に表示するディスプレイなどコックピットにも新しい機能が装備され、パイロットの状況認識や安全性をさらに向上させました。
主翼の端に小さな翼を付けることで、燃料消費量の減少に加えて航続距離の延長など性能の向上につながりました。
国際民間航空機関(ICAO)により設定された最も厳しい騒音基準にも適合した、低騒音で環境に優しい機材です。
「より快適な空の旅をお楽しみいただきたい」という想いから、2020年11月よりボーイング737-800型機の一部機材で「クラス J」の新しいシートを導入しました。
ゆとりのある空間はそのままに、USB電源が付き、カクテルトレイはペーパーカップを置いた際に安定するような作りにするなど随所に工夫を凝らしています。
ボーイング737-800型機はメインギアにドアが設置されておらず、タイヤをむき出しの状態で飛んでいます。ドアをなくすことで重量削減にもつながっているのです。
空を飛ぶ姿を見かけた際はぜひ注目してみてくださいね!

◎フェノロサ/日本文化発掘

2021-12-02
Facebook 佐々木信雄さん曰く
【19th Century Chronicle 1884(m17)年】
◎フェノロサ/日本文化発掘
*1884.2.-/ 東京大学講師で日本美術研究家フェノロサが、古美術の真贋優劣を鑑定する鑑画会を結成する。
*1884.6.25/ フェノロサが岡倉天心とともに、京阪地方の古寺歴訪を命じられ、法隆寺夢殿を開扉し、救世観音像を世に出す。
 アーネスト・フェノロサは、マサチューセッツ州セイラム生まれで、ハーバード大学で哲学、政治経済を学んだ。縄文土器の発掘で名高いエドワード・モースが東大教授で在任中、でたらめなお抱え教授連を一掃し、専門知識を持つ外国人教授の来日に尽力しており、「哲学教授」としてアーネスト・フェノロサを斡旋したことが、来日の契機となった。
 1878(明11)年、弱冠25歳で来日したフェノロサは、東京大学で哲学、政治学、理財学(経済学)など幅広い分野を担当し講義したが、美術にも深い関心を持っていた。来日後には日本美術に深い関心を寄せ、助手の岡倉天心とともに古寺の美術品を訪ね、当時の廃仏毀釈の風潮の中で、廃棄されることの多かった仏教美術の発掘保存に尽力した。
 フェノロサは、九鬼隆一、岡倉天心、今泉雄作らと「鑑画会」を発足させた。その活動は、古美術の鑑定にとどまらず、和洋折衷で新しい日本画の創出を目指す同時代作品の展覧会を催し、狩野芳崖や橋本雅邦の名を高めた。その運動は、東京美術学校(東京芸術大学)の設立へと結実してゆく。
 フェノロサは文部省図画調査会委員に任命され、当時の日本の美術行政、文化財保護行政にも深く関わった。1884(明17)年6月、岡倉天心らを同行して近畿地方の古社寺宝物調査を行った。その時に、法隆寺夢殿を開扉し、聖徳太子の怒りを恐れて封印を解くこと拒む僧侶たちを説得し、"絶対秘仏”とされていた救世観音像を数百年ぶりに開帳した。
 救世観音像が、なぜ「秘仏」とされるに至ったかは定かではない。法隆寺は聖徳太子ゆかりの寺院であり、太子没後100年余り後に、夢殿が聖徳太子を供養する堂として、高僧行信によって建立されたとされる。夢殿の八角堂は供養塔として建てられたもので、救世観音も、供養を目的として祀られた像ということになる。
 1972(昭47)年、"哲学者"梅原猛は、「隠された十字架」という論考を発表し話題を呼んだ。法隆寺は王権によって子孫を抹殺された聖徳太子の怨霊を封じるための寺だと主張、救世観音も、怨霊としての太子を表現したものだとした。梅原の論は、大胆な仮説のもとに展開されたもので、歴史学や考古学の研究者からは、否定的な見解が多い。早くから本業の哲学を放棄していた梅原猛の著作なので、「歴史ミステリー」文学として読めば、それなりの面白いものと思われる。
 フェノロサの生誕地は、米ボストン近郊のセイラムであり、ピューリタン色濃厚な保守的な土地柄だった。スペインからの移民であった父親が、土地になじめず自殺し、原理的なピューリタンからは批判的な目で見られたこと。また、前妻と離婚したあと、すぐに再婚して排除的な視線を浴びせられたことなどが、モースの招きに乗っての来日の動機となった。
 しかもセイラムという土地は、植民地時代のアメリカにおける、伝説的な「魔女裁判」の土地であった。フェノロサは、このような超保守的な土地柄から脱出したかったのだと思われる。セイラムの魔女裁判は、のちの米オカルトホラー映画「エクソシスト」や「オーメン」の、基調モチーフとなっていると考えられる。
(この年の出来事)
*1884.3.-/ 東京大学予備門学生 有坂鉊蔵が、本郷弥生町の向ヶ丘貝塚で「弥生土器」を発見する。
*1884.7.7/ 「華族令」が定められ、公・侯・伯・子・男の五爵に分け、戸籍・身分を宮内庁管理とする。国会開設に向けて、身分制の貴族院議員の準備作業でもあった。

2021年度特別展 東本願寺と京都画壇

2021-11-29
2021年度特別展 東本願寺と京都画壇 | 大谷大学 (otani.ac.jp)

東本願寺の堂舎は、江戸時代を通じて4度もの火災に見舞われました。そのたびごとに再建事業が興され、各堂舎の障壁画も新たに描き継がれてきました。
障壁画の担い手は、早い時期には京狩野派の祖狩野山楽(1559~1635)、二代山雪(1590~1651)、そして三代永納(1631~97)らによる画事が記録に残ります。しかし絵画史の潮流の中で、江戸後期には新興の円山四条派へと主力は移りました。さらに明治再建の阿弥陀堂・御影堂両堂には、近代京都画壇の画人たちによる精華を見ることができます。つまり東本願寺の画事は近世・近代の京都の絵かきたち、すなわち京都画壇によって支えられてきたことがわかるのです。
本展では、その様相を紹介し、京の画人が活躍した舞台であった東本願寺の側面を検証します。

コレクション展「これであなたも仙厓通」

2021-11-28
Facebook 福岡市美術館さん曰く
【ブログを更新しました!】
先週の16日(火)から1階の企画展示室において、コレクション展「これであなたも仙厓通」が始まりました。仙厓義梵(1750~1837)は、江戸時代に活躍した禅僧で、日本で最初の禅寺である博多・聖福寺の住職を務めました。住職を隠退した後も、博多で暮らし続け、親しみやすい書画を通して禅の教えを分かりやすく広めたことから、「博多の仙厓さん」と呼ばれ、人びとから慕われました。
本展では、そんな仙厓さんの作品をさらに深く味わうためのポイントを紹介しています。
詳しくは、ブログをご覧ください

「伝統をまとう 祇園の舞妓」 - 美の壺 - NHK

2021-09-02

京都・祇園の舞妓(まいこ)。その知られざる世界に「美の壺」が潜入!装い・髪型・舞・稽古・芸妓(げいこ)になる日までを追い、伝統をまとう舞妓の奥深き魅力に迫る!

舞妓の装いの舞台裏。紅を下唇だけにさす理由とは?▽舞妓は地毛、芸妓(げいこ)はかつらの日本髪。地毛で結う、日本髪伝統の技▽祇園の舞妓を指導し続ける人間国宝・井上八千代さん。緊迫する稽古の現場に潜入!▽舞妓最後の10日間。この時期だけの髪型・着物・舞を披露。お歯黒をする理由とは?▽舞妓から芸妓(げいこ)になる「衿(えり)替え」。貴重な1日に密着!<File525>

【出演】草刈正雄,【出演】井上八千代,【語り】木村多江

紅は下唇だけにさします
井上先生のお稽古
祇園小唄
襟替えです。
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