秋の法要
秋の法要2025年
「秋の法要2025」の法話は、こちらをテーマに掲げます。
これまでこの言葉は、日常生活の中でほとんど用いられてはこなかったかもしれない。最近になって時折見かけるようになった。“武器も軍隊もいらない”という意味である。浄土三部経のひとつ『大無量寿経』に出てくる言葉である。釈尊が悪を戒め信を勧められるところで語られるのだ。この背景には「不殺生」「殺すなかれ」という釈尊の思想がある。
釈尊の時代にも戦争はあった。大規模な戦ではなくとも、人が人を傷つけ、武器を持って殺しあうのは人間の最も愚かな行為でありながら、絶えることがない。そのような人間の有様のただ中で、釈尊の世の祈りを示す言葉として語られたといって良いだろう。
この言葉を聞いて、誰の心にも思い合わされるのは、昨年九月の「同時多発テロ」事件と、その後のアメリカによるアフガンへの空爆である。多くの命が奪われ、また今も奪われ続けている。自らの命を「兵戈」と化し、また先端のテクノロジーを駆使した「兵戈」を用いて、殺戮が行われている。そして世界は、それをとどめる術をもたないかのごとくである。しかも、いずれも「正義」を謳って「兵戈」を用い、殺戮が正当化される。しかし、いかなる事情があろうと、幾万言ついやそうと、何人も命を奪うことを正当化することはできない。また同時に、多くの戦争が「自らに正義あり」として行われたが、殺戮することに冠せられる「正義」はない。
幾たびもの戦争が繰り返された二十世紀に対して、二十一世紀は「平和と人権の世紀」であることが強く願われてきたにもかかわらず、最も愚かな行為によって幕を開けたことを悲しまざるを得ない。
またこの状況を見ると、『法句経』の次のような言葉が思い合わされる。
「兵戈無用(ひょうがむよう)」(軍隊も武器もいらない)という言葉
https://jodo-shinshu.info/2020/01/01/22312/
人民(にんみん)安楽にして、兵戈(ひょうか)戦息(せんそく)す、疾疫(しつやく)行ぜざるなり。(聖典三九五頁)
親鸞聖人が『教行信証』において、『正法念経』から引かれた一節です。いのちを尊ぶ、平和の教えである仏教の世界観を象徴する教えとして、広く知られていても良さそうな言葉です。しかし、そうではなかったように見えました。恥ずかしい話ですが、私自身は最近になって知りました。
仏教の見方を確認しますと、『ダンマパダ』に繰り返し説かれている「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」という仏陀の言葉が良く知られています。これは、戦後七十年の節目に大谷派の宗会において可決された「非戦決議2015」(二〇一五年六月)でも引用されています。仏陀の言葉を如来の悲願と受け取って「非戦の誓い」が表明されたのです。この他にも、不殺生戒や『仏説観無量寿経』の「慈心不殺」(聖典九四頁)、そして、『仏説無量寿経』に説かれる「国豊民安 兵戈無用」(聖典七八頁)の一節などがあります。
「兵戈無用」と「兵戈戦息」に共通するのは、「兵戈」です。戈とは、槍や刀など武器そのものを意味するので、「兵戈」と言った場合は、兵隊が武器を持って整列している状態も含んでいると思われます。先ほどの『仏説無量寿経』は、「国豊かに民安し。兵戈用いることなし」(聖典七八頁)と書き下しされているように、「兵戈」を必要としない平和な世界が仏教の広がりと共にあると説かれています。
では、「兵戈戦息」とはどういう意味なのでしょうか。「息」の意味を辞書で引きますと、人間の営みに欠かせない「呼吸」を指すサンスクリット語のプラーナのように、具体的な状態を表す他に、いくつかの意味を持っています。「息が合う」と言った場合には「気が合う」という意味合いになりますし、消息の「便り」を意味することもあります。そして、息災のように、「やすむ」「やめる」「ほろびる」と表現されるような、「物事の状態が変化し、安らかにする」という意味を含んでいます。以上を踏まえると、「兵戈戦息」の「息」は、「治まる」という意味として捉えることができます。
この「兵戈戦息」を含む一節は、実は「戒」の文脈で語られているため慎重に読まなければなりませんが、人間が兵隊となって、殺人兵器を持って戦場にかり出されるような状態から脱する価値観が提示されていると理解できるのではないでしょうか。
経典にはこのように説かれています。そして、過去も現在も未来も、いつの時代にあっても平和な世の中を求める声は絶えることがありません。それでも、世界は戦争の惨禍に繰り返しさらされています。ここに仏教はどう関わることができるのでしょうか。真実の仏教が広まれば、戦争は治まる方向に向かうのではないでしょうか。社会的実践が叫ばれるようになって久しい現代社会において、そこに真実の仏教が息づいているのかどうか。それを聞き続けるわたしの態度が問われているということだと思います。
(『ともしび』2016年5月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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